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『荒野に備えられた道』

2024年6月23日

 暫く出エジプトの話をさせていただきましたが、礼拝ではサムエル記が語られていますのでバイブルクラスは今週からルカによる福音書を中心にキリストの歩みについてお話しさせていただきます。
ルカによる福音書はバプテスマのヨハネの誕生から記されており、キリストの誕生告知に先立つ6か月前、祭司であったザカリアは神殿の務めで聖所に入り、香をたいている時に天使ガブリエルが現れて告げられます。

■ルカ1:8~17
さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」

ザカリアは妻、エリサベト(アロンの家の出で祭司の血族)とともに非のうちどころがないと言われるほど神の前に正しい人であったとあります。にもかかわらず、天使を見た時、不安のあまり恐怖を覚えるほどであったと記されています。祭司の立ち位置からしてもこの時代、神からの応答が久しく無かったことがわかります。旧約聖書の最後の預言から約400年間、預言がなされていませんでした。
そして、ザカリアは高齢だったためにこの天使の言葉を疑って信じることができませんでした。そのため、天使ガブリエルは事が実現するまでザカリアの口が利けないようにしてしまったのです。

やがて不妊と言われたエリサベトは妊娠して、男の子を産みます。そして名をつけようとして親類が思いめぐらしていた時、エリサベトは「ヨハネ(神は恵み深いとの意)」と名付けなければならないと主張します。しかし、レビ族のザカリアの家系で「ヨハネ」と名のついた者はいないので、親類たちは父であるザカリアに意見を求めます。ザカリアは口が利けませんでしたから筆談で「この子はヨハネ」と書きました。
すると、利けなかった口が開いたばかりでなく、聖霊に満たされて賛美と預言をしました。(ルカ1:68~79)
この出来事は広く知れ渡るようになり、ヨハネについて「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と噂され、400年を経て預言者の出現が期待されたのです。

ところが、このヨハネについては誕生からの話が聖書に記されておらず、突然、成人したヨハネが登場します。ただ一言、「幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。」(ルカ1:80)とあるのみです。両親はレビの祭司の家の出ですから、家族で荒れ野に暮らしていたとは考えられず、ヘロデが2歳以下の男の子を虐殺した際もヨハネについては記されていませんので幼くして両親の元を離れ荒野に住む人々に預けられた可能性が高いと思われます。

どうしてザカリアとエリサベトは幼子のヨハネを人手に、しかも荒野に住む人たちへ預けたのでしょうか。


【まとめ】


通説によると、ヨハネはエッセネ派に属していたとあります。エッセネ派はユダヤ教各派の内、最も厳格に律法を忠実に守ろうとした人々でエルサレムの俗世間を離れて清さを保とうとしたようです。マタイによるとヨハネはラクダの毛衣をまとい、腰には革の帯、いなごと野蜜を食べていたとあります(マタイ3:4)
もしかしたら祭司であるザカリアは祭司の腐敗を見るが故に、神の使命を持ったヨハネをエッセネ派に預けたのではないでしょうか。

バプテスマのヨハネの出現については旧約聖書に預言されていますが、最も明確に記されているのは旧約時代の最後の預言のマラキ書ではないかと思います。マラキ書には当時のエルサレムがおかれていた状況さえも明確に預言されているからです。

キリストの時代を少し遡る紀元前356年にマケドニアに生まれたアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)は王位を継承すると瞬く間に東地中海沿岸からアラビア海のパルティアに至る広大な地域を支配しますが、紀元前323年に彼が死去すると、配下の将軍たちで後継者争いが勃発(ディアドコイ戦争)、大国は3つ(マケドニアのアンティゴノス朝、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝)に分裂します。
パレスチナ地域はセレウコス朝の支配下で神殿は略奪され、偶像礼拝を強要されるなどユダヤ人が虐げられていきます。紀元前167年、祭司だったマタティアと息子ユダ・マカバイたちがセレウコス朝に反乱(マカバイ戦争)を起こし、セレウコス朝シリア軍との激戦の末に神殿を解放します。ユダ・マカバイは戦死しますが後に指導者となったヨナタンがセレウコス朝と講和を結びシリアの支配を受け入れる代わりに信仰の自由を勝ち取り、ヨナタンはセレウコス朝から大祭司を任命されることになります。こうして大祭司職と王位を兼ねたハスモン朝が誕生しますが、地位をめぐった醜い権力争いが頻発して混乱、その隙にセレウコス朝の敵対勢力であったローマ帝国に取り入り、その力を借りてヘロデが王位につくことになります。ここでハスモン王朝は実質終わりました。
ヘロデが王になってから大祭司はヘロデによって任命され、ヘロデの死後はローマの総督によって任命されるという財力で権力を買うような全く意味のない状態になっていたのです。
律法においては財力のある大祭司職を中心としたユダヤ人の金持ちが神殿を牛耳りサドカイ派を形成していき神殿ですら金儲けの道具にしてしまいます。一方、裕福でない一般ユダヤ人の人気を集めたのはシナゴーグ(ユダヤ人礼拝堂)を中心としたファイサイ派の人々です。彼らは律法に加え口伝律法(タルムード)も守るように教えました。パン種(イースト菌)の話はこの辺の話が関係していて純粋な律法を膨らませて解釈してしまっているというところに関係があるかもしれません。ちなみに現在の正統派ユダヤ教はファイサイ派がルーツになっています。
簡単に説明してしまいましたが、この話は福音書の時代の背景として非常に重要だと思います。

マラキ書は1章でヤコブの兄であるエサウに対しての預言の言葉が記され、神殿での捧げものを受け入れないと神は言われています。何故、エサウが出てくるのか不思議ですが、実はヘロデ王はエドム人でありエサウの子孫なのです。しかもキリスト時代の第2神殿はヘロデ王によって荘厳な神殿に改修され、彼はそれによって自分の名を残そうとしました。彼の建築の才能は卓越していましたが偶像の神殿も造っていたのです。しかし、皮肉なことにヘロデによる神殿も宮殿破壊され、2006年にほぼ、間違いなく彼の墓だと考えられる豪華な墓も発見されていますが、早期に破壊されておりヘロデ王の墓としての碑文も見つかっていません。まさに預言の通りです。

ヘロデ王が建設した要塞宮殿ヘロディウム:この一角で墓が見つかった(Wikipediaより)

また、捧げものを軽んじて神を畏れ敬う気持ちが失われていることが指摘されています。当時、神殿周辺には両替人や神殿で捧げる動物が安易に売られていたのです。完全にマラキ書の示す通りになっていました。
マラキ書の2章では祭司に対する神の呪いが記されています。神殿で神のみに仕えるために召されたレビ族が神ではなくほかの忌むべきものに大祭司を任命されて神から離れている様がそのまま預言されています。
そして最後、マラキ書3章で神の前に道を備える使者、バプテスマのヨハネの出現が預言されたのです。

■マラキ3:1~4
見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座しレビの子らを清め金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は遠い昔の日々に過ぎ去った年月にそうであったように主にとって好ましいものとなる。

ザカリアとエリサベトは幼子のヨハネを手放さなければなりませんでしたが、わが子を自らの預言によって神から遣わされた預言者として認識しました。ザカリアの預言は賛歌のように記されています。

■ルカ1:68~79
ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。

バプテスマのヨハネは預言者として多くのユダヤ人の認めるところとなり、「どこか間違っている」という曖昧な感覚から悔い改めて正しく神と向き合う必要性を認識させたのです。

■イザヤ40:3
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。


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