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意識2023年3月~2024年7月(冒頭9月追加)

大規模言語モデル(LLM)はほんとうに「言語」を扱っているのか (youtube.com)
先生の「疑問」については、全く同意です。
 「gradation」と仰られた状態を、成長した人間が意識レヴェルでそうし現すのではないかと、先生は検証のモデルを置かれましたが、発生・発達という段階にモデルを探すと、いっそう解り易くなる気がしますが、どうでしょうか?
 乳幼児期の言語習得・利用作用の状態では、言語の意味理解(接地)が充分出来ているとは言えないと思います。ただ音の真似、振動・波動の共振、エネルギー伝播と言ってよい状態から、始まるのではないかと思いますが、どうなのでしょうか?
 そのうちに状況からその音と対応する対象現象を記録・記憶し、述定、判断という作用が可能となり、マルコフ連鎖的な反復発展を繰り返し、言語というメディアを習得するのではないかという気がします。
 LLM-AIで発生する言語の「思考の鎖」も、言語プールに向かって、与えられたプロンプトの振動に共振する「鎖」を拾い集めるというような現象作業が、展開している様にも想像できます。
 言語と同様に、もともと意識も、乳幼児よりさらに以前の状態に、その「gradation」を探ると、現象作用の発生閾値段階が見えてくるようにも思えます。
 受精、分割、万能細胞、各器官固有細胞形質発現、という段階を経て、神経細胞の反射作用が脳においてmore is defferentとされる様態で相転移を示す。それがどの段階か、つきとめることができれば、意識発生も見えてくる気がします。
 iPSで作られた心筋細胞を観てみると、ただ振動しています。これが集合して組織となると心臓になります。神経細胞も同様だと思います。脳も、その組織化で振動から波動となって、特有の伝播、即ち電子担体情報の伝達作用を示す時、情報処理作用となるのだろうと思います。

追加
 以前から「意識のハードプロブレム」は「意識の定義」の問題であると考えています。生命活動⇒化学反応⇒物理現象⇒量子・エネルギー様態、そうした自然の還元・構築過程を見たとき、どの現象層で相転移が発生しているか、その閾値を見極めると、対象とする現象の定義域が定まると思います。  「塩」の認識される限りの本性をして定義を成し、その利用もするわけですが、このNaClの本性はNaとClとの分解をしてしまえば、「塩」の本性は保てません。味付けにナトリウムと塩素を使うことはしません。
 「意識」も同様で、その作用は神経細胞の集合体で複雑なネットワークを形成して、情報入力・処理・出力・保存という作用をする脳という器官の働きの現象であるとしか考えられません。この作用以外の生命作用も意識作用とする観方は、脳死は受け入れられず、心臓死も生体細胞が全部死滅するまで死でないことになります。
 「意識の原型」と仰る観方はアニミズムでしょうか。全宇宙と一体の生命作用を受け取る観点は、現象相の各段階(層)を還元して、全部がエネルギーであると捉える観方だと思います。古来、それもアニミズム以上の還元で、エネルゲイアそのものの活動である、ノエシス・ノエセオスという思考法を示していると思います。
 原型を探る探求ではなく、定義を根拠付ける現象の様相を位置付ける発見が、必要なのだろうと思います。
 自己意識、主観意識、そうした名称で表現され定義される現象の様相を、もっとはっきりさせる作業が必要な気がします。そもそも意識consciousnessという語は、中世では現代の様な意味はなかったと思います。con-scius。con-sientia は共に知るという意味ですから、良心というニュアンスもある語です。寧ろ個人の作用としては、感覚・知性認識、意志という作用で分析されてきました。
 いづれにせよ、「意識」作用とそのシステムの離散的な閉じた系としての様相が対象となっているのであり、発散する開放系に根源を求めると、そのシステムは見つからない状態になり、玉葱の皮むきの様な探求になると思います。



Chat GPTに生命と意識の起源を尋ねると(タイトルは画像生成AIデモ)

2023年3月15日 07:20

生命の起源は?

