そして、わたしたちは書くことで飛び方を思い出す。【創作大賞感想】
「書くこと」が大前提になっているnoteの大海原で、改めて「書くこと」について真摯に向き合っている作品に出会うと、背筋がしゃきっとする感じがある。
みくまゆたんさんのこちらのエッセイも、わたしの背中に1m定規をあてがってくれたような、そんな作品だ(余談だけど、平成初期の小学校では猫背の児童に対して本当に1m定規を差し込むような指導がまかり通っていた)。
彼女にとってお母さんから唯一贈られたというプレゼントは、「書く習慣」だった。
低学年の頃に書いた読書感想文が、お母さんの中の燻っていた「娘への心配」の火種を、とうとう炎上させてしまったのだろうか。
お母さんは幼いみくまゆたんさんに日記帳を渡し、毎日書くように、と言った。
その言いつけを健気に守る筆者の素直さは賞賛に値するし、それに途中までとはいえしっかりと付き合ったお母さんもまた、素敵な人だとわたしは思う。
この文章の中で自分の母親について言及すると趣旨から外れる。詳しいことは割愛するが、わたしの母親は絶対にそんなことをする人ではない。
「変わった子」だと娘を評価するところは同じだが、「どうして普通になれないの」と叱責するばかりで具体的に寄り添ってくれることはなかった。
みくまゆたんさんからするとどう思われるかはわからないが、わたしにはすごく魅力的で、素敵で、娘思いの立派なお母さんだと感じられた。
そしてちょっと羨ましいと思った。
お母さんの思いはきっと、みくまゆたんさんにしっかり伝わり、受け継がれているのではないか。
だって、彼女は今も書いている。
書くことを生業としている。
ううん、仕事にしていなかったとしても、書くことはずっと続けていただろう。
幼い頃のプレゼントをずっと大事に抱えて、今まで生きてきたのだから。
「書かないと死ぬ」と言わしめるほどの、大きな大きなプレゼント。
身近な人の圧倒的な才能に打ちのめされても、自分にしかできないことに誇りをもち、続けること。
それが、どれほどまでに難しいことか。
天才と同じフィールドで戦うのではなく、自分の土俵を大事にすること。
その結論に至るまで、どれだけの葛藤をしてきたことか。
語れば思いはたくさん出てくるのだと思う。
でも、彼女はそれをしない。
自分のフィールドでは、自分が一番輝いていると知っているからだ。
そこにはどんな天才であろうと、入り込む余地はないと自負しているからだ。
ものすごくカッコいい、自分の仕事に誇りをもって取り組む女性の姿がここにある。
わたしがわたしの「書くこと」に対して迷ったとき、必ずここに戻ってきたい。
そう思わせてくれるエッセイに出会えたことが、とても嬉しい。
この感想文のタイトルは、こちらの作品からお借りしました。
この小説も「書くこと」への向き合い方が綴られています。
書くことは、肺の奥深くまで酸素を入れること。自分を遠くまで羽ばたかせること。