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へその緒がカーリーヘア的な(入院5、6日目)

入院5日目(33週0日)

 夜、また眠れない。リトドリンが優勢のときは動悸息切れが強く、マグセントが優勢のときはスライムのようにだるい。身体のほてりをアイスノンで抑えても、自分の鼓動が伝わってベッドが揺れる感じがする。夜22時半~午前1時半はうとうとしたけれど、午前5時すぎ、寝るのを諦めてアプリで新聞を読んでいたら少し眠くなり、20分くらい眠る。でも6時の朝の巡回が始まってまた目覚める。朝になると、今度はスライムが優勢になる。一歩歩くのも、食事をほんの一口、口に運ぶのもつらい。ずっと完食していたご飯を初めて残した。

 初めての体重測定。先週までは56kgだったのに、一気に60kgの大台に乗った。3食お米を食べているからだろうか。看護師さんには「血圧もむくみも妊婦の標準内で大丈夫ですよ」と言われるが、本当に身体が重くてしんどい。つい先週の金曜まで車を運転していた人間が、今や箸の上げ下ろしさえつらく、サラダの一口を咀嚼するのもやっとの状態。たった数日でこうなってしまう脆弱性たるや。

 師長(婦長)さんが様子を見に来られる。「おかあさんよく頑張ってるよ」「しんどいね、つらいね」と慰められているうちに、落涙してしまった。身体がままならず、仕事も終わらず、引き継ぎもできず、家も職場も片付けられず、なにも終わってない状況なのに、そんな慰められるような事態に陥った自分があまりにもふがいなく感じられてしまったのだと思う。これまで自分の裁量の赴くままに生きてきたけれど、生まれて初めてこんなに自分の身体がままならない状態を経験して、自分のもろさを痛感する。昼間、両親が面会に来てくれたけど、その時がMAXに具合が悪かった。声もかすれた弱々しい声しか出せない。

 濡れタオル拭きで済ませていたけれど、3日ぶりにシャワーを浴びに行った。シャワーブースまでの距離がはるか遠く感じる。たかだか数十メートル。なのに足がろくろく持ち上がらず、亀の歩みしかできない。一歩一歩足を持ち上げるたびに、内心で「決然と!」と自分を鼓舞する。ボタンを外すのも、蛇口をひねるのも、髪を拭くのも、決然と。

 妊娠前の標準体重が52kgなのに、60kgだと8kgも増えたことになる。でも、中の人は先週1600gだったのに、100gしか増えていないという。いくらなんでも急に増えすぎじゃないだろうか。エコーを医師に撮ってもらったけれど、顔がよく分からない。「しゃっくりしてますね」「絵心なくてすいません」と言われて笑う。へその緒が頭の下に下垂しているのだけど、カーリーヘアみたいにくるくるへその緒を冠のようにかぶっているように一瞬見えた。世が世なら、出産の時に大量出血して死んでしまっていただろう。中の人よ、なぜへその緒を枕にした?


入院6日目(33週1日)

 夜21時半~0時、深夜1時半~4時半、5時半~6時過ぎまで寝られた。大きな進歩だ。でも自分の手足の重みが増している。倦怠感と意識混濁が著しい。午前中いっぱい意識朦朧としたまま、悪夢との狭間にいた。

 ご飯を残す量が増えた。おかゆにしてもらおう。昼食の麻婆豆腐はおいしかった。ここの病院食は中華系が得意なような気がする。でもそれさえも完食できるか心許なくなってきた。咀嚼の力が落ちている。昨日、夕食の肉じゃがで牛肉が硬いと思って残したけれど、何のことはない、自分の力が衰えているだけなのだ。昼、もう食事が届いているのに、目も覚めているのに、全然体が動かず、真っ白な壁を見つめることしかできなかった。これはカフカの小説だ、さなぎのようだ。しかしさなぎになるわけにはいかないのだ。

 夕方、またおなかが張り出した。20分くらいずっとせり出してくる。こらえなくては、こらえなくてはと涙と脂汗が噴き出す。夜勤帯の先生から、マグセントをもう一段上げますねと言われた。今、既にもうこんなに苦しいのに。私の身体はどうなってしまうんだ。涙が出てくる。すると、先生たちが数人で再び来て、マグセントの濃度を上げるのではなくマグセント自体をとりやめ、リトドリンと飲み薬の併用に切り替えると言われた。マグセントは私の身体への負担が大きいとみられるため。飲み薬はニフェジピン。「本来は高血圧症の降圧剤だけど、日本以外の先進国では張り止めとして使われてますから」「いきなり言われてそれどころじゃないでしょうけど」と。とっさにググってみると「切迫早産治療薬としてニフェジピンが奏功した一例」という論文が引っかかる。でも、切迫早産の治療薬としてはまだ保険認可されていないため「妊娠高血圧症の治療名目として投与する」とのこと。厚労省の新薬認可や保険対応のプロセスが遅いことは(新型コロナ関連でも)たびたび指摘されているけれど、まさか自分がその一端に触れることになろうとは。早産をもたせるということがどれほど至難の業なのかを身をもって実感している。

 義母から、切迫早産だったお友達の体験談を基に「暇を持て余してませんか?お友達はできましたか?」とのメッセージが来たので、率直に今の副作用の酷い状態をお伝えすると「姑の時代の話なんて本当に当てにならないですね。お見舞いも負担かけてしまうからひたすら祈ります。何もできずごめんなさい」と謝られてしまった。時代が違うんだもの、しょうがない…。昔の切迫早産はあまり点滴投与もせずひたすら安静という感じだったんだろう。

 夕飯があまり喉を通らない。がんばって押し込む。夫がウィダーインとかスティックゼリーとかをどっさり買い込んできた。ありがたさが身に染みる。マグセントを急に外すことはできないので、リトドリン、マグセント、ニフェジピンを併用して、今晩を乗り切ったらマグセントを外してもらえるようだ。とにかく鎮まってくれ、中の人よ…。

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