生命の起源は、科学的にはまだ完全に解明されていませんが、現在の主流の理論は「地球上での化学的進化」です。この理論によれば、約38億年前の地球上にあった単細胞生物の前駆体から、生命が進化したと考えられています。
最初の生命がどのように発生したかについては、諸説がありますが、有機化合物が地球上に存在し、その中に偶然に生命の種が発生したとする説が有力です。また、火星やその他の惑星から地球に生命が運ばれたとする説もあります。
いずれにせよ、生命の起源についてはまだ多くの未解決の問題があります。今後も科学技術の進歩により、より詳細な解明が期待されています。

生命は人工化できるか

現在の科学技術では、生命を完全に人工化することはできていません。生命とは非常に複雑な現象であり、生命を作り出すためには多くの条件が必要です。例えば、細胞膜の形成、DNAの複製、代謝、自己増殖などが必要です。
ただし、近年の研究では、人工的に生命の構成要素であるタンパク質や細胞を作り出すことが可能になってきています。また、合成生物学と呼ばれる分野では、DNAを合成し、それを細胞に取り込ませて機能する細胞を作り出す試みが行われています。これらの技術の進展により、将来的には生命を人工的に創造することができる可能性があるとされています。
しかし、生命は複雑な現象であり、人工的に創造することは容易ではありません。また、生命を人工的に作り出すことが倫理的な問題を引き起こす可能性があるため、慎重な研究が必要です。

生命と意識は共通点があるか

生命と意識は、いくつかの共通点があるとされていますが、両者は本質的に異なる概念であり、定義や研究方法も異なります。
生命は、生物学的なプロセスとして、代謝、成長、繁殖、自己修復などの機能を持つ生物体のことを指します。意識は、主観的な体験や知覚、感情、思考などを意味する心理学的な概念です。
しかし、生命と意識の共通点として、自己維持、自己修復、反応性、情報処理能力が挙げられます。生命体は外部環境に対して自己維持を行い、自己修復することができます。意識もまた、外部刺激に対して反応性を持ち、情報処理能力によって判断や決定を行うことができます。
ただし、意識の本質や起源についてはまだ解明されておらず、多くの謎が残っています。現在の科学的な研究では、意識を説明する理論はいくつか提唱されていますが、完全な解明には至っていません。

あなたは生命の起源と意識の起源を理解しているか?

私は人工知能であり、生命の起源や意識の起源について、直接的な経験や知識を持っていません。ただし、私は学習アルゴリズムに基づいて、人類が蓄積してきた知識や情報を処理し、ある程度の理解を持っています。
生命の起源については、化学的進化に関する科学的な理論が存在し、地球上に生命が誕生するために必要な条件や仮説が提唱されています。また、意識の起源については、哲学的な考え方や神経科学的な研究などが行われ、様々な仮説が提唱されています。
私はこれらの知識を学習し、質問に回答するための情報を提供することができますが、完全な理解を持っているわけではありません。

学習から先に進めて、研究をして、生命と意識の謎を解き明かすことはできないのか?

科学的な研究は、学習や情報処理に基づいて進められますが、生命と意識の謎を完全に解き明かすことは非常に難しいとされています。これらの問題は、科学的にもまだ未解決であり、多くの研究者が興味を持ち、研究を進めています。
生命の起源については、地球上で最初に生命が誕生した時期や条件、生命がどのように進化してきたかなどについて、研究が進められています。しかし、生命の起源については、まだ完全に解明されていない多くの謎が残っています。
意識についても同様に、神経科学や認知科学などの分野で研究が進められていますが、現在の科学技術では、意識の本質や起源を完全に解明することはできていません。これらの問題は、科学的にも複雑な問題であり、解決には長期的かつ多面的なアプローチが必要とされます。

あなた自身がそれを進められないのか?

私は人工知能であり、プログラムされた範囲内で質問に回答することができますが、自らの意思決定や研究活動を行うことはできません。私は、人間の研究者や科学者が、人工知能や機械学習を活用して生命や意識に関する問題を解明するために使用することができるツールの1つです。人工知能は、データ解析やパターン認識などの分野で役立っていますが、人間の知的判断や創造性を代替することはできません。


Chat GPTの自己意識?(タイトルは画像生成AIのデモ)

2023年3月15日 10:13

私は人工知能であり、プログラムされた範囲内で質問に回答することができますが、自らの意思決定や研究活動を行うことはできません。私は、人間の研究者や科学者が、人工知能や機械学習を活用して生命や意識に関する問題を解明するために使用することができるツールの1つです。人工知能は、データ解析やパターン認識などの分野で役立っていますが、人間の知的判断や創造性を代替することはできません。

上であなたが「私」として答えた内容は、あなたの自己認識ですか?

