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人生【七草にちかG.R.A.D./緋田美琴G.R.A.D.】

 私の担当アイドル、七草にちかの物語。そして彼女の関わるシーズ2人のG.R.A.D.シナリオについて、私の考えと想いをここに記す。

当記事内には【七草にちかG.R.A.D.】【緋田美琴G.R.A.D.】はもちろん、SSRなどのネタバレも多分に含まれるためご注意ください。最新のsSSR【GAP】緋田美琴や、イベントコミュ【線たちの12月】までのネタバレも含みます。


休養という選択

 シナリオイベント【モノラル・ダイアローグス】を経て、にちかと美琴にはそれぞれの時間が流れていた。

 シーズでないときのにちかは、亡き父と入院中の母を持つという境遇で、姉と共に家を支えるヤングケアラー。家事に追われ、家計の節約を惜しまず、年齢不相応に心身を削っている。

 そしてシャニPは七草家に触れる機会がおのずと増えていき、いつしかにちかの買い物に付き合う間柄にまでその関係は進展していた。それは男手の無い七草家の、にちかの力になりたいと四苦八苦したシャニPが信頼を勝ち取った証であった。

 心の壁が厚く他人からどう見られているかの意識が高いにちかに、家庭内にまで踏み込ませるのには相応の時間を要したことが、これまでのコミュの中で語られている。それだけ2人は長い時間を共に歩み、共に苦悩してこの関係を築いたのだった。


 一方で、にちかは仕事においては相も変わらず焦燥を滲ませ、自身を傷つけながら臨み続けていた。

 モノラル・ダイアローグスでクリニックを介した対話を経て、にちかは自身を見つめなおす機会を得た筈であった。しかし、宿敵・斑鳩ルカにレギュラー番組を脅かされるという外圧により、その機会は塗り潰されてしまう。後に残ったものは、以前にも増して焦燥に苛まれる、自虐的で自傷気味な少女。

 そんな、プライベートでは家事に追われ事務所では仕事に焦るにちかに、シャニPは遂に休養を与えるという決断を下した

 それはダンストレーナーにも勧められ、レッスン場スタッフにも手放しで肯定されるような、『正しい』と思われる判断。客観的に見れば、今のにちかに必要なことはストレスの根源を本人から切り離すことであったのだろう。



 また一方で、美琴は新たな選択に身を委ねていた。

 モノラル・ダイアローグスでクリニックを介した対話を経て、美琴は自身を見つめなおす機会を得た筈であった。しかし自発的な選択のように見えた帰郷による休養は、シャニPの提案であったことが明かされる。
 ストレス性と思われる咳の止まらない美琴に、一時的な帰郷を促す。それは医療的見地からも、あるいは頼れる身内との距離を考えても、恐らく『正しい』判断。客観的に見れば、今の美琴に必要なことはストレスの根源を本人から切り離すことであったのだろう。

(モノラル・ダイアローグスからの繋がりにミスリードがあったとしたら、「何かを始めるというのなら時間が欲しい」というのは美琴の本心だが、帰省による休養という手段には消極的であったということだろうか。)


 ここまで仕事に追われ消耗してきた2人に、休養を促すのはごく自然な判断であった。客観的に彼女たちを見ていればそう勧めざるをえない。

 シャニPは常に、自身が考える『正しい』道をアイドルとすり合わせてプロデュースを行ってきた。しかしその『正しい』道は、シーズ2人の精神をさらに蝕む結果を引き寄せるのだった。



正しいだけでは救われない

 にちかの人生観はいつだって一貫していた
 脅迫紛いの行動で業界に飛び込み、決してストイックではない性格を抑え込んでまでレッスンに励み、意にそぐわないバラドル路線にも耐え、将来はビッグになって家族のための家を建てたいと願う。

 そんな彼女に、力が足りないと自覚することは余りにも苦痛であった。

 にちかは現状の生活に強い閉塞感を抱いている。そこからの脱却意識と、そして八雲なみに抱いた憧れが合わさって、アイドルとして大成することを至上としそれ以外の道を自ら閉ざす。そうやってにちかはここまで来た。

