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No.12 『成長させるのは神』

 第2伝道旅行の話は前回で終わりましたが、パウロはすぐに第3伝道旅行に出発しています。(使途言行録18:23)その話は次回からしていきたいと思います。今日は少し謎の人物であるアポロについて触れていきます。
第2伝道旅行の終わりにパウロはエフェソに立ち寄ってからアンティオキアへ帰りますが、そのエフェソにコリントから同行していたアキラとプリスキラが残ります。そして、キリストについて熱心に語る雄弁家のアポロに出会うのです。

■使途言行録18:24~28
さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。

アキラとプリスキラはこの大胆な雄弁家アポロを密かに招いて神の道を正確に説明したとあります。面白いのはここで「プリスキラとアキラ」と逆転して表現されているところで妻であるプリスキラが黙って見ていられなかったのではないかと思ってしまいます。アポロは聖書に精通していましたが聖霊のことをまったく知らなかったためです。
このアポロはアレクサンドリア生まれで謎の多い人物です。エルサレムの初代教会に関係していれば聖霊の話を聞いたことがない筈はないのです。恐らくアポロはエルサレムから離れたアレクサンドリアにおいて独学でキリストを知るに至ったのではないかと勝手に推測します。
アレクサンドリアはエジプトの地中海沿岸の都市でカイロから北西に200kmほどに位置します。地理的に見るとエルサレムの初代教会と接点がないように思えますが、実は大きく関係しています。キリスト時代に旧約聖書は既に当時の公用語であるギリシャ語に訳されていました。ですから、キリスト教が世界に広がるのが早かったのです。このギリシャ訳の聖書は70人訳聖書と言われ、約70人のユダヤ人によって急遽、翻訳されたと言われていています。そのため少し不正確な部分も含まれています。そして、70人訳聖書が翻訳されたのがアレクサンドリアでした。
ちなみに私たちプロテスタント教会が使っている聖書の原典は9世紀の写本であるマソラ本文に回帰していると言われていますが、一部、70人訳聖書の影響なども残っています。カトリック教会は70人訳聖書の流れを汲んでいて私たちが旧約聖書の聖典として認識していない書簡を旧約聖書に含んでいたりしており、新共同訳聖書はそれらを網羅してプロテスタント、カトリック両方で同一の聖書を使えるよう編纂されたものです。

さて、アポロに話を戻します。アレクサンドリアにはバプテスマのヨハネも所属していたエッセネ派の拠点があったと言われています。こういった影響を強く受けていたのかもしれません。
何となくではありますがアポロ、パウロに並ぶ癖の強さを感じます。


【まとめ】


パウロとアポロは何時、接触したのかは聖書に記されていないのでわかりません。先の聖書の箇所で「アポロがアカイア州に渡ることを望んでいた」とあります。アカイア州とはアテネやコリントの地域です。これに対し、パウロはコリントの手紙の中で次のように書いています。

■1コリントの信徒への手紙16:12
兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。

パウロはこの手紙を第3伝道旅行でエフェソに滞在した際に書いているので、アポロがアカイア州へ出発した後ということになります。つまりアポロはコリントではなく本当はアテネに行くことを願っていたのではないかと思います。アテネは学問と知識に満ちていた街でしたからアポロには興味があったのではないかと思います。プリスキラとアキラに正確な神の道を示されたことについては細かく書いていませんが、素直に受け入れたような感じになっています。これはプライドよりも知識欲が勝っていたからではないかと思います。
パウロは自分とよく似たアポロをわかっていたのでコリントに行くことを強く勧めたのではないでしょうか。しかし、アポロはパウロと似ているがゆえに当初、コリントに興味が無かったのでしょう。初期のパウロのようにアカイア州のユダヤ人会堂でキリストを論証してまわったようです。
アポロがアテネに行ったかどうか記録がないのでわかりませんが地理的に見ると行っただろうと私は推測します。そこで何を経験して感じたのかわかりませんが、もしかするとパウロと同じような体験をしたのかもしれません。
この部分で本当にさすがだなと思うのはプリスキラとアキラです。
これも勝手な想像ですけど、この2人もパウロと同じく、アポロがコリントに行く重要性を認識していたのではないかと思うのです。アポロがコリントの教会を訪れたか書いてないのでわかりませんが、プリスキラとアキラの手紙によってコリントの信徒たちとアポロは接点をもったようです。コリントの第一の手紙のなかでコリントの教会内でパウロ派、アポロ派など派閥ができたことが書かれていますが、この時点でアポロはコリントを訪れていません。それなのに派閥ができるほどの影響が出ていたことが書かれていますので、プリスキラとアキラはパウロよりも上手にアポロを誘導したような気がします。面白いですよね。

■1コリントの信徒への手紙3:5~9
アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。

「成長させてくださるのは神」というのはユダヤ人の収穫に関する考え方に沿っています。
パウロもアポロも非常に大きな働きをしましたが、その彼らでさえ成長させたのは神です。大きく用いられると自分を誇りたくなってしまうのが人間ですが、周りの人たちを通して神に助けられて成長しているということを忘れないよう弱さも持つべきだと私は思います。パウロやペテロに名前が並んだアポロですが、プリスキラとアキラには頭があがらなかったのではないかなと思います。
私の教会にもプリスキラを思わせるような婦人がおられて少し可笑しく思いながらこの記事を書きました。

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