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【連載小説】地獄の桜 第十二話

 本当に、店の外に出てしまうと傍にいるのはうだるような夏の湿気と軽い倦怠だけだった。しかしさくらを指名して僕が通うそのキャバクラ店の名前が『Cherry』だとは、よくできたものだと思う。
 一瞬、眩いミラーボールの光に照らされてキラキラ光っていたさくらの小顔が、僕の目に残像のようにチラついた。そして一人淋しく歩く僕の目にはこらえることもできずにこぼれた涙がぽろぽろと零れだし、歳を取って涙腺ばかりゆるくなって、と恥ずかしく思いつつも、僕は自分に言い聞かせた。
 これが人生なのだ、と。

 さくらは僕に会うといつも何かしら褒めてくれる、本当に色々なことを褒めていて、これは一種の才能なんじゃないかと思うのだけれど、そんなさくらの言葉にはよっぽど僕は不相応な人間だとつくづく思っている。
 ただの平社員。仕事でパソコンは使うが、言うほど得意ではない。エクセルの知識だって、大抵は必要に迫られて仕事で覚えた、付け焼刃のもの。電話は嫌いだが、総勢二名の職場では、どちらかの手が少しでも塞がると取らざるを得ない。営業電話なんか、大体しゃべってて噛むし。生来のあがり症がそうさせるのである……などと自分でいくらでも後ろ向きなダメ出しができるのに、さくらは僕に対し、全く逆向きの言葉を見つけてみせる。

 そんな自己否定を頭の中に渦巻かせながらしょんぼり歩いていると、僕の後ろ姿がよほど情けなく見えたのか、後から店を出てきた謎の年配の客が突然後ろから大声をかけてきた。
「どうしたか! フラれたか? おんっ?」
「……はい?」
「フラれたんだろ! まあ気にするなよ……」
「違います」
「だから気にするなって」
「本当に違います!」
 言い合い(?)となった相手の顔を見れば、服だけはいかにも安手な灰色のスポーツTシャツにジーパンなのに、ハゲと思しき頭だけは仰々しいシルクハットを被っている。
 そしてそのハットの上にはうさ耳の飾りが取ってつけたようにあって、ハット自体にも数々のシールで下手なデコレーションがキラキラ光っている。
 全く持って、謎だ。
 でもその時の僕は独り身で、しかも少し自棄になっているところもあったから、その見ず知らずのおじさんに興味本位でホイホイとついて行ってしまった。

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