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インターナショナルスクールに通う子供の日本語能力

「インターナショナルスクールに通わせると英語も日本語も中途半端になる」とよく言われますが、その通りです。

英語圏に住む子供は一日中英語を使って過ごしますし、日本の標準的な学校に通う日本人の子供は一日中日本語を使って過ごします。しかしインターに通う日本の家庭の子供はたいてい、学校では英語を話し、家では日本語を話すという生活を送ります。

単純計算で、各言語を使う時間数が英語と日本語ネイティブの半分ずつなので、当然、英語力も日本語能力も同レベルには絶対になりません。在学中は。

しかし社会に出た後に、一般的な日本の社会人よりはるかに日本語が堪能になるインター卒業生もいますし、何より、卒業生のほとんどは現に「ネイティブに非常に近い英語」と「ネイティブに非常に近い日本語」を使って世界中の企業や団体の重要ポストに就いています。

このノートでは:
▼ インターに通う子供がどの程度の日本語能力を身につけるのか
▼ ほとんどのインター卒業生が完璧な日本語を話せなくても世界を股にかけて活躍すること
についてお伝えし、インター在学中に完璧な日本語を身につけさせようとする必要はない、ということをご説明したいと思います。

インターで身につく日本語レベル

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私は日本人の母と台湾人の父の間に生まれ、5歳まで標準的な日本の幼稚園に通い、小学校一年生の頃からセント・メリーズというインターナショナルスクールに12年間通っていました。高校卒業まで家では日本語を話し、友達とは英語と日本語で話していました。

私の母校では毎日一時間の日本語の授業があり、一番好きなクラスの一つでした。日本語のクラスを担当する先生方は日本人の子供が一般的な学校で通る日本語教育を非常に限られた授業時間に凝縮してくださっていました。

漢字の読み書きを練習し、作文をし、夏目漱石などの文学作品の感想文を書き、「夕鶴」や「羅生門」などの寸劇を自分たちで考えるなどして日本語や日本の文化・考え方に触れ、学んだことは今でも心に残っています。

12年生(日本の学校で言う高校3年生)になった私に、当時の日本語の先生は「あなたたちは日本の高校1年生相当の日本語を学びました」と教えてくださいました。

新聞はほぼ問題なく読め、生活上のコミュニケーションに困ることはないけれど、新卒採用などの筆記試験には(書ける漢字や日本的な一般常識が不足しているため)合格できない。インター卒業時点の日本人家庭の子供の日本語能力はこの程度になります。

インターの学生は日本語と英語を混ぜて話す

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先ほどお伝えした通り、標準的な日本の学校に通う日本人の子供に比べ、日本人のインター生は日本語を使う時間数が圧倒的に少ないので、日本語能力は中途半端になります。

インターの日本人学生は、特に高学年になってくると、英語と日本語を混ぜこぜに話す傾向があります。たとえば以下のように、基本的に日本語を話しているのに特定の単語や表現だけ英語に切り替えて話すのです。

今日Economics classでmonetary policyが絶対にテストに出るってMolinaが言ってたんだけど、I have no idea what it means.

このように複数の言語を切り替えながら話す行為のことをコードスウィッチングと呼びますが、南アフリカやフィリピン共和国など、英語が第二言語として使われる国々では日常茶飯事です。インターナショナルスクールでは英語とその他の言語(学生のバックグラウンドによって第二の言語が異なる。日本語に限らない。)が頻繁にコードスウィッチされます。

南アフリカではたとえば英語とズールー語、フィリピンではたとえば英語とタガログ語(各国にいくつも言語が存在するため、様々な組み合わせのコードスウィッチングが行われる)が混ぜこぜで話されます。

南アフリカの人々、フィリピンの人々、そしてインターナショナルスクールの学生がなぜこのような話し方をするのかと言うと、コードスウィッチが最も理にかなっているからなのです。

先ほどの混ぜこぜの文章をもう一度見てみましょう。

"Economics Class"は「経済学の授業」、monetary policyは「金融政策」のことですが、インターナショナルスクールでは(第二言語の授業以外)全ての授業が英語で行われるので、クラスの名称は「経済学」ではなく"Economics class"になり、学ぶ内容もわざわざ日本語に訳すようなことはしないので、「金融政策」は"monetary policy"と学びます。"Molina"は先生の名前です。

