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【連載小説】地獄の桜 第十一話

 黒服に案内された席に着いて僕は肘をついて「考える人」みたいな恰好をしながら、中々さくらが出てこないことに「席まで案内しておいて、もしかして今日もか?」と嫌な疑念が自分の頭の中に沸き起こっていることに気が付いた。
 すると僕は急に心細くなって顔を上げた。近づいてきたのはさくらではなくマキちゃんで、ため息をつきそうになったが、僕の方へ意味ありげな笑みを向けただけでどこかの席へ行ってしまった。どういうことだろう、と思った間もなく。
「ご指名ありがとうございます! 先週は本当にごめんなさい。
 後から店長に聞きました。すごくがっかりされてたって」とさくらが小走りで現れた。
「ううん、いいよ。体調が悪い時は、しっかり休まないと」
「江並さんって本当にいつも優しいですね!」
「そんなこと言って。褒めても何も出ないよ……そんなことより何にする?
シャンパンは何度も頼んだし、オーパスワンにでもしようか。あとウイスキーで何か一つ頼む? 他に飲みたいものがあったら言ってね? あ、最初の注文だしビールも頼んでおくか」
「わーすごい! ありがとうございます! 江並さんっていつもたくさん注文してくれますけど……江並さんはお酒が好きなんですか?」
「図星。金曜にいつもラフロイグでハイボールとかを作ったりして、パソコン越しに管巻いてるよ」
「ラフロイグ? どんなお酒ですか?」
「知らないの? ウイスキー。アイラウイスキーでは有名だよ。クセが強いから、好みが分かれるけどね」
 そんな何でもない会話や無為な時間が僕の飲む酒の勢いとともに飲まれていった。
 時折、さくらはうつむき加減に指先を見つめていた。宝石の原石を付けたようなさくらの指先の赤いネイルが、その視線の先で強く煌めいていた。そんなさくらの手や、透き通るような白い横顔を見つめていたら、既に帰る時間が来てしまっていた。
 さくらは帰りの挨拶の代わりに僕のことを軽くハグした。そこで僕は二重に現実に引き戻されて急に淋しくなった。
「コロナ流行ってるから」とさくらが小声で付け足す。
 このご時世、キスが駄目なことことくらい言わなくったって分かっている、と苛立たしく思った。でも僕は無理に「ありがとう。さくらも気を付けてね」と笑顔でそれに応えた。
 しかしそれでも会計を済ませて一歩外に出てしまうと、すぐに胸の詰まるような孤独が僕の心を苛んだ。

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