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わたしのミュージックポートレイト

わたしのミュージックポートレイト

素顔を写し出す音楽

ミュージックポートレイトというテレビ番組をご存知ですか。

“ふたりのクリエイターがそれぞれ選んだ10曲を持ち寄り、人生を語り合う。まったく違う道のりを歩いてきた2つの人生が、音楽で重なりあい、響きあう”という趣旨のNHKのトーク番組です。
私は普段あまりテレビをつけないのですけれど、壇蜜×六角精児の組み合わせが興味深くて2夜続けて見ました。

聴くだけで過去のある瞬間にタイムトラベルしてしまうような音楽を、おそらく誰もが持っているのでしょう。時代の記憶と個人的な思い出を呼び覚ますような、時には肉体的な苦痛さえ再発させるような音楽を。
だからこそ、ある特定の音楽が、写真のように鮮明にその人の素顔を写しだすのかも知れません。

では私にとってのミュージックポートレイトってなんだろう。
そう思ったときにひとつ浮かんだのがこのアルバムです。

 

『カサド:無伴奏チェロ組曲/藤村俊介(チェロ)』 苦痛を鎮める処方箋

最近まで「チェックのBGM」と名づけていて、バッハの曲だという程度しか知らずに過ごしていました。先日CDを整理していて初めて、アルバムタイトルと奏者を知ったのです。
私が選んだわけでもなく、頼んだわけでもない。好きだったわけでもない。だけどすっかり耳にこびりついてしまって離れない永遠のリフレイン。
1曲目が終わると次の曲の出だしが自然に思い浮かぶくらいに、何年ものあいだ、くりかえし、くりかえし、夫のパソコンから流れていた、いうなれば「私たちが狂ったように仕事していた時代を象徴する音楽」がこれでした。

やはり仕事中、グレングールドの演奏による『ゴールドベルク変奏曲』が流れることもありました。どちらも夫のこだわりです。

 私たちがやっていたのはガスの設備設計でした。受注から納品までは通常1週間、ボリュームのあるもので2週間。決まった周期の中で仕上げるためには、段取りと配分、そして確実なチェックが不可欠。
忙しさのピークは受注の日の深夜と納品の前日。チェックは仕上がったCAD図面と打ち込んだデータを納品のかたちに整える作業で、それは夫の担当でした。間違いがあれば直さなくてはなりませんから、私も緊張して席に張り付いています。
件数が多くて連日みっちり深夜残業してもぎりぎりの時には、お互いに疲労・ストレスはマックス。大紛争勃発の危機にさらされる、魔の刻でもありました。
紛争の原因など掃いて捨てたいほどありました。分けて清める智恵が双方になかったからこその泥試合です。火曜日の深夜、週末から月曜日の深夜にかけて、よく大喧嘩するものですから、ご近所にはたいへん迷惑だったろうと思います。隣の部屋で寝ているこどもたちは、どこに逃れようもなく本当に気の毒でした。

なんとか神経の苦痛を鎮めるための処方箋として、夫がたどり着いたのが、仕事中、バッハの無伴奏チェロ組曲をかけること。藤村俊介のチェロが彼の波長に合っていたのでしょう。

ふと、「だけどこれって借り物ではないの? 記憶に焼きついた音楽さえも、自分が選んだものではなくて夫が選んだものだったの?」という事実に、書いてみて、ちいさく落ち込んでしまいました。
でも、のっぴきならない関係性のなかで人は日々生きていくのだし、自ら求めて得たものなんて、全体のほんのわずか。
だとすれば、これも私の大切なポートレイト<肖像画>といっていいのではないかと思い直しました。

X JAPAN 逃避のための音楽


その頃、私にとってストレスから逃れる音楽は、 X JAPANでした。
『ENDLESS RAIN』『THE LAST SONG』のような悲壮感漂うハードロック・バラードをヘッドフォンの大音量で聴く私は、まるで深い木の洞にひきこもる手負いの母熊といったありさまでしたか。
さすがにヘッドフォンをつけたまま仕事するのは無理でしたが、仕事から解放されたとき、ひとりの車の中や、ベッドの中でくりかえし聴いたものでした。

