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銭湯と手紙

ファムーランで久々ユーリンチーのランチを食べ終え満足した後、さて図書館に本を返却しに行くかと、マスクをつけなおしたら、臭気を感じてゲッとなった。明らかに加齢臭のソレ。
やばい。
頭髪か、首の後ろか、体全体からかおっているのか。
図書館に本を返却、届いていた三冊の本を右手もって鞄にもいれずに駅まえに向かう。
病院前のガラス戸に通りすぎる自分の体がうつる。
大男だ。中年の。

弘明寺駅までシート席から動かず地下鉄に揺られる。
新たに借りた遠野遥『改良』の冒頭部分に目を通して、「なんじゃこれ」とか思いながら、続いて黒田基樹『戦国大名・北条氏直』の冒頭を読み進めていると、くだんの弘明寺駅に到着。
地階からゆっくりとのぼって本屋の前に立つ。
商店街、いつもの街並み。という、テンプレ。
焼き鳥に目を奪われ、ああ、今日の猿楽珈琲の明かりがついているなあとか思いながら、到着。

中島館。

ビオレとシャンプー、髭剃りにレンタルタオルを借りて、二階の男湯へエレベーターであがる。何も考えずに着ているものを引きむしって湯場に入っていく。洗い場は結構混んでいるが合間を縫って座って、さっさと体を洗い始めた。
豊富につかえる湯量の多さこそが、銭湯の極みだ。
隅々まで洗い、髭を丁寧に剃って湯船につかる。
水中から浮き出ているかのような大理石の丸い石から湯が流れ出ている。
何なんだろう。浮いてんのか? っていつも思ってしまう。
ルーティーンの如く、レンタルタオルを頭の上にのせて、息をはきだす。
ようやく身体外格にこびりついていたなにかが、とっぱらわれた気がする。気がする、ことがじぶんには大事なのだ。
マスクを常態つけるようになってから、においには逆に敏感になっているのかもしれない。副鼻腔炎でおとろえてしまった嗅覚にせよ。
さすがにこれだけ洗えば消えたでしょう。
消えたはず。
ヘアドライヤーを借りて髪を乾燥させるが、生乾きのまま外へ出る。
ふき出てくる汗。冷たい二月の外気温。
銭湯から出てくると一種の達成感がある。
体が入れ替わったような気がする。
通りすがりに八百屋を眺めるとデコポンというか不知火というか、大好きなアレが四つで290円で売っていた! この時期にである。一体どういうことだろうか。これは僥倖。今年は最速最安値で世界でいちばん大好きなくだものと出会えた。

帰りの地下鉄をまつ。
帰りがけの学生がちらほらと。みなスマホに見入っている。
じぶんが見入っているときはほぼ、Twitterか将棋ウォーズだが。
今日はメモ書きだ。
ブルートゥースでEveとかSalyuとかその界隈を流しながら、メモ帳に鉛筆で思いつくことを書き付け続けているので、無音でブルーラインが入ってくる。
メモ帳に書き付けることが自分の安定感。
なしたこと、なさねばならないこと。
あたまのなかにうかぶ雑多な感情を言語化するとかいう、かっこつけ。
そのなかで、ここ数日何度もなんども書きつけている一文。
「□ ○○さんへの手紙を書く」
そう書いているだけで全然実行にうつそうとしていない。

ずっと一月から気になってる。
ある知らせがもたらされて、そのことへの、
そのお返事というか、答礼というか、書かないといけない手紙がある。
祈願は、弘明寺を参る時に何度もお願いしているが、
その後についてなにも訊いていない。
けど、向き合わないと。
それはじぶんの一部だ。
文面を厳選して、ちゃんとした手紙として。いや、そんなことはどうでもいい。とにかく書くのだ。
ぜったい今月中には書き上げなくっちゃ。

帰ってきた後、アベマをつけると、羽生さんがあの無敵徳田四段に快勝していた。
弘明寺商店街で買ったお揚げの切れ端で、味噌汁をこさえた。
デコポンはみずみずしかった。


珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。