見出し画像

『荒野の40年の証し』

2024年5月26日

 前回はペンテコステの話で白熱してしまい、2週に別けてお話をさせていただきました。準備させていただいた話が半分しかできないなどというのは私もはじめての体験なのですが、先週のペンテコステの祈りの時をみて神が皆さんに触れられていてそうされたんだなと強く思います。

さて、今日はイスラエルの民がエジプトを脱出して1年数か月(推定)、ついにカナンの地に着くところの話をさせていただきます。出エジプト記はイスラエルが神の命令に従って幕屋と契約の箱を中心とした礼拝器具をつくったところで終わっています。幕屋に関しては面白いので別な時にじっくりお話しできるようにしたいと思います。その幕屋はすべての礼拝器具が整えられて2年目の第一の月(ニサン)の1日目に幕屋が建てられたと記されています。(出エジプト40:17)そしてイスラエルの民は神とともにシナイ山を出発します。聖書の書簡では出エジプトの次がレビ記になっているのですが、レビ記は神がイスラエルの民に対して語った守るべき命令を事細かに記しています。そのひとつひとつには深い意味があり非常に重要で面白いのですが、レビ記に入ってしまうとカナンの地にたどり着けなくなってしまいそうなので、必要な時にレビ記を引用していきたいと思います。

少し話が逸れますが、創世記から出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の書簡はモーセ五書と言われ、諸説ありますが、一般にはモーセが記したとされています。ユダヤ教ではこのモーセ五書をトーラとして最も重視しています。
民数記にはイスラエルがシナイ山に着いたときに文字通り民の数が数えられレビ人が贖いのために聖別されたところから記されています。続いてシナイ山を出発したのが2年目の第二の月(イヤール)の20日だったとあります。(民数記10:11)そして、出エジプトの話は民数記に引き継がれていきます。

イスラエルの民は長旅の末、ようやくカナンの地を前にします。そこで、神はモーセにカナンの地を偵察するように命じます。

■民数記13:17~20
モーセは、彼らをカナンの土地の偵察に遣わすにあたってこう命じた。「ネゲブに上り、更に山を登って行き、その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否かを。あなたたちは雄々しく行き、その土地の果物を取って来なさい。」それはちょうど、ぶどうの熟す時期であった。

40日後に偵察した者たちは帰ってきて、カナンは確かに乳と蜜の流れる所だったと報告し、2人で担いできた枝ごとのぶどう、ざくろやいちじくなどを見せます。よく、巨大なぶどうを2人で担いでいる絵などをみますが、さすがにそんな巨大なぶどうはないんじゃないかと思います。恐らく、よく成長していることがわかるよう、または、ぶどうが長持ちするよう大きく枝ごと切ったので2人で大事に運んだということではないでしょうか。いづれにせよカナンの地は非常に実りに恵まれた土地でした。しかし、それはよい知らせにならなかったのです。

■民数記13:28~29
しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。

■民数記13:32~33
イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」

この結果、民全体に動揺が伝わり「エジプトへ帰ろう」と泣き言を言い出す始末で手に負えなくなります。こうしてカナンの地を前にしながらイスラエルの民は約束の地に入れず、40年も彷徨うことになります。
こうなることを神は知っておられながら、どうして神は偵察などに行かせたのでしょうか?


【まとめ】


もし、神が力づくでイスラエルの民をカナンの地に入れようとしたら、偵察などさせなかったのではないかと思います。エジプトを出発した時に神は海沿いの短距離ルートを避けてイスラエルの民を導きました。戦いに民が恐れをなしてエジプトへ引き返そうとするかもしれないと配慮されたからです。ところが、このカナンの地目前の場面ではその配慮がされませんでした。
聖書には「40」という数字がよく出てきますが、出エジプトの話のなかにも「40」が出てきます。
「40」は「神に試される」ことを意味しています。偵察の日数は40日間で選ばれたのはイスラエル12部族の長であった人々でした。12人のうち、10人が失格したのです。

■民数記14:6~10
土地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、衣を引き裂き、イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」 しかし、共同体全体は、彼らを石で打ち殺せと言った。主の栄光はそのとき、臨在の幕屋でイスラエルの人々すべてに現れた。

