就活体験記③ 大学4年の6月〜内定まで
6月になる頃、私にはまだ内定はなかった。それまで同様に面接を続けながらエントリーを増やすやり方を続けていたが、大手企業6社の面接を控えながらも内定はゼロの状態で、どうしたら内定がもらえるのか分からずにいた。周りはどんどん内定を得て就活を終わっているし、周りから私もどこかいいところに受かったのではないかという期待をされていることもあり、焦りとプレッシャーは大きかった。また多忙なスケジュールが長期化していることで疲労もたまり、心身ともに疲弊していっていた。
面接で途中まで進めるものの内定にはたどり着けない原因としては、面接で聞かれる、「なぜこの会社に入りたいのか」という質問に答えられなかったことである。名の通った他社を持ち駒で持っていると面接で公表することは、自分はそれだけの人材であるというアピールになるのだが、一方で、そんな他社を差し置いてもこの会社に行きたいと思う理由を述べなければ志望度が低いと判断されて次に進めなくなるのである。この質問に対する正しい答えはきっと「この会社でこそ自分のやりたい〇〇が実現できる」「ここでしかできない」といった答え方だと思う。これを発見したのは、かなり最後の方だった。
6月の1週目、怒涛の6日間連続面接があった。最終も複数含まれ、6日のうち2日東京、1日のうちに複数の面接を行うこともあった。この頃はもう緊張とプレッシャーで眠れず、食欲もなかったので、かなり体が限界でフラフラしていた。なぜかいつも最終面接の前夜は全く眠れず、結局6社中5社の最終面接の前日が眠れなかった。面接当日はフラフラしていて、たくさん準備したにもかかわらず、本番で存分に力を発揮することができなかったのだ。眠りたくても眠れないので仕方がなかった。
しかし1社だけ、最終面接の前日に爆睡できて、当日も最高のコンディションで臨めた会社があった。眠れたため疲れが取れてリフレッシュできて、体の力を抜いてリラックスして、るんるんの気持ちだった。いつもすごく考えて気をつけて面接に臨み、それでも失敗していたのに、この会社の面接はあまり何も考えずに素の自分を出すことができ、不思議と自然に振る舞えたのだ。思い返してみれば最終以外の選考時も、なぜかいつもテンションが上がっていた。雰囲気や相性が合っていて、それをなんとなく感じていたのかもしれない。面接後もなかなか手応えがあった。
正直、そこがダメなら中小企業を受け始めようと思っていたところであった。私は結局その企業から内定をもらうことができた。そして、入社して今に至る。今だから言える話であり、とても不思議なのだが、この会社は受けていた他のところと比べても、ダントツで条件が良かった上に、自分にぴったり合っていたのだ。運やタイミング、巡り合わせといった言葉がふさわしいかもしれない。偶然であるが、必然だったのではないかと思ってしまうほどである。「就活はご縁だから」という言葉を良く耳にしたが、こういうことを言っているのかもしれない。
内定の連絡は最終面接の翌日に来た。大学のゼミの帰りにバスに乗っているときに電話がかかってきた。私は途中でバスを降りて電話に出た。内定を告げられ、内定理由や評価も教えてもらえた。その時の喜びは忘れることができない。今でも同じルートのバスに乗り、そのバス停の前を通りかかると、その時のことが蘇る。急いで母に電話して、内定が出たことと会社名を伝えると、喜びのあまり叫んでいた。長かった就活という戦いがやっと終わった瞬間だった。私は言葉にできない喜びと、頑張ってきてよかったという達成感、そしてほっとした気持ちだった。
私は就活において、なかなか内定が出なかった。でもかえってそれがよかったと思う。なぜなら、最後の最後で最高の会社に巡り会えたからだ。今の会社が今まで受けた中で1番良い条件だと思うから、他のところですぐ決まらなくてよかった。
私はいくら失敗してもうまくいかなくても、ずっと諦めずに挑み続けた。最初に他の会社に内定が出ていたら今はなかった。今の会社を調べなかったし知らなかったし、行くとこにもならなかったと思う。成り行きみたいなところも大きい。もちろん頑張るべきことは頑張るけど、そのあとは運に身を任せる感じもあるのだなと思った。
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