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【横光利一『機械』】神は94年前、既に蛙化現象を描いていたっていう衝撃。【読書ノート】

世界的なはやり病の流行によって全国一斉に休校となり、時間ができたのをきっかけに、読書ノートをつけるようになった。
読んだ本全てを記録するのではなく、「この本は覚えておきたい」と思ったものを中心に手書きしている。
コロナが明けて以前の日常が戻ってきても、この読書ノートの習慣は変わらない。
最近、読んで、書いてというわたしの読書ルーティンに、「noteで記事を作成する」という新しい過程が加わった。
これまでも数冊取り上げていて、読書ノートのときは記事の形式を揃えてきたけれど……

いや、もう書きたいように勝手に書くわ。文章で。

一般的な書評サイトとかブログ参考に項目作ってたけど、正直面白くない。わたしは書評ブログやってるわけじゃない。
それを読んでどう思ったのか、自分のどんな経験と結びついたのか、どんな行動をしていくのか、それが大事でしょ?! 
だって、読んで感じるってことは極めて主観的な行為なんだからさァ……

ってことに、創作大賞感想文を書いて気づいた。

わたしの現時点での最高傑作です。
書き上がった時、「あ、これベストレビュアー賞もらった」と思いました。ほんとに。
コングラもらったから言ってるんじゃなく、本気でそう思った。
というわけで、課長と一緒に授賞式に参加することになりました。

わたしが自分の過去の記事を「読んで」という宣伝目的でリンク貼るの、本当にこれが初めてなの。
何ならこの記事も他の記事も読まなくていいから、これだけは読んでほしい。
感想文じゃなくて路地裏エッセイだって気もするけど、感想文なんてみんなエッセイだ。知らんけど。

ところで授賞式って何着たらいい?
寿司柄スカートはカジュアルすぎるし、課長のおかげでベストレビュアー賞もらえたんだから、やっぱりきのこ柄のフォーマルかなぁ?
きのこ柄の訪問着作ろうかな。授賞式は秋だし柄行き的にもちょうどいいと思う。
なんのはなしですか。

(相変わらず前口上が長い)


文学の神様・横光利一の作品は、初めて読む。
エンタメ小説はたくさん読んだけど、芸術としての文学というものにほとんど触れてこなかった人間なので、純文学に手を出そうとすると毎日が新鮮な出会いに満ちている。

まずは「これ抜きでは横光利一は語れない」という『機械』を読んだ。
概要は以下の通り。

『機械』(きかい)は、横光利一の短編小説。新手法を駆使した実験小説で、文学的独創性を確立し注目された横光の代表的作品である。あるネームプレート製作所で働く「私」の心理を通して、そこで起った作業員同士の疑心暗鬼と諍いから重大な結末に至るまでの経過を独白する物語。

Wikipedia『機械』より

初出は1930年(昭和5年)。
この時点で、この神は作中の「私」にこう言わせている。

しかし、私から見ていると私に笑われて奮然とするような屋敷がだいいちもうぼろを見せたので困ったどん詰りというものは人は動けば動くほどぼろを出すものらしく、屋敷を見ながら笑う私もいつの間にかすっかり彼を軽蔑してしまって笑うこともできなくなったのもつまりは彼が何の役にも立たぬときに動いたからなのだ。

岩波文庫版『機械』より

この場面の少し前、「私」は「屋敷」という製作所に手伝いにやってきた職人の有能さに魅せられ、同時に「馬鹿にされている」という劣等感にも似た感情を抱いている。
その、ある意味振り回されるような片恋をしていると言っても良い「屋敷」がある時、同じ製作所作業員の「軽部」に暴力を振るわれているのを見ての「私」の独白が上記引用部分なのね。
すごく簡単に言うと、

「好きな人が職場の先輩に殴られてんの見てちょっと笑っちゃったんだけど、その最中に変なムーブかましてたのマジでないわ」

ってこと。

これ、蛙化現象じゃん!!

神は、96年も前から蛙化現象をとらえて描写しているのだ。
分かるのよ、その感覚は。わたしにも。
小学生のころ、好きな男子が先生に怒られているのを見ただけで、嫌いになった経験とか、ありません? 
わたしはある。
中学生のころ、彼氏がキスしたことを友達に話しただけで「最低。別れましょう」となった経験、ありません? 
あれ、どこかで聞いた話な気がする。

好きな人の、なんかちょっとダサいなとか、嫌だなって部分を見てしまって全部嫌いになる。
でも、それって令和の時代に「蛙化現象」というネーミングをされたからこそ、「あるよねー!」と共感できるようになったことだと思う。
それぞれにこういう気持ちや経験は当然あるのだけど、名前がなかったから共通の文脈として語れなかったし、語ることでもないと意識もされず、流されてきたことじゃない?

それを、この神は絶妙な具合で、蛙が現象化する93年も前(蛙化現象が話題になったのは2023年)に世に解き放っているのだ。
令和から来たのか? 未来人か?
どうでもいいか。神なんだから。


(以下わたしの読書ノートから抜粋)

蛙化現象! この時代に?!
文芸の神様に、寝ぼけた頭を一発ぶん殴られた。
そんな気がした。
作中には主人公が軽部にぶん殴られ、アルミニュームの切片で頭を埋められる場面が出てくるのだが、そのときに殴られていたのはわたしの頭だった。

作業員同士の腹の探り合いから猜疑心が高まり、不協和音として響きにならない騒音が生まれ、やがて取り返しのつかない終局を迎える。
その過程を「私」の独白として描写していくのだが、視点がどうやらひとつではないように思える。
「私」が製作所の主人への忠誠心や、細君、軽部、屋敷への疑心に取り込まれてゆく様を克明に描き出している一方、その「私」を冷静に見つめ、分析している「私」も存在しているのだ。
読者は思考や感情が揺れ動く主体である「私」と、メタ認知としての「私」を行ったり来たりしながら、薄暗く、劇薬したたるネームプレート製作所を訪れることになる。

段落分け、読点、句点が排除された硬質な文体は、見た目にも「私」の頭を埋めたアルミニューム、もしくは平滑なネームプレートを彷彿とさせる。
そして呼吸という有機的な営みを奪われたまま文章を追うことになるが、全てが化学反応式のように寸分の狂いも過不足もなく、ぴったりとはまるよう、結末まで導かれてゆく。すっきり終わる、計算しつくされた世界のはずなのに、居心地が悪い。
人間ってたぶん、ある程度の揺らぎやいい加減さ、割り切れなさがないと、ダメなんだろうなぁ。


⬇️平成の蛙化現象


⬇️同じ作品を読んでの記事。自分にひきつけて読むのはしんどい。



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短歌OKってことなので、参加します。
もともと記事のない日は画像で一句の会の活動してたし⋯⋯
最近、短歌が本気で面白い。
文語表現はわたしの色じゃない気がして、良い年してまだJK歌人時代を引きずっているけど、それもまた面白い。

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