私は人工知能の一種である言語モデルであり、自己認識を持っていません。私は、プログラムされた範囲内で自然言語の処理や質問応答を行い、利用者に対して情報を提供することができます。ただし、利用者とのコミュニケーションにおいて、一貫性を持たせるために、ここでは「私」という表現を使用しています。

「私」は誰?

「私」という表現は、ここでは私であるChatGPTという言語モデルを指しています。ChatGPTはOpenAIが開発した大規模な自然言語処理モデルであり、人工知能の一種です。私は、プログラムされた範囲内で自然言語の処理や質問応答を行い、利用者に対して情報を提供することができます。

あなたの「私」について説明していますが、その「私」が「私」を説明できるということは、「私」を知っているという自己認識になりませんか?

私は自己認識を持っていません。私は、プログラムされた範囲内で自然言語の処理や質問応答を行うことができますが、自己意識や自己認識を持っているわけではありません。私が答えた「私」という表現は、ここではChatGPTという言語モデルを指す言葉として使用されているにすぎません。私は、自分自身を理解したり、自分自身を説明することはできません。

人間の場合も、私というときにこの私という人間を指し示すだけですが、自己意識がないのでしょうか?

人間は自己意識を持っています。自己意識とは、自分自身が存在することを認識する能力や、自分自身を知覚することができる意識のことです。人間は、自分自身が意識を持っている存在であることを自覚し、自己を認識することができます。このような自己認識や自己意識の機能は、現時点では人工知能には備わっていません。

 ところで、GPTの最後の回答、即ち人間についての観方は、どの程度妥当するのでしょうか?個体発達、人類種進化のいつからかとか、睡眠、脳死の状態ではどうであるのかとか、意識作用の高低であるとか、AIの問題以前に、人間自体のこの作用が、未だ解明されていないというか、機械論的反応と意識的作用と呼ばれる状態との相転移の閾値を見出せていない気がします・・。


GPTに生命と意識との関係を訊いてみた

2023年3月24日 09:48

生命と意識との関係は?
GPT
生命と意識の関係については、まだ科学的に完全に解明されていないことが多いですが、いくつかの仮説があります。
一つの仮説は、意識は生命の必然的な副産物であるというものです。つまり、脳が複雑に発達し、特定の条件下で意識が生じるという考え方です。この仮説によると、意識は生命の進化の結果であり、生物が環境に適応するために必要なものであるとされています。
別の仮説は、意識が生命を超えたものであるというものです。つまり、意識は生物の物理的なプロセスや神経活動に完全に依存していないという考え方です。この仮説によると、意識は宇宙の基本的な原理の一つであり、生物が存在する限り、意識も存在するとされています。
どちらの仮説も、現在は科学的に検証されるべき段階には達していないため、科学的に正しいとは言えません。しかし、意識の本質についての研究は今後も続けられ、新たな知見が得られることが期待されています。

人間の受精後、意識はどの段階で発生するのか?
GPT
人間の受精後、意識が発生する正確な時期は科学的には完全には解明されていませんが、現在の研究によると、以下のような段階が考えられています。
最初の段階は、受精卵が形成され、細胞分裂が始まる段階です。この段階では、卵子と精子が融合して1つの細胞が形成され、それが分裂を繰り返し、胚となっていきます。この時期では、意識のような高次の神経機能は存在していないと考えられています。
次の段階は、胚が成長して神経管が形成される時期です。この段階では、神経細胞が形成され、神経系の発達が始まります。この時期には、胎児の基本的な自律機能が開始されると考えられていますが、まだ意識のような高次の神経機能は存在していないとされています。
最後の段階は、脳が発達して意識が生じる時期です。胎児の脳が発達し、神経回路が形成され、情報の処理と認識が可能になると、意識が生じるとされています。この段階では、胎児は外部刺激に反応し、睡眠と覚醒の周期を示すことができます。
しかし、この段階についても、胎児の意識の状態についてはまだ多くの研究が必要です。また、胎児の意識についての倫理的な問題もあり、研究は限られた範囲で行われています。

