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PALEO EXPRESS

PALEO EXPRESS

子どもたちとの夏休み



1991年8月、薫5才7ヶ月・圭2才8ヶ月・胎児6ヶ月。

「3割くらいの力をおなかの赤ちゃんのために残して」
と産婦人科の先生から言われていたけど、お姉ちゃんたちの元気さの前では通用できないことだった。

もっとも、薫に言わせると
「このひとは(と母を指さして)もう、いっつもねてるンだから」
となってしまうのだから本当にフウ~である。

夏休みのできごとをすこし。

長岡でお嫁さんして戻ると8月。地元のみんなの来訪は、いつもに増して嬉しかった。坪松さんを囲んで裸ン坊になって走りまわる子供たちの姿を思い出して今でも笑える。

 14日は、SLに乗って長瀞へ。長姉の子2人、小4と5才の男の子も預かって、リュックにお弁当を詰めて。熊谷駅で秩父鉄道に乗りかえ、
SL C58363-PALEO EXPRESSで出発。
機関室に入れてもらってパチリ。ボックス席にすわってパチリ。カメラも大活躍。興奮と満足の旅でした。

家族旅行


翌15日は、車で草津へ家族旅行、のはずだった。が、ホテルに着いてみると、予約していたはずの夫の会社のリゾートマンションには先客が。ショック。温水プールと温泉に入って夕食。このまま引き返そうか、と話しながらシュン…。
思いつきのように、長野の広沢さん宅に伺うことにして、再びハンドルを握る。この突然の変更は、ラッキー!!草津から菅平高原への山道も何のその。家を出る時からほとんど私が運転して来たのに、疲れも忘れてしまった。

友人家族と再会


1年ぶりの再会。あきちゃん、まさきちゃんはますますたくましくなった。夫も、この時ばかりは全く無防備な笑顔を見せて、夜遅くまでしゃべっていた。翌日の午前中は2家族でプールへ行き、午後は、夫たちは上田市に住む教授を訪ね、妻たちはおしゃべり。子どもたちはおじいちゃんの所であそび、それぞれたのしいひとときをすごした。気持ちがフワッと軽くなった。
夕食を食べみんなで花火をし、夜9時に辞す。

お盆明けから、また母子3人の行動を開始。
大和田公園プールやむさしの村、さいたま水族館、映画、私の実家、(薫は2回お泊りをした)などなど。プールは10回くらい行ったか。去年に比べたら半分だったけど、まあ冷夏だからしかたないのですよ、カオルさん。

頼もしい姉弟


子どもたちは、いろんな経験をして体力もついたし、興味の幅も広がったように見える。薫はプールでとびきりはしゃいでいたし、親離れも進んだ。
圭は、ことばがはっきりした。自分のことをことばで表現できるようになってきたし、劇ごっこが大好きになった。これは猪苗代さんの影響も大きい。そして、姉やお友だちとの遊び方がうまくなった。夏休みで姉が一日中そばにいるのが圭には本当に楽しかったのだろう。
2人プラスお友だちのやりとりを見守りながら、これなら、冬にもう1人仲間入りしても大丈夫かな、とちょっと頼もしく感じられた。

夏休みが終った今でも、圭は日に何度もくりかえす。

どうぶつえんいたもねー。
しゅっしゅっぽっぽっのったもねー。
あかあさん、こんどどこへいこーかあ

日に焼けたご機嫌顔でせまられると、ついついその気になる。
そうだなぁ、秋もいろいろ遊べるよねぇ、お弁当持ってピクニックなんていいだろうな。

まるで私が蒸気機関車にでもなったつもりで、ガッガッゴッゴッと煙をはいて家族を引っぱっているような気がしてたけど、子どもという“石炭”があってこその燃焼なのだろう。

そうなると夫は何だろう。
レールかな。
ブレーキでもあるのかな。

時に落ちこむ私だけど(友人の誰もそれを信用しないけど)
夏ってやっぱりいいね。

※専業主婦として、子どもたちとどっぷり過ごせた夏休みはこの年まで。
翌年の暮らしが激変することを、まだ誰も知らなかった…。

         1991年9月 「どんぐり山 No.13」掲載

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