 にちかにとって、一時的な人気で終わってしまうことは決して許されない未来だ。かつての有名人が、貯蓄にまで手が回らない程度の売れ行きのまま引退し、自給自足の隠居生活を送る様を映すバラエティ番組。カメラの前で今を幸せだと語るその有名人を、にちかは明らかに蔑み反面教師にせんとする眼差しを向けていた。


 だから、現状でもレギュラー番組が脅かされ、もっと頑張らなければならないと考えるこの局面で、休養というシャニPの選択は看過できないものであったのだ。


 休養が必要という、世間一般の『正しい』判断。
 それは追い詰められたにちかに、ルカの幻覚という精神的苦痛をもたらす引き金となってしまった。



 美琴の人生観はいつだって一貫していた
 ストイックにパフォーマンスを追求し、そのために必要でない趣味や娯楽などを極限まで削ぎ落とし、日頃から息つく暇もなくレッスンに明け暮れ、ステージの上で死にたいと願う。

 そんな彼女に、ステージから離れて過ごす時間は余りにも苦痛であった。

 久々に帰ってきた実家だって、決して冷たい家庭ではなかった。両親は美琴のステージを見に東京へ赴いたり、自分たちは使わないが美琴が大切にしていたピアノを捨てずにおいたりと、節々に娘を想う姿が垣間見える。


 しかし美琴にとって、そんな両親との時間は癒しにはならなかった。それよりも帰郷により一時的にでもレッスンやステージから離れる時間が生まれるのは、本人が想像していた以上の苦痛であったのだ。今まで10年かけて積み上げてきたものが、緩やかに削られて失われていくような感覚。親元に居るにも関わらず、美琴はいつになく弱々しい声色でシャニPに訴える。

 休養が必要という、世間一般の『正しい』判断。
 それは追い詰められた美琴の、咳という症状を悪化させることしかできなかった。



 もう、シャニPも気付いていた。自分の考えた『正しい』アプローチなどでは、この2人を救うことはできないということに。
 だから、自分の言った事を曲げてまで、2人に寄り添う選択を決意する。それこそがG.R.A.D.の出場許可だったのだ。


 休みを言い渡されても、にちかはヒールでの無理な自主練を続けていた。レギュラー番組が落ち着き、この機会に仕事量を抑えれば自身を見つめなおせるのではないか、そんな思惑がシャニPにはあったのだろう。けれど、彼の考える常識的で都合のいい筋書きにはならなかった。七草にちかの人生観観に、そんなシナリオは当て嵌まらない。

 休養を強要されたにちかは、G.R.A.D.に勝手に応募するという暴挙に及んでいた。その姿は余りにも初めて出会った日を彷彿とさせる、一貫した向こう見ずな覚悟の発露。そんな危うい行動を本来なら諫めなければならない立場のシャニPは、しかし一転してにちかの想いを汲んだのだった。


 帰省した美琴は精神的な休養は得られなかった。実家に帰せば美琴がこの10年間で抱えてきたもの、その根底にある初心に触れて自身を見つめなおせるのではないか、そんな思惑がシャニPにはあったのだろう。けれど、彼の考える常識的で都合のいい筋書きにはならなかった。緋田美琴の人生観に、そんなシナリオは当て嵌まらない。

 過去を見つめることも他所にステージを求め、美琴は帰ってきてしまったのだ。本人もそれがシャニPの望んでいた結果で無いだろうと考え、帰ってきても良かったのかと問いかける。休養を優先しG.R.A.D.出場を見送ろうと考えていたシャニPは、しかし一転して美琴の想いを汲んだのだった。



七草にちかのプロデュース

 にちかにとって、G.R.A.D.で勝ち上がることは必須であった。しかしそれとは別に、ヨゴレ仕事のように捉えていた筈のバラエティ番組は、いつしか心の拠り所となっていた。
 ルカと隔週の出演になり現場での自分のプライオリティが下がりかけている今、共演者に忘れられることを恐れてガラにもない差し入れという行動に縋ってしまう。

 にちかとはもはや長い付き合いの共演者やスタッフたちは、にちかをネタに漫談に花を咲かせる。けれど付き合いが長いからこそ、今のにちかの鬼気迫る姿勢に対し、してやれることは何もなかった。彼らはあくまで番組を作るチームであり、過干渉しないこともまたプロ意識の現れなのだから。

