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『神に遣わされる』

2024年2月25日

 今日はヤコブの子、ヨセフについてお話しさせていただきます。ヤコブは前回、話をさせていただいたヤボクの渡しで神の人と格闘したことで自分が神の祝福のなかを歩んできたことにようやく気付きましたが、ヤコブの苦難は続きます。ヤコブには13人の子供が生まれました。レアとの間にルベン、シメオン、レビ、 ユダ、イサカル、ゼブルン、ディナ。ラケルとの間にヨセフ 、ベニヤミン。レアに仕えていたジルパとの間にガド 、アシェル。ラケルに仕えていたビルハとの間にダン、ナフタリが生まれました。この内、ディナは女性でレビが祭司の民となり、ヨセフを除く10人とヨセフの子として生まれるエフライムとマナセがイスラエルの12部族となっていきます。そして長子の権利はヨセフを通してエフライムへと引き継がれることになります。
ヨセフは男兄弟のなかで11番目に生まれたのでヤコブはヨセフを偏愛しました。裾の長い晴れ着をヨセフのためにつくってあげたとありますので後継ぎとして扱っていたという見方もできます。(創世記37:3)裾の長い服は後継ぎの象徴、長子の権利を持つということでもありました。恐らくヤコブにはそこまで特別扱いをしていたわけではなかったと思いますが、ほかの兄弟たちはヤコブを妬みます。また、兄弟たちの行いをヤコブに告げ口をするなどしたため、兄弟たちはヨセフを嫌うようになります。そんな時、ヨセフは夢を見るのです。

■創世記37:7
「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。 7畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」

■創世記37:9
「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」

太陽は父、月は母、星は兄弟たちを意味していたため、さすがに父ヤコブすらも呆れるのですが、このことは単なる無邪気な子供の夢ではなく、何かあるのではないかとヤコブは心にとめます。ところが兄弟たちは我慢の限界だったようで憎しみのあまりヨセフを殺してしまおうと考えるようになります。
そしてある時、ヨセフが兄弟たちの元へ使いでやって来た時、ヨセフは捕らえられてしまうのです。兄たちは殺そうとしますが、長男のルベンがそれを止め、ヨセフは空の井戸に落とされてしまいます。考えたあげく通りかかったミディアン人の商人たちへヨセフを奴隷として売ってしまうのです。
それから商人の一隊はエジプトへ行き、ヨセフはそこで奴隷としてまた売られてしまいます。ヨセフが売られたのはエジプトの王宮の侍従長ポティファルの家でした。ヨセフは奴隷の身分でしたが、非常に容姿と才気に恵まれていたので、よく主人に仕え、働きが認められてついには主人の家の管理を任されるまでに至るのです。
ところが、主人の妻はヨセフ容姿が良いことに自分のものにしようと誘惑します。ヨセフはそれを拒んだため、主人の妻はヨセフを憎み、罠にかけてしまうのです。罠にかけられたヨセフはまたも急転直下、主人の怒りを買い、牢獄へ入れられてしまうのです。
牢獄とはいっても主人が高官であったため、ヨセフの入れられたのは比較的地位の高い人が入れられるようなところだったようです。ヨセフが牢に入れられていた時、2人の王の給仕役と料理役が投獄されてきます。2人が何をしたかまでは聖書に記されていませんが、王の怒りを買い、ヨセフのいた牢獄へ入れられました。そんな時に給仕役と料理役の2人はそれぞれ夢をみるのですがそれが何を示すものなのか悩んでいました。
そこでヨセフは2人の夢を解き明かすのですが、3日の内に給仕役は王に赦されるが、料理役は赦されず処刑されてしまうというものでした。(創世記40:1~23)こうしてヨセフが解き明かした通りとなるのですが、赦された給仕役にヨセフは自分が無実だということを王に口添えしてくれるようにと頼みます。しかし、給仕役はそのことを忘れてしまったのです。不運の連続ですね。

それから2年経ち今度はエジプトの王が2度に渡って不可解な夢を見ます。王は気になって仕方なく、この夢にはどんな意味があるのかを知ろうと、エジプト中の知識者、法術師などを集めて見解を求めますが誰もできませんでした。