また、"I have no idea what it means" と言ったのは、「(金融政策は難しすぎて)全然わからない」と日本語で言うより英語で言う方がクラスで習ったことについて「皆目見当がつかない」気持ちを正確に表現できると思ったからです。

普段日本語で言わないことを日本語で言うのは不自然です。日本語で学んだことがないものは日本語で言いようがありません。二つ言語が使え、相手も両方の言語を理解できる場合、自分のイメージにより近い意味を持つ表現を有する言語を選んで話すのは当然のことです。

コードスウィッチングを行うメリットとデメリットについては後ほど詳しくお話ししましす。

子供をインターに入れて日本語が中途半端になるのは問題?

日本人の家庭が子供をインターナショナルスクールに入れると母国語である日本語の習得がおろそかになると批判を受けることがあります。

母国語で高度な文法を使って考える力が養われきれていない幼いうちからインターナショナルスクールに入学させると、母国語を使って論理的に考えられないので、「英語の発音だけ良くて中身のない英語しか話せない人間になる」と言うのです。

私はこの主張に部分的に賛成、部分的に反対です。賛成する部分は、幼いうちからインターに通わせるのは必ずしも良いことではないというところです。
反対なのは、幼い頃からインターに通わせることで、まるで子供の人生が失敗に向かうと暗に主張している部分です。

幼いうちからインターに通わせる場合に留意したいこと

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1歳〜3歳の幼児は普通に生活する中から学べることがたくさんあります。食べたことのないものを食べてみたり、行ったことのない近所の公園に行ってみたり、親の会話を聞いてみたりと、大人からしたら特別でないことの中に新たな発見をしている時期です。

最近は保育士が英語を使って預けた子供の面倒を見るという主旨のサービスが増えていますが、このような幼児期に高いお金を払ってインター教育(ただ英語を使うだけの保育園をインター教育とは私はとても思いませんが)を施しても、ただの非効率です。

それをするくらいなら、せっかく日本という特異な文化圏で生まれたのですから、世界の中で日本人にしか経験できない生活をさせてあげた方が、よほど有意義です。世界を舞台にすると日本人であることが有利に働く理由についてはこちらの記事をご参照ください。

幼児期は言語習得が速いですが、同時に、使わない言語の忘却も速くなります。イギリスはエセックス国立大学のモニカ=シュミッド教授が3歳〜10歳の頃にフランスに養子に出された韓国人20名を対象に行った*研究により、韓国語能力は20人中20人が全くのゼロになっていたことがわかっています。

*M. Schmid (2013). First Language Attrition. John Benjamins Publishing. 

 

私自身も2歳頃までは中国語を理解していた(両親が家庭で中国語を話していたため)そうですが、日本の保育園に入り、小学校からインターに入学したことで日本語と英語しか話せなくなりました。

つまり英語を話せるようになってほしいという動機で1〜3歳という年頃からインターに通わせるなら、その先の学生時代をずっとインター(もしくは英語圏の都市)で過ごさせ、毎日英語を使って物事を考えたり話したりする環境に身を置かせてあげなければ意味がないのです。さもなければ、せっかく学んだ英語の大部分を忘れることになるでしょう。

学生時代を通してインターに通わせるということは、学費に総額5000万〜6000万円を費やすということです。親の覚悟も必要ですね。

幼い頃からインターに通わせると人生に失敗する?

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「日本育ちの子供は、まず母国語ができるようになってから英語を身につけなければバイリンガルにはならない」「まず母国語の文法構造を理解して論理的に考えられるようにならないと、両方の言語が年齢に応じた習得度に満たないセミリンガルになる」

こういった考えから、日本の家庭が子供を幼児期からインターに入れてしまうと、大人になってから苦労すると暗に主張する人がいます。

この手の主張をする人は日本語教師や言語学者、通訳の仕事をされている方が多いのですが、彼らは重大な思い違いを二つほどしています:

▼ そもそも、インター教育の目的はバイリンガル養成ではない、ということ
▼ 母国語の文法の完璧な習得は社会で成功する上で必ずしも必要ない、ということ

インター教育の目的はバイリンガル養成ではない

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私が通っていたセント・メリーズ・インターナショナルスクールのミッション(理念)ページにはこのように書かれています。