 今年(2014年)7月。いよいよ閉業手続きも最終段階となりました。3月末に退職の手続き、5月末に期末決算をして最後の納税もしました。会社を解散し清算する手続きもしました。税理士さんと司法書士さんのお力を借りてやっているとはいえ、なにごとも終わらせるのは大変な作業なのだと改めて思います。
あとは通帳の解約をして出資金や残金の分配をすれば、22年間続けた自営業時代が幕を閉じるはず。ぬかりなくきちんと完結したいものです。

 

『Heartbeat Best of KODO 25th Anniversary』 勇気のリズム

和太鼓集団『鼓童』のアルバムです。
力強い太鼓のリズムに勇気づけられるから、実家や病院への行き帰りによくかけていました。

6年前、父が埼玉県立がんセンターに入院していて、日に日に緊迫してきているのに、仕事で身動きがとれなくてとても苦しい、そんなある日のこと。
付き添ってくれているきわ小母さんからの「朝ちゃん。見舞いにきてあげなよ。おじさん、朝ちゃんを待ってるよ」との親身な、だけど残酷な電話に、たまらず泣き出してしまったことがあります。
その後、見舞いに行った姉夫婦が私を心配して家まで訪ねてくれて「大丈夫だよ、まだ間に合うから。朝子はしっかり仕事しなさい」と慰めてくれているところに、夫が冷静にひとこと。「今日は無理だけれど、仕事が終わったらいけばいい」と。

 父の看取りに関わっている身近な人たちの、それぞれの立場からの助言だと知りつつ、なぜかわかりませんが、その瞬間、張り詰めていた私の糸は完全に切れてしまいました。
玄関先で絶叫し、いつ仕事が終わるっていうのよぉ!!行くな!!ってことじゃないのよぉ!!!と号泣し、姉たちのまえだというのに夫を責めたてて、錯乱状態になってしまいました。
あとにも先にもあれほど取り乱したことはありません。
その様子を1メートルくらい上のほうから無感覚に眺めおろしている、離脱した分身のような私がいたような気がしますが…。

とにかく、今から病院に行くしか気持ちが治まる方法はないということで、でもひとりじゃ危ないから次女を助手席に乗せて行く、ということになりました。
まだしゃくりあげながら運転する私の横で、きづながかけたのがこの和太鼓のCD。一緒に行動することが多かったので、いつものようにリズムに合わせて、やけくそのような素っ頓狂な掛け声をあげて、私を正気に戻そうとしてくれたのです。
日がたってから彼女は笑って「あの時はもう、このまま行かせたら絶対事故るってびびったよ。お母さんを死なさないことが私の使命だったから。えらかったと思うよ、自分」と、いっていました。
「Strobe's Nanafushi」のヨィサー、ソィヤーという掛け声を聴くと、いまでも複雑な気持ちになります。

 

『NHK名曲アルバム パッヘルベルのカノン』 ちいさないのち


20代半ばに国分寺駅の近くの喫茶店で聴いた曲が忘れられず、なんという曲なのかずっと探していました。でも当時は検索がいまほど簡単ではなかったのです。数年後、これのなかにあるかもしれないと予感して買った名曲アルバムのカセットテープ全10巻。次々と聴いていくうちに、曲の冒頭の静かなフレーズが流れてきて・・・。
上尾の団地のベランダから初夏の風がさぁーと吹き抜けていき、木漏れ日がきらきらと光る午後、私はひとりで泣きました。
世界が、私とちいさな命をまるごと祝福してくれているかのような幸福感を覚えながら、なんどもなんども聴いたものでした。
喪失の悲しみはいつも背中合わせなのだからとひそかに慄きながら、いまよろこびがあることが奇跡のように思われて、壊れやすい宝物をそっと抱きしめるように、繰り返しテープを巻き戻しました。
第一子が誕生するまでのあいだ、いつもそばにあった曲がこれです。
胎教というような意識的なものではありませんでした。失ったものをやっと取り戻した。もう離さない。守りたい、今度こそ。
どちらかといえば負から始まる思いだったのです。

『雨の御堂筋』欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー) 家族写真

いきなり小中学校時代にさかのぼります。
私の両親、特に父親は、晩年に辛いことが重なったものですから暗いイメージを人に与えがちです。性格は一石もの、頑固者でしたし、手ごわい父親でした。でも陽気な茶目っ気もありました。
父は欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が気に入って、カセットを買ってきて、よく歌っていました。そして農協の旅行ともなれば、バスの中で自分で考えた前振りを語り、身振り手振りで歌うので、一雄さんはあれでなかなかさくいお人だと評判だったそうです。