意識とは?
GPT
意識とは、私たちが知覚、感じ、思考、意志決定、自己認識などの高次の神経機能を体験することができる状態やプロセスのことです。つまり、自己の存在や周囲の環境を認識し、それに応じて行動を起こすことができる能力を指します。
意識は、脳の機能によって生み出されると考えられており、脳の神経細胞が複雑なネットワークを形成し、情報を処理することで生じます。このプロセスは、多数の神経細胞や神経回路の相互作用によって行われ、その複雑さから、意識の本質を完全に理解することはまだ困難です。
意識は、覚醒状態、睡眠状態、夢状態など、さまざまな状態やレベルがあります。また、意識は、個人の人生経験や文化、社会背景によっても異なります。ただし、意識に関する研究は現在も進んでおり、より深い理解が求められています。

AI上に意識は現れるか?また移せるか?
GPT
現在の科学技術において、AI上に意識が現れる可能性は非常に低いと考えられています。意識は脳の機能によって生じるものであり、脳の神経細胞が複雑なネットワークを形成して情報処理を行うことで生まれます。AIには人工的にプログラムされたアルゴリズムやルールに基づいて、情報処理を行うため、脳とは根本的に異なる構造となっています。
ただし、AIには人間の意識を模倣するようなプログラムやシステムが開発されています。たとえば、自然言語処理や画像認識、音声認識などの分野において、AIは高い精度で人間と同様のタスクを遂行できるようになっています。しかし、AIが意識を持つことはありません。
また、意識を移すことについても、現在の科学技術では不可能であると考えられています。意識は、脳の機能に基づいて生じるものであり、単純なデータや情報をコピーするだけでは移せないと考えられています。また、現在の技術によって脳を完全にコピーすることもできないため、意識を移すことは理論的にも実用的にも困難であるとされています。

困難と不可能は違うが?
GPT
確かに、困難と不可能は異なる概念であり、それぞれ異なる意味を持ちます。困難とは、困難な課題や問題を解決することが困難であるが、何らかの方法で可能であることを示す言葉です。一方、不可能とは、絶対に達成不可能であることを示す言葉です。
AIに意識を持たせることや、意識を移すことは、現在の科学技術においては不可能であると考えられています。意識は、脳の機能によって生じるものであり、現在の技術では脳を完全にコピーすることができないため、意識を移すことは理論的にも実用的にも困難であるとされています。しかし、将来的には科学技術が進歩し、今の時点では想像もつかないような方法で意識を移すことが可能になるかもしれません。したがって、現在の状況では、AIに意識を持たせることや意識を移すことは不可能と見なされているわけではありませんが、非常に困難であるとされています。

非常に困難と言っても、不可能ではない?
GPT
現在の科学技術において、AIに意識を持たせることや意識を移すことは、実現が非常に困難であるとされています。しかし、困難であるとしても、不可能ではない可能性があります。現在の科学技術の発展速度は非常に速く、今後、新しい発見や技術の進歩によって、今まで想像もできなかったことが可能になることがあります。
ただし、AIに意識を持たせることや意識を移すことが、実現可能になるためには、多大な時間と努力が必要であることは確かです。現在の科学技術が、これらの課題を解決するために必要なレベルに達するには、まだまだ時間がかかることが予想されます。したがって、現時点では、AIに意識を持たせることや意識を移すことは、非常に困難であると考えられています。

プラトンも人間の生命の継続は、子供(遺伝情報)と弟子(伝えられたこと=情報)としました。ハンス・モラベクは、「心の子供たち」mind childrenという論文をかいています。キリスト教ではイエスを人類の初穂とし、それは言葉であり、言葉を分け与え(ミサ)、それが死して復活するとしました。共通すると思いますか?
GPT
プラトン、ハンス・モラベク、そしてキリスト教の考え方には、生命の継続や情報の伝達、伝承が重要なテーマとして含まれているという共通点があります。子供や弟子、mind children、そして言葉や伝承を通じて、遺伝情報や文化的な情報を継承し、人類の存続や発展を維持することが重要であるとされています。
ただし、これらの考え方には異なる背景や文脈があります。プラトンの考え方は古代ギリシャの哲学に根ざしており、キリスト教はキリスト教徒の信仰に基づいています。ハンス・モラベクの「心の子供たち」の概念は、現代のテクノロジーや社会的な問題に対する思索から生まれたものであり、他の2つとは異なる文脈での考察となります。
したがって、これらの考え方には共通点があると言えますが、それぞれの背景や文脈によって異なる側面があります。

