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『ヒエラポリスにフィリポの足跡を追って』

 2023年にトルコに行ってきました。トルコの地は聖書で小アジアとして多数の地名が出てきておりキリスト教が世界に広がるにあたって非常に重要な役割を果たしています。初代教会はエルサレムで起こりますが紀元70年、ユダヤ人反乱に対してのローマの攻撃によりエルサレムは陥落して荘厳な神殿も崩壊してしまいます。それにともなってユダヤ人は各地へ散らされることになりました。クリスチャンもエルサレムにいられなくなりますが、活動の中心はギリシャ、小アジアに移っていきます。エルサレム陥落前にこの地域でパウロたちによって異邦人伝道がなされたことがここで大きく実を結んでいくことを思うと神の計画は完璧でひとつも無駄になることがないと本当に実感して感慨深いものがあります。
今回の旅では石灰棚で知られるパムッカレ、そこに隣接するヒエラポリスの遺跡を見てきました。

パムッカレの石灰棚

本当はエフェソにも行きたかったんですが、今回は断念ました。何故かというと、時間が取れなかったのです。
トルコへのツアー旅行だと、トルコの見所をほぼすべて網羅できるのですが観光地の距離が離れているため、ツアーの大半はバス移動に取られてしまい各観光地で自由に遺跡などを見る時間がなくてもったいないのです。
トルコは広大ですからとにかく移動に時間がかかります。私たちはゆっくり見るためツアーをやめて、行く場所を絞ることにしました。なので、エフェソは次回、思いっきり時間を取って見に行きます。

今回訪れたヒエラポリスは紀元前190年前から温泉が湧く地として都市が建設され、ローマの支配下に入ることで本格的な温泉保養の都市として繁栄します。現在、遺跡で見られるのはローマ時代につくられた建物の跡です。人口は10万人以上とも言われユダヤ人が5万人も住んでいたという話もあります。実際に多くの墓があるネクロポリスにはメノラー(7本の燭台)が刻まれた墓があります。

ヒエラポリスの広大な遺跡


保存状態が完璧なローマ時代の劇場

パウロがこの地を訪れたという記述はないのですが同労者のエパフラスがヒエラポリスと近くのラオデキア、コロサイの教会を立ち上げたと言われており、コロサイ書はパウロがコロサイの教会に宛てていますがラオデキアの教会にも回覧するよう指示しており、恐らくヒエラポリスの教会でも回覧されただろうと推測します。ちなみにコロサイは冷たい水が湧き出ることで知られており、ラオデキアの街はコロサイから冷たい水を、ヒエラポリスから温泉を引いていたようで水道管が残っているようです。ただ、近いとは言っても水はどちらも生温い状態になっていたのではと考えられていて、黙示録でラオデキアの教会が生温いと指摘されている部分はこのあたりにかけて言われているのかもしれません。
それからヒエラポリスは12弟子のフィリポが殉教した地として礼拝堂が建てられており、フィリポの墓とされている遺構も残っています。礼拝堂は大地震で崩れてしまっていますが墓は盗掘されて何もない状態ながら残っています。フィリポの墓の信憑性については絶対とは言い切れませんが、ヒエラポリスは紀元前からキリスト教が国教とされるまでローマの支配下にあったため恐らく記録は正確に残っていたのではないかと考えられます。

 

フィリポのものとされている墓

今回はそのフィリポについて少し話をさせていただきたいと思います。十二弟子のなかのフィリポの記述は少ないのでどのような性格をしていたのかわかりませんが個人的には素直な人間だったのではないかと思います。そのフィリポなのですがシンボルには十字架、そして場合によっては竜がでてきます。

フィリポのイメージ像

フィリポはキリストを現代のウクライナからトルコ中央部にかけて宣べ伝えていたと言われています。ある時、ローマの軍神マルスを拝むように強要されましたが、その際に軍神マルスの柱の下から大きな竜が現れてマルスの神官の息子を殺しフィリポを捉えていた2人の兵まで殺し、さらに竜は毒の息を吹きかけてその場にいた多くの人々を病気にしたそうです。フィリポは病気になった人たちに呼びかけてキリストを信じるように促し、人々は悔い改めてキリストを信じたとのことでした。そしてフィリポは病人を癒し、死者を生き返らせたとされています。
その後、ヒエラポリスに赴き異教の人たちに捉えられて2人の娘とともに十字架につけられて殉教したと言われています。