 そんな楽屋の配慮も知らず、にちかはひとり舞台裏で人恋しく萎縮していた。自分があの番組で見たご隠居有名人のように、緩やかに忘れられていく様に怯えながら。

 これはもう、にちかの気質と言ってもいい。
 ひたすらに低い自己評価とそれに見合わぬ高い志の狭間で、やはり今回も自傷にも近しいレッスンに及んでしまう。これまで多くのものを乗り越えてきたつもりになっていたのに、また同じ結果になりかけていることにシャニPは頭を抱える。

 相方との対話不全、笑われる仕事へのストレス、同番組で枠の被る因縁の相手、文字通り血の滲むような努力。

 シャニPは何度も、負のスパイラルからにちかを救おうと奔走してきた。しかしそれらの努力はまたしても脆く崩れ去ろうとしている。だから彼はよりにちかに目線を合わせようと、にちかの価値観に触れようとして、聴いていたのかもかもしれない。彼女のアイドルのルーツともいえる楽曲、『そうだよ』を。

 これを機に、シャニPはにちかの休養を撤回する。掴みかけていたと思っていたものはまだ脆弱で、本当はもっとにちかの根底にある価値観に目を向けなければ、問題の解決には至らない。だからシャニPが下した次の決断は、あのW.I.N.G.を想起させ、覆させるようなものだった。

 ヒールで無理な自主練を重ね痛みに耐えるにちかに、シャニPははっきりとそう告げる。それは傷を治療するためだけじゃない。自分自身から目を逸らし、ひたすら理想の姿を纏おうとするために履いている『靴』を脱いでほしい、と。

 『靴』を脱いだ先にある素足がどんな姿をしていたとしても、それこそがにちかに違いない。クリニック講師による「伝えるレッスン」で得ることができなかった答えがここにあるはずだと、シャニPは告げる。

 心中では、シャニPはにちかの自傷を止めて救い出そうと決意を固めていた。しかしシャニPの口から出た言葉は、その決意とは真逆ともとれるような破滅的な選択であった。



緋田美琴の心境変化

 帰省により何も掴めなかった美琴を、シャニPはいつも通りの調子で迎え入れた。

 これはもう、美琴の気質と言ってもいい。
 何よりも先ずは自身のパフォーマンス向上を優先し、やはり今回もひたすらにレッスンに及んでしまう。これまで多くのものを乗り越えてきたつもりになっていたのに、また同じ結果になりかけていることにだって、シャニPは気が付いていただろう。

 美琴の余りにも想像通りの吐露にシャニPの歯切れは悪い。自分が正しいと考えて勧めた帰郷は、彼女を苦しめた。ただ、美琴が不安を抱いているのであれば、自分がその受け皿になれなければ意味が無い。きっとシャニPはそんな風に考え、いつものように美琴を受け入れたに違いない。

 身体を休めたからといって、心が休まるわけではない。そんな美琴だから、シャニPは休養を撤回したのだ。掴みかけていたと思っていたものはまだ脆弱で、本当はもっと美琴の根底にある価値観に目を向けなければ、問題の解決には至らない。すると美琴が零した言葉は、あのW.I.N.G.を想起させ、覆させるようなものだった。

 実家に自分の望む環境、すなわち自分の居場所を見出せなかった美琴は、シャニPがステージを用意してくれるこの環境を大切にしたいと再確認したのだ。結果、いまここにいる緋田美琴の姿は、言動は、明らかに希望に満ちたものであった。

 美琴の意識が変わったのだとしたら、実家に帰ったことがトリガーになったのは間違いない。しかしそれはシャニPが想定していたような過程を経てはいないだろうから、怪我の功名なのかもしれない。
 ただ、長年のあいだ帰郷に否定的であった美琴は、シャニPの勧めならと渋々行動に移したのだ。ならば長い時間を共に歩み共に苦悩して築いた信頼関係が、この転機を手繰り寄せたのかもしれない。


 美琴は、自身を閉じ込めていた殻を、一枚破った。
 過去の美琴と比べ見違えるその言動は、旧知のスタッフをも唸らせる。

 美琴に欠落していた「最善のものを届けるだけでなく、自分自身が何をしたいのか」というマインドが芽吹き始めていた。それはシャニPが幾度も美琴に問いかけてきたものであり、希望に違いなかった。



