いろとりどりの真歌論(まかろん) #13 読み人知らず

わかきみはちよにやちよにさされいしのいはほとなりてこけのむすまて

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 古今和歌集の本編は、全文ひらがなで書かれていたらしい。現存するものは藤原定家が文意にそって漢字変換して整理したものの写しであるそうだ。

 この歌は初句の五音が「きみがよは」と差し替えられたうえで、国歌になっている。元は、古今集に収録された「わかきみは」から始まる読み人知らずのもの。だから、当初はひらがなで書かれていたはずだ。とはいえ、ただのひらがなで書かれていたわけではない。その頃のひらがなは濁音半濁音(てんてん、や、まる)を区別表記する記法がなかったので、濁った音も、清音と同じ字で書き表していた。現代人から見れば不便な気はするが、文脈でわかるっしょ、ということだったのだろう。

 この記法のいいところは、掛け言葉の幅が広がることだ。掛け言葉という技法を使えば、言語的類似性、この場合、音の同一性、類似性を利用して、乏しくなりがちな意味世界に異なる視点や文脈を導入できる。短歌という短い言語列ではどうしても描ける世界の広さに限りがあるが、一つの言葉に複数の意味を持たせ、読み手に複数文脈を同時に想起させることで、三十一文字で六十二文字の文意を展開することだって不可能ではなくなる。

 そういう目でもってこの歌を眺めて、「わかきみは」を「我が君は」と「若き身は」「若君は」のように「か/が」の区別をつけず読めば、ただの長生きではなく、若いままの不死を望んでいるイメージも広がってくる。それも、花のように若々しく美しいが短い命ではなく、巌に育ったのち苔のように安定してずっと、瑞々しさや鮮やかさを保つ、そういう長命を望むイメージが。

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