【小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』】知らない間に当事者になる【読書記録】
久しぶりに「記事にしたい」と心の底から思った本に出会った。
他にもたくさん感想を書きたい本はあるのだけど、エッセイを書く方が楽しくて後回しにしていたという方が正しい。
そして読んだ時の感情の鮮度がどんどん落ちていき、やがて胸の奥底へ埋もれてしまう。
この本は、そうなってしまうにはあまりに惜しいと思った。
……惜しい? 違う。
たくさんの人に読まれるべきだと思った。
小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』
第二次世界大戦に関する話を当事者たちから聞ける時間というのは、もういくらも残っていないだろう。
従軍経験やあるいは勤労奉仕の記憶となると尚更だ。
だからこそ、当事者から話を聞いた記録というのは積極的に目を通しておきたい。
このノンフィクションは、詩的で情緒的。一見するとフィクションではないかと思われる文章で綴られていく。
しかしながら、これは紛れもなくノンフィクションである。
なぜなら、筆者の膨大な聞き取り調査及び文献調査から描き出された、無数の「女の子たち」の声だからだ。
この物語の主人公である無数の「女の子たち」は終戦時に16歳、17歳になっていた女学生。
具体的には、東京の雙葉高等女学校、跡見高等女学校、麹町高等女学校の女の子たち、そして彼女たちが憧れた宝塚歌劇団の少女たちの物語だ。
彼女たちは、恵まれた環境で育ち、学び、憧れの上級生と密やかに親しくなってゆき、そして知らず知らずのうちに戦争の担い手となっていく。
その過程に彼女たちが意図していたことは何ひとつない。
それでも、風船爆弾の製造に従事することで戦争の当事者となり、誰かの命を奪うことになる。
「こんなに酷いことなのよ」とその怖さを後世の読者に言い聞かせるわけではなく、淡々と当時の少女たちが感じていたままに、美しい言葉で紡がれてゆく。
戦争を知らないわたしでも、そのあまりの平常、日常に飲み込まれそうになる。
読み終えてから、少女たちが戦争の当事者となっていくことに違和感を覚えていなかったことに気がつき、そのことに衝撃を受けた。
戦時中だから。
国全体がそういう雰囲気だったから。
いくらでもその違和感のなさに対して弁明することはできる。
でも、わたしは知っているはずだ。
意図せず、国の、世界の潮流に巻き込まれ、自分で考えることなく誰かを責め、忌避していた時代があったことを。
コロナ禍の時代を。
マスクをしない人を白い目で見ていたわたしはいなかったか。
同僚や勤務校の児童が感染したときに少しでも恐怖を覚えなかったか。
飲み歩いているという芸能人の報道を見て、嫌悪感を抱かなかったか。
そのことに、違和感を感じていなかったのではないか。
戦時中からわたしのやっていることは変わらない。
みんながこうすべきだと言っているから。
社会がそうなっているから。
とりあえず従っておき、はみ出さないようにしよう。
そんな意識が「意図せず」戦争の当事者となり、コロナに罹患した人々に生きづらさを感じさせた。
そのことを突きつけられた気がした。
本文中に、何度も繰り返し
というフレーズが出てくる。
意図せず戦争の担い手となった女の子たちも、やがて積極的に介入していく。そんな心もちで働き始める。
そのことを良いとか悪いとか言いたいわけでも、断罪したいわけでもない。
ただ、そうなってしまうのだな、と受け止めるだけ。
わたしの身に何が起きているのか、何を要求されているのか。
コロナ禍を経験した者として、せめて自分の頭で考えるということを忘れないようにしたい。
閑話①
ましゃこさんのところで面白い診断を見かけたので、わたしもやってみました。
遊びだけど、こういうの楽しくて好き。
わたしっぽい漢字一文字はこれでした。
エッセイスト的には強みしかないから喜んでおきます。
けどこれあれよね、暗に「社会不適合者」って言われてるよね。
閑話②
投稿から1ヶ月経ちました。
たくさん読んでいただき、ありがとうございます。
あまり🩷の数には惑わされないように、フラットでいようと思ってはいます。
どんな記事も、わたしの中から出てきた言葉で編まれている大切なもので、そこに良いも悪いもないと思っているから。
でも、固定に置いているとはいえ、🩷300とか未知の領域で思わずスクショしました。
無名なのにすごいねわたし、って浮かれちゃっているので、今日だけは許してください。
本当にありがとうございます。
noteの外からも読んでいただいているみたいです。
わたしは書いて世に送り出しただけ。
読んで広めて下さった方々のおかげです。
まずは中間発表。結果を待つ時間も楽しいです。