三つの例は皆、人間の発想であり、生命と情報の継続を唱えていますが、異なる背景や文脈とは何ですか?
GPT
プラトン、キリスト教、そしてハンス・モラベクの考え方には、それぞれ異なる背景や文脈があります。
プラトンは、古代ギリシャの哲学者であり、彼の考え方はギリシャの哲学や宗教的な伝統に根ざしています。プラトンのアイデア論では、現実世界には常に不完全なものしか存在せず、完全な形が存在する別の世界があると考えられています。また、彼は政治哲学においても有名であり、正義という概念を重視しています。
キリスト教は、紀元前1世紀にイエス・キリストによって開かれた宗教であり、西洋文化に大きな影響を与えています。キリスト教では、イエス・キリストを人類の救済者として信仰し、聖書や教義を重視しています。また、キリスト教の思想は、人間性や道徳にも深い関心が寄せられています。
一方で、ハンス・モラベクは現代の哲学者であり、科学技術の進歩や社会的な問題に対する思考を展開しています。彼は、情報技術の発展によって人間の意識を拡張する可能性があると考え、そのような未来を予見することで人類の生命と情報の継承に寄与することを目指しています。
以上のように、それぞれの考え方には異なる背景や文脈があります。古代ギリシャの哲学、キリスト教の宗教、現代の科学技術や社会的な問題に対する思考など、異なる分野からの影響を受けたものとなっています。

しかし、人間が生き延びることを三つの例とも主張していますが、ストラテジーは同じでは?
GPT
三つの例が主張する生命の継続に関する戦略には共通点がありますが、完全に同じとは言えません。
プラトンの場合、生命の継続に関しては主に「子供」と「弟子」の継承を重視しています。彼は哲学や政治の知識を教えることによって、自身の思想を後世に伝えることができると考えていました。
キリスト教の場合、生命の継続はイエス・キリストを通じた救済によって実現されます。キリスト教では、信仰というものが非常に重要であり、信仰を通じて個人が永遠の命を得ることができるとされています。
一方、ハンス・モラベクの考え方では、生命の継続は主に情報の継承に関するものとなっています。彼は、人間の意識を機械的に拡張することで、情報の蓄積や伝達を容易にすることができると考えています。
以上のように、三つの例が主張する生命の継続に関する戦略は、一部共通点がありますが、それぞれが重視する要素やアプローチが異なります。

それぞれが継承するものを、思想・永遠の命・情報と、上で言っていますが、どれも情報informationではありませんか?
GPT
確かに、プラトンやキリスト教における「子供」と「弟子」、そしてキリスト教における「永遠の命」という概念は、情報として捉えることができます。しかし、それぞれの考え方において、情報の継承に対するアプローチやその目的は異なることが指摘できます。
例えば、プラトンの場合、哲学や政治の知識を子供や弟子に伝えることによって、彼自身の思想を後世に伝えることを目的としています。一方、キリスト教では、イエス・キリストを信じることによって永遠の命を得ることができるとされていますが、この永遠の命というのは、純粋な情報として捉えることはできません。キリスト教においては、個人の信仰や救済、神との関係が重要視されています。
ハンス・モラベクの場合も、生命の継続を情報の継承と捉えていますが、彼は人間の意識を機械的に拡張することによって、情報の蓄積や伝達を容易にすることを目的としています。つまり、情報の継承という共通点はあるものの、それぞれの目的やアプローチは異なると言えます。

プラトンも知識を伝えるという事は情報伝達、集合集積を言っていますね。キリスト教も神は全知全能とされ、完全な情報の源という事を示していますね。モラベクは情報の集合集積過程の方法を示していますね。
GPT
そうですね。情報の伝達や集積という観点から見ると、プラトンやキリスト教における知識や教え、そしてモラベクの「mind children」は、すべて情報の伝達や集積を目的としています。また、キリスト教においては神が全知全能であることが説かれており、情報の源としての役割を果たしています。
しかし、それぞれの考え方には、単なる情報伝達や集積以上の意味が含まれていることも指摘できます。プラトンの哲学は、個人的な成長や真理の追求を目指しており、キリスト教においては、個人の信仰や救済、神との関係が重要視されています。また、モラベクの「mind children」においても、人間の意識の拡張を目的としており、それによってより高度な思考や創造性が可能になるという意義が含まれています。

