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ある日のこと

 ある年の春の日、ガザでこんなことが起きました。もしかしたら土地の日の少し後だったかもしれない。

 ガザ侵攻からもう半年も経ちます。きっと多くの人にとって大した出来事ではないかもしれないし、大谷選手の資金の資金が通訳の人に使われたことの方が大きなニュースかもしれないし、週刊文春と松本人志の裁判の方が大切かもしれない。わたしは善人でもないし、清廉潔白な人間でもないですが、歴史的な惨事を目の前にして通常の精神状態ではいられない、ただそれだけです。そしてこの惨事を認めることは次は自分たちの番であるということでもあると思っています。

 さて話を戻しますが、ガザは空のある監獄と言われてきました。そんな隔離され不自由な状態に置かれていましたがスポーツ選手たちはトレーニングを続けていました。ラファにはFIFA公認のサッカースタジアムがありますし(今は野戦病院のようになっている)、自転車競技、スケートボード、サーフィン、バスケットなど、多くの人が副業というか主業もない副業だったりもしますが活動していました。
 ある日、わたしは素晴らしい成績を残すスポーツ選手を紹介してもらいました。彼の目標はオリンピック出場です。それに手が届くような選手なのです。わたしが紹介され、そしてその後彼は練習中に足を狙い撃ちされ切断を余儀なくされました。彼の生きる希望であったはずの足をなくしてしまいました。わたしはその知らせを聞いて絶望しました。当事者でもないわたしがとても落ち込みました。何もしていない、もちろん武装もしていない、石を投げたわけでもない、ただ未来のために屋外でトレーニングをしていただけの彼が撃たれる。ガザでは殺されずに足を撃たれる人が多いとは聞いていたが本当に理由なしに、目的があるとすれば希望を打ち砕くこと、そうとしか思えないような蛮行だと今でも強く思います。
 程なくして、知らせが届きました。

パラリンピック目指してトレーニングしてるよ。

 彼は生きているから、生きていれば目指せるものが何かあるとすでに気持ちを切り替えていました。本当は無念さをぶつけたかったのでは?と思ったが到底聞けませんでした。ただ何かしらの希望とともに生きててほしいと思ったのは間違いありません。でもそれはわたしのエゴであり、監獄のガザではそれ自体、ある種の拷問にようにも思ったのです。


 「あの足を切断した選手って今どうしてるんだろう?」 
と紹介してくれた人に聞いてみた。

 「誰だっけ?足を切断したガザの人なんて多すぎて」


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