...They become responsible global citizens by exposure to Christian values and core beliefs that build character and foster compassionate action in our world. Through this process of self-discovery and personal growth, our students become life-long learners who embrace diversity, lead by example and have the flexibility necessary for success in a world of accelerating change.
本学の学生はキリシタンの価値観や信念に触れることで人格を育み、世界を舞台に思いやりある活動をする責任あるグローバル市民に育ちます。彼らは自己発見と自己成長の過程で、多様性を受容する生涯学習者となり、加速度的に変化し続ける世界の中で成功するために必要な柔軟性を持ち、人々の先頭に立って導く人物になっていきます。

引用元: https://www.smis.ac.jp/about-us/philosophy-mission

気になっているインターナショナルスクールのホームページのミッションページを読んでみてください。「お子様をバイリンガルに育てます」などという文言はどの学校も一言も言っていないはずです。なぜなら、複数の言語習得がインターナショナルスクール教育の本懐でも本質でもないからです。

インター教育の目的は一般的に「世界を生活圏としたグローバル市民の育成」です。もしある学校のミッションに言語習得について書いてあるとしたら、それはインターナショナルスクールではなくて、外国語スクールですね。

英語も日本語もパーフェクトなバイリンガルに育てたいと思うなら、それは個々の家庭のミッションであって、インターナショナルスクールは関係ありません。つまり、インターに通わせれば英語も日本語もできるバイリンガルになるなどと期待するのはお門違い、ということです。

母国語の文法の完璧な習得は社会で成功する上で必ずしも必要ない

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母国語の高度な文法構造を理解していないと、英語でも高度なことを考えられない、つまり論理的に物事を考えることができない、などと主張する人がいます。 

高度な文法を扱えないと、自分の考えを正確に人に伝えることが困難になるので不利であると、私も思います。でも、高度な文法を理解し論理的に思考できることが成功の条件であるとは微塵も思いません。

インター卒業生の中にはスポーツ選手やオーケストラの指揮者、モデルなど特殊な職業に就き、成功を収める者も数多くいます。こういったキャリアにおいて、論理的に物事を考えられることが最も重要な能力でしょうか?

それに、社会に出てからより論理的に考える能力が必要と思ったら、その時にロジカルシンキングの能力を身につければ良いのではないでしょうか。世界や自分の身の回りの環境も目まぐるしく変化するのが今の世の中です。そんな世の中で成功するために必要なのは論理的思考以前に、あらゆることを受容してみようと考える柔軟性ですね。

インター教育の本質は、言語習得でも論理的思考習得でもありません。これらの根底にある、異質なものを受容し、生涯学ぼうとする柔軟な思考です。

人に説明するために高度なレベルの言語や論理的思考を持つことは大事です。ですが、自分でうまく説明できないのなら、自分の考えを代弁できる人を世界中から探せばいい話です。

また、インター環境で育つと両方の言語が英語と日本語ネイティブに比べて中途半端になるのは必然ですが、多くのインター卒業生は社会に出た後に、住処とする国が決まってから、現地の言語を磨いていきます。大学卒業後、日本で働くことになれば日本語を磨きますし、アメリカで働くことになれば英語をさらに磨きます。香港で働くことになれば、広東語を新たに身につけるでしょう。

言語を初めとする世界中の文化を柔軟に吸収しようとする姿勢さえあれば世界のどこでも生きていけます。学校で言語習得を完結させる必要はどこにもないのです。言語の習熟度=成功と考えるのは、言語に対する熱心さから言語教育の重要性に執着してしまいやすい日本語教師、言語学者、通訳者などがしてしまいがちな、大局を見失った考え方です。 

インターに通う日本人家庭の子供はサポートが必要

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前述の通り、インター教育の目的はバイリンガルの育成ではありません。インターでは最終的に高校・大学レベルの勉学を英語でするので、家庭で英語を話す子供については、良い成績が出せるくらいに勉強をしっかりしていれば年齢相応の英語力が身につきます。

しかし日本人家庭の子供は、学校では主に英語、家では主に日本語を聞いたり話したりすることになるので、前述の通り、両方の言語が中途半端になりがちです。つまり、子供をどうしても完全なバイリンガルに育てたいなら、理論的には、学校で過ごす時間外で、英語と日本語両方のサポートが必要になります。でも、子供が本当に必要としているのは言語面でのサポートではありません。

