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パンと向き合う、私と向き合う

GWにむけて粉置き場が粉倉庫と化しております。こんにちは、Threebread店主です。今回は少し真面目なお話。パン作りで見えてくる自分自身についてです。分かりやすく書けてるか不安ですが、どうぞ。


パン作りという趣味

パンを初めて作ってから11年経とうとしています。新築の我が家で、パンを作れる知人のワークショップ的なことを開催したのがきっかけでした。私はその時は見学でしたが、せっかくなのでその後1人で作ってみたのが始まりです。

小麦粉の袋の裏側に書いてあるレシピを参考に作ったのですが、まあ美味しくない物体が出来上がったんです。
私は苦手なことはありますが、大体のことはそれなりにこなせる少し器用な性格です。でもパンにはそれが通用しなかった。

私はそれで火がついてしまったんですよね。向いていたんだと思います。
それからパン屋を始めるまで6年、パンを作る趣味が始まりました。


大体同じ感じに仕上がりました
嬉しい!!


生地と向き合うこと

工房で1人でパンを作っていると、自然と向かい合うのは喋らないパン生地です。
私は、いつも素直なパン生地が好きです。

このnoteでも何度も言っていますが、生地は作り手が触ったようにしか出来上がりません。
触ったというのは、物理的な接触は勿論、そのもっと奥にある作り手の考え方も含まれると考えています。

私は、いつも生地に試されていると感じています。生地たちから、あなたは私をどうするの?と常に問いかけられている気がするのです。

だから、作り手ができることは、配合を最大限に活かせる製法や見極め、接触に気を配ること。それは、自分の目や感覚を研ぎ澄まして確認して行く行為です。


粉倉庫化した粉置き場
雑然としています…


私と向き合うこと

この2年くらいで、生地と向き合うことは結局自分と向き合うことだと思うようになりました。
相手は無垢で無防備な生地。それに手を加えるのは作り手である私です。

そのパンを作るまでに頭を捻る時間、製造過程での見極め、クープの種類、焼成の温度。パン作りは、全て私が決められます。
つまり頭の中のイメージをどれだけ形にできるか、無垢な生地に意味をつけていくのは私自身でしかないので、結果として私は生地と向き合いながら自分と向き合っているのだと思います。

試作の時は、全ての感覚を使って生地を観察します。観察するって、外へ向かう行為だと思う方も多いと思いますが、五感を使って感じているのは自分なんですよね。だからかなり内向きな行為だと私は思っています。自分を感じないと観察はできません。

少し昔の話をしますと、私は大人になるまで周りに翻弄されがちで、自分を感じることが少なかった人生でした。
そしてパン作りに出会い、その時間を取り戻すかのように自分自身の感覚と対話しています。だから、今とても爽快なんですよ。


ツバメも飛んでいました


パン屋さんがみんなこんな風にパン作りしているとは思っていません。むしろ私が変わっているのだと思います。
ただ、私が趣味から仕事にしても飽きずに続けていられるのは、きっと自分への探究心なんだとこの所思うのです。自分の感覚がどこまでできるのか試したいし、パンはそれに耐えうる単純で複雑な教材だと思います。

みなさんは私の思いなんか感じないで、そのパンを味わっていてくださいね。食べ物に能書きはいりませんから。
私は私の感じたままに、責任持ってこれからもパンを焼いていこうと思います。

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