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3月11日にこの映画を観た意味 #わたしは分断を許さない

9年前の3月11日14時46分、わたしは会社員で福岡オフィスでデスクに向かい仕事をしていた。大地震が来たことには全く気が付いていなかった。15時を過ぎて東京本社に内線が繋がらないことを不思議に思っていると、地震があったらしいよと周りが話していたのに気が付いた。

2005年に福岡を襲った西方沖地震を経験したくらいしか地震について知識がなく、関東でも停電が起きてるのかな?くらいにしか思っていなかった。

ニュースサイトを見るとゆりかもめ沿線が火事になっている。青海には入社以来お世話になっている関連会社である会社の物流センターがあり、会社が大きくなり仲間となったテレコムセンターもあった。本社は汐留。
ただ事ではないという空気が地方の一支社にも漂っていた。本社機能は停止、宮城では津波が発生したことを知った。ネットにも映像がアップされる。現実とも思えない光景に同じ感情が前に起きたことを思い出した。

9.11  アメリカ同時多発テロ

社内でも津波に流され数日だったか数週間だったか漂流し奇跡的に助かった若い社員がいた。後日刻銘な記録を全社メールで配信してくれた。

この9年間でわたしはかなり安定していたはずの会社員を辞め、パレスチナ通いをする人になった。通って好きを伝える人。

今日2020年の春の日、わたしは福岡のKBCシネマで先行上映された堀潤さん監督の映画『わたしは分断を許さない』を観に行った。奇しくも3月11日だった。

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みんなが黙祷しているであろうその時間にわたしは映画館を出た。外は人も少なく空は青い。

沖縄も香港もカンボジアもわたしは行ったことがある。初めて沖縄に行った時どうしてこんなに基地があるのか?なぜ?本当に必要なのか?一番綺麗な海は沖縄の人が楽しむ場所じゃなくて戦闘機が飛ぶ場所になんなきゃいけないの?って思った。あれから20年以上が経った。基地はある。戦争は続いている。そこにはわたしの知らない密約というのがあったらしい。踊りとお酒が好きな琉球文化、基地に土地を貸している人、基地で働いている人、基地の犠牲になっている人、沖縄の中でも分断がある、わたしは20歳の時にそれを知ったのだけどいつからか疑問を持たなくなったのか?と映画は問いかけてきたように思った。疑問を持ち、真実に迫る、そして何を思う?どうわたしは行動するのか?
今起きていることを知るための映画(なのだが)というよりも、その先、あなたはどう考える?どう行動しますか?と心に訴えるものだった。

自主規制、セルフコントロール。外から、上から言われる前に自分で自分を規制する。ファクトなき報道。

戦前戦中の報道、今はどうだろうか?目の前に飛び込んでくる報道をそのまま鵜呑みにしていいのだろうか?一旦噛み砕き待てよ、と思う必要はないだろうか?

わたしはできるだけポジティブなパレスチナを伝えたい。伝えるように心がけている。規制というよりも楽しいパレスチナが好きだし知って欲しい。

でもわたしは知っている、難民キャンプで暮らす喜びと悲しみ、そして苦しみも。


数件隣のボクちゃんが理由なく撃たれたこと。
人の命よりお金の価値の方が上だ!
と嘆いている人のこと。
家族との集まりが心から喜べること。
春はアーモンドの花が美しくて秋はオリーブの収穫が楽しいこと。

人道を踏みにじる理不尽があること。だからこそ伝えたい。物理的な壁はきっと壊せる。

心の壁を低くフラットに、無知は罪、だからこそ知ること、知りたいと思うこと。知る辛さの先はきっと喜びがある。知ったことに対して行動できるのだから。


あなたがサポートしてくれた分を同じだけ上乗せしてパレスチナのジェニン難民キャンプで使います!!もしジェニンをサポートしたいと思ってくださった方はこちらへ< https://thefreedomtheatre.org/donate/ >