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パン屋のパッション

春麗か、私のアレルギーも活発でございます。
こんにちは、Threebread店主です。
今回はパッション(情熱)について。店主の情熱のあり方をお話しさせていただきます。


モノづくり

パンを作ることをモノづくりという人は少ないのかもしれません。パンは食べるものであって、鑑賞するものではないし、形が残るものでもないから。

でも、パンを作ってみて分かるのは、計算されたレシピと製造工程がないときちんと作れないということです。ここでいう「きちんと」とは、狙い通りのものを作ることです。

パンは無限にレシピがあります。10g配合を変えただけでも違うパンができてしまう程です。
その中で、作り手は製法を含めて材料を選択していきます。なんとなく作ったパンは、なんとなくの味しかしないのだから不思議です。

毎回狙い通りにパンを焼き上げる事は、まさにモノづくりだと私は思います。


90gの生地に60gのクリームが
はさまっています


パッション

パッション(情熱)はパン作りに不可欠で、やっぱりパンを作るって頭も体も使って疲れるんです。
その疲れた体で明日もパンを焼くには、心の燃料が必要です。それがパッション。私は、ですが…。

個人的な話になりますが、私は自分のことを、見た目の穏やかさとは対照的な情熱家だと思っています。多感な時期はこのことで大層悩みました。
でもその情熱を注ぐ先が見つかったので、今はとても幸せです。

パッションって音のない火のように静かなものなのですが、見ていてくれる人にはその熱が伝わると思っています。私の周りにいてくれる方々には感謝しかないです。


パン屋らしいパンが並ぶ棚


パンション至上主義?

普段から自分のパッションを大いに感じている私。特に食べるものについては、それを感じるかどうかでおいしさを判断しがちです。

作り手の素直な意図を感じる食べ物は、食べて元気が出ます。
もう少しかみ砕くと、どう作った料理かを伝える料理ではなく、どうしてそう作ったのかが見える料理は食べていて心地良いし、積極的にまた食べたいと思います。

しかし、先日パッションで人を分べつしてしまいそうになったので、それは良くないなと思い直しているところです。
そもそも、自分のパンでも自身のパッションを伝えられる味になっていないのに、他人様を評価するなんて滅相もないですよ。謙虚にいきたいものです。

バゲット、もう少しのところが
うまくいかないです。修行あるのみ。


パッションは目に見えませんが、パンは見えて食べられます。そこに私は何を落とし込むのか。技術であり、経験であり、知識です。

私の経験はまだ僅かですが、いつかこの内に秘める情熱を表現できるようなパン作りをしたいです。その為には、日々学びが必要だと肝に銘じています。
焦ることはないので、ゆっくり着実にその時が迎えられるように…また明日からパン焼いていきますね。

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