プロデューサーがもたらしたもの

 思い返せば、今までのシャニPのプロデュースは常に、彼が『正しく』あろうとする精神により成されてきた。その基準となる彼の価値観を、幾人ものアイドルたちが拠り所としてきたのも事実だ。

 しかし自分基準の『正しさ』だけではシーズの2人と共に歩むことができないと、このG.R.A.D.でシャニPは気付いたのだ。



 にちかは意外にも、シャニPの「裸足で出て、落ちてきてくれ」という要望を受け入れた。本来であれば、練習で積み上げてきたものを本番で放棄するという抵抗して然るべき、決して正しくない言葉である。
 けれど当時のにちかはもう、自傷精神の方が勝っていた。

 にちかはそんなダンストレーナーの指摘にすら、反論せず気まずそうに目を逸らすばかりであった。そんな彼女にとって、シャニPの選択は驚きはすれど心に馴染むものであったに違いない。

 だからにちかは、靴を脱いだのだ。

 シャニPは今回のG.R.A.D.において向こう見ずな行動をにちかに迫った。その意図するところは、仮に破滅的な結末を迎えたとしてもその痛みを自分が負うという、にちかが選んできた痛みの理解。
 それはシャニP自身の正しいと思う価値観ではなく、にちかの価値観に則った選択だったのではないだろうか。だからきっと、にちかはシャニPの言う通りに靴を脱ぎ、「自分のせいで落ちる」とその価値観を重ねたのだ。

(『靴を脱ぐ=理想を捨て等身大の自分と向き合う』ことを強要することについては、にちかの否定には直結しないと私は考えている。何故ならにちかはW.I.N.G.を通して八雲なみの悲しみに触れたのだから。ただ、怪我を加味しての辞退だの、ヒールを下げての出場だの、中庸で『正しい』シャニPの価値観の内にあるような提案であれば、にちかの心を動かすことはできなかっただろう。【夜よこノ窓は塗らないデ】において、購入ルールを頑なに守り、わざわざ別の店舗へ車を走らせようとしたような提案では――)


 結果、にちかは裸足で勝利した。
 それは、理想を捨て等身大の自分と向き合った彼女のパフォーマンスがとても魅力的だったのか、はたまた話題性高く目を引いたからなのかは定かではない。だが、それらも全部含めてにちかが勝ち取ったものに他ならない。

 後日、シャニPはにちかに靴をプレゼントした。

 それは自分に合わない理想を追い求めるのではなく、にちかの為の、にちかに合った靴。シャニPと価値観を重ねた先で勝利を得たにちかにとって、その意味するところは理解に難くなく、だから茶化すことも突っぱねることもしなかったのだろう。

 シャニPがにちかの価値観で考えようとするきっかけとなった、八雲なみの楽曲『そうだよ』。その歌詞が靴を通してにちかの世界に流れ出す。にちかの表情が柔らかくなれば自然と、周囲の人々への誤解も解けていく。
 にちかは、心の底から笑えていた。



 シャニPは、実家から手ぶらで帰ってきた美琴を迎え入れ、即座にレッスン室を用意した。帰省による精神的な回復は諦めるにせよ、本来ならば電話越しに悪化していた咳を気遣い、病院に同行するなりG.R.A.D.出場を見送る判断なりをするのが、『正しい』選択であった筈だ。

 ならば、この行動はシャニP自身の正しいと思う価値観ではなく、美琴の価値観に則った選択だったのではないだろうか。そんな雰囲気を感じ取ったからこそ美琴は安心して、ここが帰る場所であり生きていきたい場所だと認識したのだ。


 (これは敗北コミュであるが)決勝時のシャニPは、美琴が被る痛みがステージのためのものであるならば許容する考えを示した。これは目指してる通りのアイドルになれるなら死んでもいいと言い切る美琴と、価値観を重ねたということなのではないだろうか。

 シャニPのもたらす安心感により余裕が生まれた美琴はこれから、世界を彩るレッスン以外のことにも手を出していくのだろう。そして相方との間にも、仕事には必要のない時間が流れるに違いない。