 農閑期には、私たち姉妹のためにいろいろな遊び道具を手作りしてくれました。なかでも大作は卓球台です。
姉が卓球部に入ったのがきっかけだったようですが、父は凝り性ですからルールブックを見つけてきて、国際ルールにのっとった基準の大きさにしました。折りたたみ式で緑色のペンキを重ね塗りして、ネットも、ラケットも手作りです。ボールだけはさすがに買ってきたようですが。
冬の夜、夕飯を食べた後で、卓球台のある農機具置き場へ移動し、家族でピンポンを楽しみました。父も母もラケットを握りましたし、祖母も応援にきました。行楽や旅行にあまり縁のなかった我が家にとって、それは、記念写真にとっておきたいくらいに晴れ晴れしい家族団らんのひとときでした。

 手作りの卓球台はいつのまにか本来の目的は失われて、あるときは苺の作業台へ、それから餅つきの作業台になり、家に誰もいなくなると野ざらしになり、バラバラに壊れて、ただの廃材になってしまいました。

♪あなた あなたのかげを あなたを偲んで 南へ歩く♪

残骸のなかからゆらゆらと、家族が活気にあふれていたころの、つつましい思い出がたちあがり、ゆっくりと地面にしみこんでいくかのようです。

 

『ベストオブ シタール』 人生の最期に聴きたい歌はなんですか?

さて、NHKのトーク番組にならって、記憶に焼きついた音楽をあげてみる試みもひとまず終わりにしましょう。
クラシック、ロック、和太鼓、歌謡曲とさまざまな音楽が私のなかを通り過ぎていきました。ここに書ききれなかったものもたくさんありますし、時間を経て脚色が施された部分も少なくはありません。
でも、書いてみることで、家族や他者との間にのっぴきならない関係を作りながら、のたうちながら、流されてきた自分が見えました。
いつも悲しみとよろこびのバランスをとろうとする臆病な自分が見えました。
「流されてきた」と書くと、受動的な印象になりますが、たぶんそれが私の本質を表しているように思います。卑下ではなく。

生きていけば、この先も音楽アルバムのページが増えることでしょう。どんな景色になるのか、いまは肩の力を抜いて愉しみにしています。

わたしのミュージックポートレイトともいえる音楽は、折々に「ものづくりBGM」としてキッチンに流れるようになっています。
先月も、藤村俊介のチェロをリフレインにして梅しごとに精を出しました。梅は、長女が那須烏山のお母さんと一緒にもいでくれた青梅です。届いた晩に梅酒を2瓶仕込み、残りは黄熟させてから減塩梅干しと梅ジャムにしました。ジャムの瓶には「民宿あさこの完熟梅ジャム/原材料・凛ちゃん家の梅とグラニュー糖/効用・梅雨バテ・食欲不振・ほのぼの」という手作りラベルを貼りました。
ひとつひとつていねいに手間と時間をかけながら、いい薫りに包まれながら、だれかれの喜ぶ顔を思い浮かべながらする手しごとは、なんて平和でこころ安らぐことでしょうか。

梅雨が明けたら次は梅干しの仕上げです。梅酢からだして天日で干し、夜露にあて・・。初めてつくる梅干しのあんばいやいかに。

 NHKのトーク番組の〆は、「人生の最期に聴きたい歌はなんですか?」という質問です。

私はまだ、これといった決め手がありません。とりあえず、一番新しく耳に飛び込んできたインドの民俗音楽を選んでみることにします。

7月9日から16日、インドを往復するエア・インディアの飛行機のなかで、気に入って聴いていたのが『ベストオブ シタール』というアルバムです。
帰国してから簡単に探せるだろうと思ってメモをとらずにいたら意外にも手がかりが見つかりません。だから個々の楽器の名前も、曲名もその意味も奏者もなにもわからないのですが、官能的な揺らぎに魅了されました。
人生の最期に、シタールの響きとタブラのリズムに抱かれて目を閉じることができたら、どんなにここちよいだろうかと想像するのです。

 

                 「もらとりあむ36号2014夏草」収録

追伸

「人生の最期に聴きたい歌はなんですか?」
この質問の答えが、とうとう見つかったような気がします。
すごく嬉しく大切な出来事でしたので、近いうちに書いておこう!と思っています。「そんなの興味ないし…」って笑われそうですけど…。

 

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