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ゲーム用語の「人権」を好まない

私はゲーム関連のTwitterをしている。
その中には時折ゲーム用語でよくある
「人権獲得」
「人権がない」との言葉がTLに溢れる。

よくある言葉だ。
違和感を感じる者は少ないだろう。
界隈は学生が多く、人権という言葉に苦しめられ
生きる事も儘ならぬ存在があることが
身近にない。

もちろん学生が未熟なわけではなく
想像力が未熟な者が多いだけだ。
年齢で括るにはあまりにも陳腐である。

例えば暴言を取ってみる。
ゲーム内暴言は割とどうでも良い。
言われればVCをオフにすれば良いし
配信で言われていれば
配信者を見なければ良い。

しかし逃れ方も想像力が足りないとどうなるか
…ある程度を受け入れてしまい、
知らずうちに自分のキャパシティを超えて
心ごと壊してしまう。

たかが暴言…なのだろうか?

精神疾患の親の元、
人格を否定され続けた言葉による虐待に遭い
施設で更に暴言を受けた児童を
支援したことを思い出す。

恋人からのDVで精神疾患になり
社会へ戻る訓練を長年続けても戻れない女性を
支援したことを思い出す。

人権が邪魔をして、血縁が邪魔をして、
生きるのもままならない人たちが…
世の中には大勢いる。

差別用語をやめようという単純な意図ではなく
想像力があれば言葉には自ずと選択肢ができる。

人権、障害、精神病、しかり。
気軽に使う人間は恵まれ過ぎたぬるま湯が
気持ち良くてたまらない。

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