kurukku

切迫早産の体験記を書きました。

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切迫早産日記(はじめに)

30代後半、高齢での初産ながら、のほほんと通常勤務を行っていた私。「産休まであと2週間切ったけど何も業務終わってないな。何とかかたをつけて、産休入ったら部屋の片付けと出産用品買い出しと名付け検討しなきゃなー」と思っていたところ、突如、切迫早産の診断が下って緊急入院となった。 それまでほぼ大病もせず、入院経験も無い。ひたすら病床で安静を強いられる生活は、大げさに言えば死生観を一変させるのに十分な時間だった。(いや、大げさじゃない。出産は「ほっこりしあわせ」じゃなくて人の生命が

    • ありがとうNICU(おわりに)

       この切迫早産日記は、当時友人や家族に送っていたLINEを基に、後から書き起こしたものなので、もううろ覚えになってしまったものも含まれています。そしてnoteでの公開はさらに数か月たった後に進めたので、輪を掛けて輪郭がぼんやりしてしまっているかもしれない。  でも、のほほんと過ごしていた妊婦生活から青天の霹靂みたいに切迫早産になって、生きるか死ぬかみたいなことを考えたのは本当です。  大変な渦中にいるときは、果たして大丈夫なのかと不安で押しつぶされそうになるけれど(眠れな

      • 世界はこんなにきらきらしていたか(入院25、26日目)

        入院25日目(生後8日)  助産師さんから「退院してからどうするか考える意味でも搾乳器を試してみたらいいですよ」と言われたので、初めて搾乳器を使ってみた。でももともと乳が小さいせいか(?)、あまり密着する感じがなく、スコスコしてあまり搾乳できない。面倒だけど、手で搾った方がきちんと搾れる気がする。  入院費の見積もりが来た。希望していた個室は入れずじまいなので、結果的に安くあがった。内診でも「子宮の状態は退院して大丈夫」とのことだったので、予定通り退院まで行くのだろう。退

        • 授乳室は新米母の詰め所(入院22、23、24日目)

          入院22日目(生後5日)  夕方面会し、ミルクを飲ませに行く。哺乳瓶で吸い口をくわえさせるが、そのままフリーズして放心状態のようになってあまり飲んでくれなかった。ぺこぺこの薄い吸い口で、あまり力を使わずに吸えるものなのに。看護師さんは「まだ飲む練習中」なのだという。目のまぶたが、片目だけ一重のように見える。そんなところは私に似なくていいのに。 入院23日目(生後6日)  朝、名前候補が数百から8案になり、そこから二つにまで絞られた。  右胸の外側がカチカチになって痛か

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          おなか開けたらそうだった(入院19、20、21日目)

          入院19日目(生後2日)  朝、巡回の時間ではないのにひょいっと先生がいらして「生理重くなかったですか?」と唐突に聞かれる。「2日目はそれなりにきついですけど、そこまで痛いとか重いとかまでは行かない気がしますね…」と答えると、「うーんそうなんですね。ちょっと子宮内膜症の所見があったみたいなんですけど」と言われる。「手術の時に、おなかを開けたらそうだったっていうことですか?」「そうですね」。そうなのか。そりゃあ妊娠しにくかったはずだ。しかしそういうことはおなかを開けてみないと

          おなか開けたらそうだった(入院19、20、21日目)

          その日は突然来る(入院16、17、18日目)

          入院16日目(34週4日)  4人部屋に引っ越して2日目。カーテン越しに、隣のベッドの人はMFICUの時に向かい側の部屋だった人だろうと察する。声が同じだ。MFICUの時は「向こうの部屋なのによく声が聞こえてくるな、しょっちゅう電話してるんだな」くらいにしか思わなかったけれど、ここで感心するのは来た人来た人全てに声をかけ、気さくに話していること。看護師さんはもちろんのこと、掃除のおばちゃん、配膳に来る看護助手さん。皆、出身がどことか息子がどうだとか自分の病気とか、親しげに身

          その日は突然来る(入院16、17、18日目)

          誰も彼も切迫早産界の住人(入院13、14、15日目)

