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-20年越しで読了した話-
先刻、本の読み方、という記事を読み、思うところがあり、筆を取りました次第です。
その一例として、以前から、記事にしたいと思っていた、サン=テグジュペリ氏の「夜間飛行」について話したいと思います。
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初めての出逢いは、19才の頃。
東京都は、杉並区に暮らしておりました。
新宿の絵画予備校に通い、浪人していたときのこと。
その頃は、あまり友人もおらず、いつも一人で、新宿の大型美術用品店「世界堂」の中をふらふらしたり、新原東口や南口の紀伊国屋書店で本をぺらぺら、ぺらぺらと、主に美術系の書籍ばかりを眺めていた頃の話です。
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まず、冒頭に収録されている「夜間飛行」については、すぐに読了しました。
なるほど、丁寧な描写で、夜間飛行士であるサン=テグジュペリ氏の、実体験に基づいた、繊細な描写が、とても流麗に心に響きました。
ところが、併録の「南方郵便機」に移ると、途端に読むことが困難になり、それから、読了することも敵わず、その後、数年後に、まとめて書籍を処分したとき、一緒にブックオフに売却してしまいました。
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しかし、時は流れて、三十代を迎え、それなりに色んな本をたくさん読んできました。
うし、今なら、あの、当時、読了の敵わなかったあの本を読了できるのではないか。
そう思い、再び、サン=テグジュペリの「夜間飛行」を購入するに至りました。
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冒頭に収録されている「夜間飛行」については、やはり、さくさくと読み進みます。
なるほど、丁寧な描写、丹念な描写がとても心地よい。
さながら、操縦席にいるかのような、その繊細な臨場感、なるほど、素晴らしい。
と、いった塩梅です。
ところが、併録の「南方郵便機」に移ると、またもや、まったく文字を追えません。
しかし、そこは、屈強な読書歴を積んできた四十代を迎えるとまを氏です。
これまでにも、数多の難解な書籍を読破してきました。
意味など追えずとも、真意など分からずとも、例え、それがどんなに趣味嗜好と異なるものであろうと、屈強な読書力で読破してきましたから、こんなところで、怯んでいようわけがございません。
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ですが、また、その「夜間飛行」を手に取り、ふと、ゆるっとそこ「南方郵便機」の文脈を眺めているとき、薄ぼんやりと、田舎の田園風景が浮かんで参りました。
んん、これは。
何ぞや、、
その田園風景を眺めていると、なるほど、「南方郵便機」のその物語の持つ、本来の味わいの深みを感じられるような心地がしました。
そして、その田園風景や、家族との、知人との、穏やかで、かつ穏便な暮らしを、じっくり味わうように、あっという間に読了しました。
わたしは、その「南方郵便機」を、別な物語である「夜間飛行」のように楽しもうとしていたのです。
それでは、敵おうわけがありません。
その「南方郵便機」は、これは、あくまで、わたしの私見ですが、じんわりと、じっくりとそのささやかな日々を愉しむ本であるように感じました。
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この一件で、わたしが感じたこと。
それは、その物語、その物語、それぞれに、また人それぞれに、愉しみ方や味わい方があるのかもしれない、ということ。
他の人にとっては、また異なるのかもしれないけれど、わたしにとっては、「南方郵便機」は、今こうして、ささやかな日々を慈しんで生きてきた四十代を迎えたわたしの、人生の友として、愉しめる物語であったように思います。
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ということで、わたしなりの、ひとつの、小説の愉しみ方の話をしてみました。
ごゆるりと、愉んで頂けましたら、これ幸いに思います。
それでは、雨の降る一日。穏やかな週末を。
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