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【連載小説】地獄の桜 第二十二話

 その日は高台にあるハーブ園に行った。
 庭園の美しさは眼前にとめどなく広がり、いつまでも様々な色合いを持って僕たちを楽しませようとしたが、それ以上に、さくらの表情がいつも以上に無邪気で自然な笑顔へと染まっていくさまを見つめているのがとても幸せだった。
 僕は進んでさくらに写真を撮ってあげた。その度ごとにさくらは喜んでアイフォンに向かってポーズをきめた。ハーブとさくらとの写りのバランスを色々考えながら撮りはしたが、本当はさくらを見つめていたいだけだった。
 そのうちさくらはゆったりとした足取りになった。「疲れたの?」と声をかけると、「もうちょっとじっくり眺めてみたいなって」と言う。
 見晴らしのいい場所に立っていた。そのうち僕も、紫や青の花でできた海の向こうにある本物の海に視線を向けていた。
 ふと、「こんな気持ちで景色を見るの、何年ぶりだろ」とさくらが言った。
「分かる」
 すぐ僕もそう言った。さくらもまた、僕とは違う形で様々な人生の波に揉まれてきたのだろう、といったようなことをそれとなく思った。
 さくらのポジティブな性格も、何もない所から突然湧き出たものではなく、自らの生きる道の途上で積み重ねてきた何かの上に案外成り立っているのかも分からなかった。
「本当に分かる? なんてね」とさくらが笑った。
「うん……分かる。
 さくらのことを考えていると、いつもの景色も突然ぱっときらめき出すんだよ……いや、何か違うな……ごめん」
「フフッ」
 さくらはすこし寂しそうな、曖昧な笑みを口元から零し、「あなたって、とても純粋な人なのね」と言い、こう続けた。
「……仕事帰りにぶらぶらしていたら朝になっちゃって、日が昇ったばかりの駅前をボーっと眺めていたことがあってね。
『私はこの風景の一部くらいにしかなれないんだな』って感じたの。
 そしたら何か、すごく自分が小さく感じて涙があふれてきちゃって……この気持ち、江並君には分かるのかな?
 でもいいや、江並君にも分からなくても……どっちでもいいの。
 私は江並君に会えて、幸せだった」
「だった? ……まだほんの始まりだろ?」と僕は怪訝な顔をして言った。
「それにさくらは単なる風景なんかじゃない。少なくても僕にとってはね。
 前にも言っただろ、僕が小説を書いていること。
 僕がプロの小説家になった暁には、絶対に君のことを美しい作品の一つにして書ききって見せるよ」
「……」
 さくらは暫しの間無言だった。ようやく口を開いたとき、こんなことを言った。


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