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「バカ」って言ったら負け

誰かと喧嘩する時というのは、自分と相手の意見が一致しない時だと思う。
どれだけ「A=B」であることを丁寧に説明しても、相手はどうしても「A=Cだ」と言い張って譲らない。
自分の考えを理解してほしいのに、どれだけやっても理解してくれないと、「こいつは本当にバカ!」と言いたくなってしまう。

でも、それは自分の考えを理解してほしい気持ちが先走ってるからではないだろうか。
相手も、自分と同じように物を見て、同じように考えてくれる。そう思っているから、そう考えてくれない時に「バカ!」と言いたくなってくるのではないか。

自分と相手が別の人間であるのなら、生まれも育ちも環境も見てきたものも違う。考えが違ったりするのは当たり前、というか大前提である。
猫を見たら「可愛い」と思わず「怖い」と思うかもしれないし、場合によっては青色を見て赤色だと思うかもしれない。

「バカ!」と言葉にしたくなったら、その前に一度「どうしてそう思うのか」と聞いてみるといい。深い間柄であるなら、尚更それは大切だ。
夫婦喧嘩で話し合いが大切と言われるのも、お互いの距離が近すぎるためにもともと違う感性の人間ということを忘れそうになるからだ。

案外、喧嘩の時に相手がどう思っているのかを聞こうとする人は少ない。話を聞く前に「こういう風に考えているんだろう! こう思っているんだろう!」と、自分の頭の中に出来上がった相手の勝手なイメージが勝手に答えを喋り始めてしまうからだ。

実際に話を聞いてみたとしても、そこからどんなに意味不明な理屈が飛び出してくるかは分からない。そりゃあそうでしょう。簡単に納得できるくらいなら、初めから喧嘩になんてなっていませんな。
しかし、もし幸いにも、相手の考え方を多少なりとも理解することができたのなら、その時は「しょうがないな」と思えばいい。
また、納得できないなら、その納得できないことを突き詰めて話し合えばいいし、そこが合わないのだということで折り合えばいい。
些末なことでの小さな喧嘩だったら、まだそれで解決できる。
そもそも、どうでもいい相手であるなら、最初から喧嘩などする必要がない。

問題なのは、誰かと協力して何かを為さなくてはいけない時だ。
生きていたら、知ってる人だけでなく、全然知らない他人とも力を合わせて何かを達成しなくてはいけないこともある。
そうなれば、自分の考え方が受け入れてもらえないことにも、相手の考え方が理解できないことにも、たくさん直面するだろう。

しかし、協力ゲームでは、自分がどれだけ正しいと思っていたとしても、相手に「こいつはバカ!」と言ってはいけない。
それは「こんなバカのことなんて理解するつもりはない」という拒絶の意思を示すことになる。
そうなれば、相手は心を閉ざして、二度と本心など教えてはくれないし、協力もしてくれることはないだろう。

昔から「バカって言った方がバカ」という言葉があるけれども、それはバカと呼ばれた人の気持ちを考えていないからだ。
一見バカに見える相手にもその人なりの立場や考え方があり、自分が納得できるできないは別として、全ての行動にはちゃんと理由がある。

バカにした相手のことを自分はどれだけ知っているのだろう。
その相手の理解のために自分はどれだけの力を尽くしたのだろう。

その背景を全部すっ飛ばして、よく知らない相手に「バカ!」と言ってしまえるのであれば、それは自分だけの人生を楽しみすぎてはいやしないか。

誰かと喧嘩をする時、「自分は果たして何と戦っているのか」ということを常々見失ってはいけない。
本当の敵は、相手を思い通りにコントロールしたい自分の欲望だったりするかもしれない。

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