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【連載小説】地獄の桜 第八話

 店の奥の壁際に掛かっている古時計は渋い木の屋根がついていて、昼の十二時丁度になると下の扉からフクロウの人形みたいのが出てきて、同時に低く小さな鐘が鳴る仕組みになっている。
 壁はくすんだ茶色をしている。その中に少しうぐいす色も混ざっている。よく見るとうっすら模様がある。しかしくすんだ色が邪魔をしてよく見えない。
 通うようになったばかりの頃は何とも思わなかったが、随分とここに通うようになり、ここで過ごす人々の様子を見ているうちに、このくすんだ色は元の色ではなく、どうやら客のタバコを吸ったことによるものらしいことが分かってきた。
 が、そのこと自体には大して何の感情も湧かなかった。何故なら僕もその原因にわずかながら加担させてもらっているからだ。最近は嫌煙家も増えてきたが、自分の人生が馬鹿馬鹿しくって仕方がない僕にとってみれば、犬猿だか哀婉だかよく知らないが、勝手にしやがれとしか思わない。ほとんど僕は死ぬためにタバコを吸ってみたいと思って吸い始めたのだから、医者の説法ももはや何の意味も持ってはくれない訳だ。
 僕はタバコを取り出した。青いセンスみたいな形の弓が書いてあるパッケージ。『ホープ』とかいう銘柄で、何となく、これをのんでいるとタバコを吸ったという気が一番する。
 煙がくねりながら中空へゆっくり舞っているのをぼうっと眺めるこの時間も、確かに好きではある。でも、昨日に「明日行こう。明日」と思った場所は決してこの喫茶店のことではない。じゃあどこか、という読者の声が聞こえた気がする。まあ、そう焦るでない。休日をそうせかせかと過ごしてはいけない。まだ喫茶店に来て食事もろくにしていないというのに、本当にせっかちな現代人であることよ。
 コーヒーとともに、頼んでもいない食事が一緒に出てくる。まあそれもいつものことなのだが。
「……まだ食事は言ってないよ、へへ」
「でもいつもと同じでしょう……」とマスターがそっけなく答える。
 客相手にしてはまあまあぞんざいな態度なのが、僕は逆に気に入っている。

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