伝承なのでどこまで真実なのかはわかりません。一説だと竜の出来事はヒエラポリスでのことだという解釈もあります。フィリポが殉教したとされる場所はヒエラポリスの街から少し離れた小高い丘の中腹にありました。十字架にかけてさらし者にしようとしたのだろうなと思いました。当時、温泉療法は医学のひとつと考えられていてヒエラポリスには門の外に大浴場があって疫病などが街内に持ち込まれることがないよう病気を落として街に入るような仕組みになっていたようです。ですから、死に関しても街の外である必要があったのだと思われます。

 少し話が反れますがヒエラポリスにはアポロ神殿の近くに冥界の神プルトを祭った場所があります。核物質のプルトニウムの語源になった冥界の神プルトはギリシャ神話のハデスからきています。

プルトの神殿跡


ハデスは冥王など負なイメージが強いため繁栄と富を示すプルトと呼ぶようになったとのことです。ヒエラポリスのこのプルト神殿には冥界へ通じる穴があるとされ近づく者には死がもたらされました。実際、近年まで穴から有毒なガスが出ており近づくのは危険なので立ち入り禁止にされていました。有毒ガスは二酸化硫黄などの火山性ガスだったことが判明していますが長らく謎とされていました。
ヒエラポリスのプルトの神官は有毒物質の正体は知りませんでしたが、空気より重いこと、吸い込まなければ死ぬことはないことなど特性をよく知っており神官たちは動物を連れて穴に入り、自分たちは息を止めて入りプルトに仕える神官たちだけが生きて戻ってくるというパフォーマンスをしていたようです。
神殿の穴(写真の掘り下げられた部分)の周りには観客席のようなものがあります。こうやって大衆を欺いて富を得ていたのではないかと思われます。ここからフィリポの伝承を考えると似たようなことが軍神マルスの神殿でも行われていて、突如異常に噴出した濃度の濃い火山性ガスが竜として語られたのかもしれません。それを封じて大衆の目を覚まさせてしまったことで神官たちは富を失ったのではないかと推測します。さらにはその神官たちはコミュニティで繋がっておりヒエラポリスの神官たちは富を失うのを恐れてフィリポを死に追いやったのではないかと考えてみました。
マルス神殿での出来事がヒエラポリスで起こったことだというとらえ方も多く見受けられますが、ヒエラポリスでマルス神殿の跡は見つかっていないのでマルス神殿という部分が誤って伝えられたのか、あるいは別な場所で起こった出来事だったのかというところではないかと考えてみました。

私には考古学の知識がないので見たものから勝手に推測するに過ぎないのですが、実際の遺跡を見てコロサイ書を読みながらあれこれ考えるのはとても面白くて有意義でした。

 コロサイ書ではパウロがローマの獄中から虚しいだましごとに惑わされたりしないよう書き送っています。この地域では偶像の神殿でのだましごとや愛のない哲学的な思想などがはびこっていたのだと思われます。フィリポは素直にそれらのものを潰してまわったようです。こうした働きによってキリスト教が迫害される時代に多くのクリスチャンを受け入れる土壌ができていったのだろうと思います。

有名なカッパドキアもギリシャ方面から逃れてきたクリスチャンが洞窟のなかに共同体をつくった跡なのだそうです。
地上の奇岩地帯だけでなく地下何回層にも掘られたアリの巣のような都市があり何万人ものクリスチャンが共同生活していたそうです。下の写真の四角い穴は洗礼槽の跡で水の代わりに葡萄酒を満たして洗礼を行ったそうです。

デリンクユ地下都市の洗礼槽

もし、初期の教会形成の時代に小アジアに異邦人伝道がされなかったらカッパドキアは単なる奇岩群でこれほど有名になることはなかっただろうと思います。

異邦人伝道では成果が確認できなくて苦労も多く伝道の意義に多くの疑問を感じたのではないかと思いますが、神はひとりひとりの働きを細かく織り合わせて世界宣教の下絵をつくられたのだと感じることができました。

皆さんもトルコに行くことがありましたら、じっくり見て回ることをお勧めします。ただ、あまり英語が通じないので苦労することもあります。

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