          入院13日目(34週1日)  今日は義母がいらっしゃった。コロナを気にして遠慮されていたけれど、両親も頻繁に面会に来てくれているので、大丈夫ですよとお伝えしていた。ずしっと重たい包みをもらい、中を開けると大きな安産守りが。ご友人と連れだってもらってきてくれたのだという。「私は祈るしかできないから」と。こればっかりは本当に、当事者(そしてもっと言えば中の人)が頑張ってやり過ごすしかないのだな。  夕方はおなかが張りやすい。ちょうどニフェジピンを飲むタイミングなので飲む。夕方

          誰も彼も切迫早産界の住人(入院13、14、15日目)

          どんだけ神頼みしたんだ(入院10、11、12日目)

          入院10日目(33週5日)  今朝から、コロナ禍で中止されていた医大の看護学科の実習が始まったらしい。看護師さんに連れられて、学生さんたちが挨拶に来られる。「やっと始まってよかったですね」と声をかけると目がほほ笑んでいる。ひっそりとしていたMFICUも、少しだけ人の気配が増えた。  そんな中、病床に寝転びながら3日くらいかけてiPhoneに打ち込んでいた、仕事の書類を送信した。パソコンを持ってきているとはいえ、いきなり膝の上で開いても全然手元がおぼつかないけれど、寝転んで

          どんだけ神頼みしたんだ(入院10、11、12日目)

          下界に降りたら密だった(入院7、8、9日目)

          入院7日目(33週2日)  朝の巡回で、パックが空っぽになったマグセントの補充はせず、そのまま外すことになった。二又に分かれた点滴のスタンドが1本になって、腕も気持ちもほんの少し軽くなる。スライムのように重たく、力を入れることができなかった身体に、少しずつ力がよみがえってきた。相変わらずリトドリンによる動悸は強いが、体を傾けたり、起こしたりして、何とかどきどきをやり過ごせるようにもなってきた。自分の身体に、自分で力を入れるということが、どんなにありがたいことか。悪い夢でも見

          下界に降りたら密だった(入院7、8、9日目)

          へその緒がカーリーヘア的な(入院5、6日目)

          入院5日目(33週0日)  夜、また眠れない。リトドリンが優勢のときは動悸息切れが強く、マグセントが優勢のときはスライムのようにだるい。身体のほてりをアイスノンで抑えても、自分の鼓動が伝わってベッドが揺れる感じがする。夜22時半~午前1時半はうとうとしたけれど、午前5時すぎ、寝るのを諦めてアプリで新聞を読んでいたら少し眠くなり、20分くらい眠る。でも6時の朝の巡回が始まってまた目覚める。朝になると、今度はスライムが優勢になる。一歩歩くのも、食事をほんの一口、口に運ぶのもつら

          へその緒がカーリーヘア的な(入院5、6日目)

          熱いスライムとなる(入院3、4日目)

          入院3日目(32週5日)  朝のモニターでも張りが治まらないため、リトドリンを最弱からもう一段階上げることになった。そして、中の人の成熟を促すステロイド注射も打った。万が一早産になってもよいように。思えば32週は、私が生まれた週数でもある。自分が元気に育っているだけに、どうしても楽天的に考えてしまいがち。母に伝えると、「自分の時は、ただただもたせるようにと。今産んだら精薄児(注記:当時の用語。現在は差別に当たるため使わない)になる可能性があると言われたけど、破水して陣痛が始

          熱いスライムとなる(入院3、4日目)

          突然の診断(入院1、2日目)

          入院1日目(32週3日)  土曜日の朝、寝ぼけ眼でお手洗いへ行くと、おりもの程度の出血がある。1度目のお手洗いでは「ん?なんか引っ掻いた?」くらいの気持ちでスルーしたけれど、朝10時ごろに2度目のお手洗いでもやはり出血があるので、念のため医大の産科に電話してみる。すると電話口で、看護師に「できるだけ早く来てください。何時ごろ来られますか?」「来られたら車椅子移動になります。歩かないでください」「自分で車の運転はしないでください」と矢継ぎ早に指示され、(そんなに大げさなもので

          突然の診断(入院1、2日目)