■創世記41:1~8
二年の後、ファラオは夢を見た。ナイル川のほとりに立っていると、突然、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。そして、醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオは、そこで目が覚めた。ファラオがまた眠ると、再び夢を見た。今度は、太って、よく実った七つの穂が、一本の茎から出てきた。すると、その後から、実が入っていない、東風で干からびた七つの穂が生えてきて、実の入っていない穂が、太って、実の入った七つの穂をのみ込んでしまった。ファラオは、そこで目が覚めた。それは夢であった。朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。

夢の内容はそんなに難しいものではないように思えますが、相手はエジプトの王でしたから、解き明かしには自分の命をかけなければなりませんでした。そもそも王が勝手に見た夢など単に気のせいかもしれないのに無茶ですよね。魔術師と賢者を集めたところで答えられる筈などないのです。
でも、ここでかつて王に赦された給仕役がヨセフを思い出して王に話し、ヨセフは牢から出されて王の前に呼び出されました。ヨセフはあっさり王の夢を解き明かします。

■創世記41:25~34
ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。

ヨセフはこのことを通してエジプトで王に次ぐ最高権力者になったのです。
ヨセフの物語を見ると何とスケールの大きな波乱万丈な人生なのだろうと思ってしまいます。このヨセフですがエジプトに売られてやってきた日が後に特別な日とされます。その日が何の日かわかるでしょうか。


【まとめ】


少し前になりますが日本の無人探査機SLIMが月に無事着陸したというニュースがありました。そのなかで探査機に日が当たらなくなってまた暫く休止状態に入るとのことでした。その時、月面の日中の温度は100度で夜間は-170度になるということでした。皆さん、地球上で夏と冬の気温の差がどうしてできるか知っているでしょうか。私は公転の楕円軌道の差だと思っていたのですが、実は太陽にどのくらい当たるかということで差が生じるらしいです。夏は太陽に対して入射角が70度、冬は入射角が40度くらいだそうです。勿論、天候なども気温に影響する訳なのですが、なにが言いたいかというと私たちの地球は人間が生きる環境を絶妙にコントロールされているということです。少しでも日のあたりがずれていたら生きられない環境になってしまうのです。

ヨセフは父ヤコブと対照的です。
素直で度々、失望のどん底に追いやられるような境遇にあっても自暴自棄にならずに神に頼ることを忘れませんでした。確かにほかの10人の兄弟たちよりも勝るものがあったと言えると思います。もしかしたら、父ヤコブがヨセフをかわいがるなかで自分の経験してきたことをよく話して聞かせていたのかもしれません。ヨセフは後に自分の兄たちに言っています。

■創世記45:7~8
神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。

エジプトに売られたのは兄たちに陥れられたためでしたが、ヨセフは神によって遣わされたと受け取っていました。ヨセフは苦難の数々を神によって遣わされているが故だと信じていました。人間ですから不安になり、神を信じられなくなりかけたりもしただろうと思いますが、いつも神はヨセフの道を絶妙にコントロールして助けました。
不思議なのですが、エジプト王はヨセフが豊作と飢饉の夢を解き明かしたところでヨセフに最高の権威を与えています。夢がまだその通りになっておらず、ヨセフは出まかせを言っているかもしれなかったのにです。

■創世記41:38~40
ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」

これはヨセフが別のところでも認められていたからだと思います。投獄されていたときも監守長に信頼されていて獄中のことはすべてヨセフにゆだねられていました。そういったことが積み重ねられて神は王の心を動かされたのだと思います。

時に信仰の道はひとり孤立して、助けとなる仲間がまわりで見えなくなることがあります。そのような時、神はその人を特別な目的で遣わしているのだと私は思います。助けはないように思えても絶妙なタイミングで神は助けられます。そして神は特別な目的と計画を告げられる筈です。

ヨセフがエジプトに売られてきた日は430年後にイスラエルの民が解放されてエジプトを出発する日となります。その日のことについては後にまた詳しくお話しさせていただきますが、これが神の成されるコントロールなのです。

次回はヨセフの物語の後半の話をさせていただきます。

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