オスローバッティングセンター(54日目)

所用で久しぶりに歌舞伎町を歩いた。
前の仕事をやっていた頃はしばしば飲みに来る機会があったが、今はとんと縁遠い。
大久保寄りの奥、区役所通りから左に入ったホストクラブとラブホテルが密集するエリア。
そこにあるオスローというバッティングセンターの前を通った時に、ふと昔ここに来たことがあるのを思い出した。

仕事を始めた新卒の頃、同じ部署に配属された同期はおれを含めて3人だった。
毎日飛び込み営業をして常に人脈を広げ続けることが要求されるような類の仕事で、部署は社の中でも大所帯、合う人は抜けられなくなるが合わない人は心を病むようなところだ。
おれたちは同期の中でも必ず誰かが引かされるババを引く役回りを任じられたわけだった。
おれが"合わない方"だとは1年も経たないうちに骨身にしみてわかったが、もっと"合わない方"だった同期がおれより早く除隊した。

同期同士でチームを組むことはほとんどなかったが、入社して間もない頃は特に、ほのかな連帯感が3人の間にあった。
夜は人脈づくりのために毎日違う人と会え、と言われていたが、なんの伝手もないおれたちはたまに夜中に寄り集まってはひとかけらも仕事に繋がらない酒を飲んでいた。

たぶんそんな夜だったと思う。
とっくに終電なんかない夜半、すっかり酔っ払いながらおれはなぜか背広姿でオスローバッティングセンターの80キロだったかの右打席に立っていた。
3人のうち誰が行こうと言ったんだったか。少なくともおれではなかった。3人とも野球なんかやったこともなかった。

おれは全力で打ちにいった。仕事よりよほど真剣にぶっ叩こうとした。
生まれて初めて打つ自動車並みの速度のボールは、おれのことなど構いもしないで振り遅れたバットの手前をすっ飛んでいった。
ボールは速く、バットは重く、おれの体はなまくらで、頭は酒を吸ってぶよぶよだった。
でもその時は妙にそのダメの追い討ちが、この世の必然としてしっくりと身に染みていったのを覚えている。
20球くらい打ってバットに当たったのは2、3回だった。
同期はボックスの外からケラケラとおれのぶざまなバッティングフォームを写真に収めていた。
彼らもおれ並みに打てなかった。

その写真は今でも覚えている。完全に振り遅れて右膝からくずおれるように体勢を崩す背広の男の後ろ姿。
同期から送ってもらったそのデータは、当時使っていた携帯電話の中からサルベージされることなく消えた。
あの頃の出来事は消してしまいたいろくでもないことばかりだった。
実際ほとんどのことを忘れた。
こういうこと以外。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?