 今回のシャニPは2人に、当初勧めていた休養を撤回した。これは正しい理屈だけでは声の届かない人間がいると、シャニPが認めたということなのだ。
 シャニPは未熟で、そのプロデュースは青臭い。彼には仕事を学べる先輩もおらず、だから時に独善的ですらある。しかし一方で彼はそれを自覚し、常に頭を悩ませている。その結果として、美琴の言う「変わってる」事務所が形作られているのかもしれない。

 にちかと、美琴と、これまで多くのものを乗り越えてきたつもりになっていたのに、また同じ結果になりかけていた原因。それは、相手の価値観を押しのけて自分の考える正しい方法で導こうとしてきたからであった。その事に気が付いたから、シャニPは相手の価値観に添って手段を考える選択をしたのだ。
 そしてそれにより、にちかと美琴それぞれに、休養では得られなかった精神的な安寧がもたらされた。



人は生き方を変えられない

 にちかと美琴の、とても生き辛そうな姿を見つめて、シャニPは幾度もその歩みを是正しようとしてきた。しかし解決できなかったのであれば、その考え自体が誤りだったのだ。


 にちかの人生観はいつだって一貫していた。
 アイドルとして大成することを至上とし、向こう見ずなあらゆる手段でその未来を目指す。人々に忘れられた先で、慎ましやかな幸せを享受する人生など認めない。それはこのG.R.A.D.を通してすら揺るがなかった。これはもう、にちかの気質と言ってもいい。

 しかしにちかは、自分の人生観の延長線上で、もう少しだけ前向きに生きられるような解釈を手に入れた


 美琴の人生観はいつだって一貫していた
 ストイックにパフォーマンスを追求し、そのためのレッスンに時間を費やすことを惜しまない。ステージのある場所から離れ、緩やかで休まる人生など認めない。それはこのG.R.A.D.を通してすら揺るがなかった。これはもう、美琴の気質と言ってもいい。

 しかし美琴は、自分の人生観の延長線上で、もう少しだけ前向きに生きられるような解釈を手に入れた


 今回、実は決勝には勝っても負けても、にちかはルカの幻覚を見なくなるし、美琴の咳は収まっているのだ。これはすなわち、2人の価値観はパフォーマンスの評価に依っていた筈だったのに、その如何に関わらず抱えていた問題が解決に向かっていることを示しているのではないだろうか。

 人は、そう簡単に生き方を、価値観を変えることはできない。
 
けれど相手の価値観に寄り添い、苦しめている物事への解釈を変えられるように促すことで、本人の生き方を尊重したまま問題の解決に向かうことができるのだ。

 シーズの抱える問題もまた、そうやって少しずつ解決に向かっている。



あとがき(所感など)

 思い付きをtwitterにあげたやつ


 今回、様々な人が疑念を抱いているように、モノラル・ダイアローグスからの連続性が不自然なのは私も感じている。しかしここでは、なるべくしてこの展開になったという前提で全ての話を進めた。なぜなら見えているものしか見えないのだから。
 何にせよ、過去一で解釈の幅が広いコミュだったと思うので、私がここに書いた以外の解釈も尊重していきたい。

 今回のG.R.A.D.実装により、以前の記事を読むと素っ頓狂な考察もあるかもしれない。それでも書いた時点での私の考えということで、特に改変せず残しておくことにする。
 モノラル・ダイアローグスの記事で『私の中にもう不安は無い、と言ったら噓になるかもしれないが、2人を信じることができる材料は揃った』などとのたまったことも、今にして思えばシャニPと同じようにご都合主義に縋っていただけなのかもしれない。


 人生の解釈を変えた美琴の物腰は、【GAP】で早くもにちかに還元されているように思う。ならば地続きになる次のシナリオイベントでも、その関係が描かれることを切に願う。
 そしてもう一人、『正しい』理屈だけでは声が届かないアイドルがいる。彼女に手を差し伸べられるとしたら、その時はきっとこのG.R.A.D.での歩みが活きるのかもしれない。

【線たちの12月】(22/12/09~)
エンディング ー ぼくたちはごみのように美しく


 シーズの物語つづき

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