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【3】超短期間で都心一等地のネイルサロンを黒字化した話

前回の話は、こちらからお読みいただけます。

客数アップの次なる施策

ネイルサロンのような労働集約型ビジネスの場合、客数増加による売上アップには限界があります。

そこで、次なる施策として本格的な客単価アップを考えました。

私が異動した当時の銀座店の客単価は3,200円程度だったのですが(低い!)、まずは4,000円以上にあげようと考え、キャンペーンメニューを打ち出すことにしました。

スタッフ2名の技術力をベースに、私のフォローで対応可能なセットメニューを4つ作り、すべて60分4,500円で提供しました。

ご来店のお客様全員に対して、このキャンペーンメニューを思わずやりたくなるようなトークで勧めることを徹底しました。

「通常よりも1,000円ほどお得なんです」
(具体的な金額で示す)

「スタッフみんなで人気のメニューをセレクトして企画したんです」
(自分たちで一生懸命考えたことをアピール)

「銀座店限定メニューです」
(近隣の系列店に通うお客さまに効果的)

「最近はこのメニューがダントツで一番人気です!」
(人気メニューを好むお客さまが多い)

自分たちが自信を持っておすすめできるメニューだったからこそ、堂々とセールストークを繰り返しました。

その場では断られても、「もしよろしければ、次回ぜひお試しください」と笑顔で、しっかりとお客さまと目を合わせてお伝えしました。

キャンペーンメニューを作るコツは、次の2つの要件を満たしたものであることが重要です。

  1. お客さまがお得感を感じられるもの

  2. 提供する際に、それほど技術力や手間がかからないもの

このキャンペーンメニューは、目標値を大幅に超えるほどお客さまから好評を得ることとなり、客単価アップと生産性向上両方の実現に繋がりました。

時にはにんじんをぶら下げることも必要

サブスタッフ2名のモチベーションを上げるために、店頭以外でも、私なりにできることを部長を巻き込みながらも行いました。

具体的には、以下の2つです。

  • 閉店後や店休日に、彼女たちが身につけたいと主張する技術に特化した集中レッスンを行う

  • 本社から与えられている目標値の120%程度の月間店舗売上目標を密かに設定し、これを達成したら部長に六本木の老舗店でしゃぶしゃぶをご馳走してもらうことを勝手に企画する(もちろん根回しはバッチリ!)

こんな単純なことでも、チームワークは一段と固まりました。

銀座店の売上を上げるためにやったことは、これまで書いたことだけで、他には何もやりませんでした。

難しいことなんて、何一つやってないんです。それでも、24歳の学のないギャルが空っぽの頭で必死に考えた戦術でした。

そして、黒字化を果たした

幸いなことに、異動初月には採算ベースに、翌月には大幅な黒字を達成することができました。

もちろん、部長からしゃぶしゃぶをご馳走してもらいました。

今となっては、本当にいい思い出です。あんなに達成感と充実感に満たされた出来事は、数えるほどしかありません。

この経験により、私が学んだことは、チームリーダーとしての在り方でした。

「1+1+1」は10になることもあるんだな、と実感しました。 3人で10人分の働きをしているぐらいの感覚でした。

この取り組みの成功要因は、間違いなくチームワークであったと言えます。

銀座店の売上は驚くぐらいのペースで伸び続け、3か月目には私が3年間いた店舗の売上を超えてしまいました。

8月という繁忙期だったこともあり、全店における過去最高月間売上を記録したのです。

さすがに、これには私自身もびっくりしました。

銀座店のスタッフ数を減らした分は、私が以前いた店舗に回してもらっていたため、売上を超えることはさすがにありえないと思っていたからです。

何はともあれ、“不採算店を短期間で黒字化する”プロジェクトは大成功でした。

この年、毎年行われていた社内イベントにて優秀社員賞に選出され、数百人の拍手を浴びた時の感動は、今でも忘れられない思い出です。

次なる挑戦が始まる

その後も銀座店の売上は上昇し続け、もはや私が店長である必要もないのではないかと思い始めた1年後、部長から新たな打診がありました。

「東日本地区のスーパーバイザーをやらないか?」

スーパーバイザーは、プレイングマネージャーとして店長を務めながらも、他の店舗の売上に対しても責任を担うポジションということでした。

ネイリスト採用だった私ですが、中間管理職として本部の規定に則った処遇を約束してもらいました。

創業25年ほどの社歴において、史上最年少管理職だともてはやされて、嬉しくも気恥ずかしかったものです。

これまでは残業手当でようやく年齢に見合ったお給料をもらっていた私でしたが、残業手当がつかなくなっても年収は2倍近くにまで上がりました。

私は常日頃、部長に対して報酬面の不満を口にしていましたが、「給料は後からついてくる」と言いくるめられていました。

ところが、本当にそんな日が来るとは、思ってもいなかった私。
まさに、晴天の霹靂でした。

入社5年目(25歳)でようやく昇進し、現場で店長をやりながら、半分本社スタッフとして稼働するようになった私に、また新たな試練が待ち受けていました。

東京・神奈川地区にあった全店を統括する立場になったため、自分の力で稼いで手っ取り早く売上をあげることができないというジレンマに陥っていったのです。

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