インターナショナルスクールでの学業はハッキリ言って過酷です。日本の教育では受験勉強があるため高校最後の年は過酷なイメージがありますが、インターの学業は(部活動など複数の課外活動を学生生活の間続けながら)受験勉強の5〜6割くらいハードなスケジュールを中学校から高校卒業までずっと続けるイメージです。

日本語も完璧に話してもらいたいと思ったら、自由時間がすでにだいぶ限られている子供に多くの習い事をさせたり、本を読ませるなどしてさらにムチを打たなければなりません。一般的な日本人家庭の子供の生活を目の当たりにして、「何で僕はこんなにがんばらないといけないの?」と親に聞いてくることもあるでしょう。

周りとの関係構築が自分でうまくでき、過酷な道を進ませた親との信頼関係が強固なものでなければ、周囲からの期待の高さに押しつぶされてグレることも考えられます。実際にそういう学生が全ての学年に数名います。

インター在学中に完全なバイリンガルに育ってほしいなどと親が過度に期待するのは、私はかわいそうだと思います。万が一、インターコミュニティーに属さない身内や知り合いから「〇〇さんのお子さんはインターなんかに通って、日本語がおかしくなっちゃったみたいね」などと日本的な物差しで見られたからといって、改めるべきは子供の自由時間の過ごし方でも、読む本の質量でもありません。

子供をインターに通わせることになった時点で改めるべきは、「一般的な日本人としての感覚も持って欲しい」という願いです。 

インターに通うと必然的に日本語が一般的な日本人ほど流暢にならない確率が高くなります。英語も一般的なネイティブほど流暢にならない確率が高くなります。その代わり、言語の完全習得以上に価値のあることを学びます。そういう特殊な教育を受けさせているのです。

そしてその教育を通して育つ子供は、学業の過酷さに関して理解してくれる人がインターコミュニティーの外にはあまりいません。親であるみなさんが精神面のサポートをしてあげる必要があります。

子供も親も全力でがんばった末にインターナショナルスクールを卒業した時、子供は必ず「インターに通わせてもらって、よかった」と思うことでしょう。その日が来ることを信じながら、期待しすぎずに愛を注ぎ続けるのが、親が最大限できるサポートです。

そうすれば、学業をきちんとこなし、世の中に幅広い興味を持ち、仕事などを通してゆくゆくは母国である日本や日本語にも興味を持ち、結果的にバイリンガルになるでしょう。

私の同級生には日本の大学で日本文学の助教授になり、日本語で論文を書いている者もいます。日本人だけど日本語の文章を書くのが壊滅的に下手だったり、母国語で話しているのに意思疎通が恐ろしく下手だったりする人は世の中にたくさんいます。両方の言語のネイティブレベル到達に固執することはありません。

高度な日本語は社会人になってから必要であれば身につける

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2017年のダボス会議(世界の政治やビジネスの首脳が集まり、地球の現状や課題を話し合うスイスで毎年行われる会議)から、これから人類は加速度的に短いスパンで、仕事に必要な新たなスキルを次から次へと身につけていかなければならないと言われ続けています。リカレント教育や、生涯学習と呼ばれる世界的な動きです。

言語は、プログラミングやマネジメント、会計などと並ぶスキルのひとつです。中途半端な日本語は、高度な日本語能力が必要とされる環境に身を置いた時に磨き上げればいいのです。

私も、今は日本語を使ってこの記事で書いたような文章を書けますが、日本語能力を磨き始めたのは仕事で日本語が必要になり始めた30の頃からです。社内用・社外用の公式文書を英語と日本語の両言語で執筆し、会社を代表して時には英語、時には日本語で講演する機会が増え、日本語を英語と同等に高度なレベルで使わなければならなくなり、求められている仕事の質を達成するためにきちんとした日本語を独学で身につけました。

必要と思うスキルをすぐに身につけようと思う柔軟性は、間違いなくインターの過酷な教育環境に身を置いた影響です。インターナショナルスクールに通うことで得たものは、英語でも日本語でもなく、世界での生き方だと、切に思います。

「言語習得は学校教育で完結させないと」などという、あまりに時代錯誤な考えに振り回される必要はないと、私は思います。

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