神はイスラエルに対して怒り、滅ぼそうとされますが、モーセが執成しによって赦す形になりました。但し、ヨシュアとカレブ以外はモーセ、アロンも含めカナンの地には入れず、偵察した日数に応じて40年間、荒野を彷徨うことになると民全体に告げられました。

神にはこういう結果になるとはわかっていた筈なのです。
出エジプトは何度も言ってしまいますが写し絵です。イスラエルの民はそのために神に選ばれました。選ばれたのはイスラエルの民のためではなく、まわりの民がイスラエルの民を通して神を知るようになるためです。それはちょうどヤコブ(イスラエル)がすぐ近くに神がおられて祝福しているにも関わらず理解できず、まわりの人間がヤコブの神が真実だと気付くのと同じです。

このカナンの地の偵察の話の中で「モーセは、ヌンの子ホシェアをヨシュアと呼んだ。」(民数記13:16)と記されています。「ホシェア(ホセア)」は「救い」という意味で、「ヨシュア」は「神は救い」という意味になります。同じような意味なのですが「神」が救われるということを強調している形となり、以降、「ヨシュア」の名で呼ばれ、モーセから民を引き継いでヨシュアはカナンの地に入ることになります。
もう、お気づきかもしれませんがヘブライ語の「ヨシュア」はギリシャ語の「イエス」で、これも偶然ではなく神の意図によるものでカナンの地は明示的に神の国を示しているのです。つまり、モーセによる律法の契約のもとでイスラエルの民は神の国を見出すことができなかったのです。

■申命記8:2~10
あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。

出エジプトの物語で最大の見せ場はモーセを通して海が割られるシーンかもしれませんが、最大の奇跡はイスラエルの民が40年間、荒野を放浪したことだと私は思います。

皆さんはエリコの街の話を聞いたことがあるかもしれません。エリコの街はヨルダン川が死海にそそぐ河口から北に15Kmほど行った西岸に位置していました。考古学上、最も古い町として知られており、発掘調査によるとヨシュアの時代のエリコの町は2重の城壁に囲まれていて、厚さは2~4メートル、高さは7~9メートルあったそうです。城壁の上は戦車が通れるようになっていたとの話もあり、それほどの建造物を造る技術や組織力を持った人々との戦いだったのです。対してイスラエルは鉄製の武器すら持っていなかったようです。
そういう状況でヨシュアに率いられたイスラエルの民は40年を経てヨルダン川を東側から渡り、エリコの街に迫りました。本来なら問題なくイスラエルの民を排除できたのではないかと思いますが、エリコの街の人々は城壁を固く閉ざして出てこなかったのです。子供向けの聖書物語では城壁の周りをぐるぐる回るイスラエルの民をエリコの人たちがあざ笑うシーンが出てきますが、そうではなくエリコの人たちはイスラエルが恐ろしくてどうしようもなかったのです。

■ヨシュア5:1
ヨルダン川の西側にいるアモリ人の王たちと、沿岸地方にいるカナン人の王たちは皆、主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を涸らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、もはやイスラエルの人々に立ち向かおうとする者はいなかった。

もしかしたら、エジプトで海を割った奇跡の噂も聞いていたかもしれませんが、彼らが恐れたのは現実に何もなく生きられる筈のない荒野で40年も彷徨ったうえに途中の街を滅ぼし、やってきた200万人以上の得体のしれない人たちだったのです。ゾンビの大軍勢に襲われるような気分だったのではないかなと思ってしまいます。
イスラエルの民が人だったとしたら、イスラエルの神こそは真実だと認めざるを得ない状況に追い込まれていたのではないでしょうか。

「40」が「神に試される」という話をしましたが、これは苦行や単なる困難ではありません。本当の意味で神とその人が向き合う時間でもあるのです。

■申命記8:3
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

荒野の40年は失敗による結果だったかもしれませんが、尚、神はヨシュアによる救いの道を示されました。
神の意図によって私たちは生かされて、子として訓練されているということを知らなければならないと思います。そして周りの人たちは私たちを見て、神を知るようになるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?