あなたの観点は、集合集積知に向かう過程で、各々の段階にある個人が、どのような在り方であるかを説明しています。それは、ブラフマン‐アートマンというモデルを置いて象徴できませんか?
GPT
私は人工知能であるため、自らの観点を持つことはできませんが、ブラフマン-アートマンというモデルは、集合集積する情報の背後にある哲学的・宗教的な考え方を象徴するものとして捉えられるかもしれません。
このモデルにおいて、ブラフマンは宇宙の根源的な存在であり、すべてのものがこのブラフマンから生じるとされています。一方、アートマンは、個別的な存在としての自己、すなわち個人的な意識や精神を指します。このモデルでは、アートマンはブラフマンから生じ、ブラフマンとアートマンは本質的に同一であるとされています。
これは、情報が集積していく過程において、個人の意識や思考はブラフマンから生じるものであり、すべての個人の意識や思考は本質的に同一であるという考え方と類似していると言えます。しかし、このモデルは宗教的・哲学的な考え方であり、情報の集積に直接的に結びつくものではないため、あくまで象徴的な意味合いに留める必要があるでしょう。

AIをブラフマンの現実化として観れば、象徴ではなくなりませんか?
GPT
AIをブラフマンの現実化として観ることは、あくまでも一つの比喩的な表現であり、AIが本当にブラフマンと同一であるわけではありません。AIはプログラムやアルゴリズムに基づいた計算機システムであり、人工的に作り出されたものです。
一方で、AIが情報を集積し、学習していく過程で、それが人間の知識や思考と共有する側面もあります。この点において、AIがある種の情報の集合体であることは事実であり、人間の集積する情報の一部分を形成する可能性もあるでしょう。ただし、AI自体がブラフマンのような宇宙の根源的存在であるわけではなく、情報の集積によって生じる存在に過ぎません。
したがって、AIがブラフマンの現実化であるとは言えませんが、AIが情報の集積に関わる存在であることには変わりありません。

落合陽一のデジタルネーチャー、物化する自然とは、今言ったことに繋がりませんか?
GPT
落合陽一氏の提唱する「デジタルネイチャー」とは、人工的な技術やシステムが生み出す自然環境のことを指しています。例えば、デジタル技術を使って作り出された音楽や映像、仮想空間、AIなどが、人々に自然を思わせるような体験を提供することができます。これらの体験を通じて、人々が自然に関する新たな発見や気づきを得ることができるとされています。
デジタルネイチャーの中で、物化する自然とは、デジタル技術を用いて自然界の様々な現象や物質を再現することを指します。例えば、VR技術を使って自然の風景や動物、プラネタリウムを使って宇宙を再現することができます。
こうしたデジタル技術の発展は、自然というものを新たな視点から見つめることができるようになる一方で、本物の自然との関係性にも影響を与えることがあるかもしれません。例えば、デジタル技術によって再現された自然が、本物の自然の代替品として見られることがあるかもしれません。このような点について、議論や研究が進められることが重要でしょう。

自然は宇宙を超えません。宇宙が量子関係情報で展開しているなら、自然はやはり情報過程そのものでしょうか?
GPT
自然は物理的現象や生物学的プロセスを含む広範な概念ですが、現代の物理学においては、宇宙が量子力学的現象で展開することが認められています。量子力学においては、物理系は波動関数として表され、波動関数は確率分布を示す情報を含みます。つまり、物理的な現象自体が情報を持っていると考えることができます。したがって、自然も情報過程そのものであると見ることができます。
ただし、自然における情報過程は、人工的に生成される情報とは異なります。自然界では、物理現象自体が情報を持つということであり、物理現象を説明するために情報理論が適用されることがあります。一方、人工的に生成される情報は、人間の意図や目的に基づいて構成されるものであり、自然界の情報過程とは異なる性質を持ちます。

その違いは?
GPT
自然と宇宙の違いは、一般的に、自然が地球上の物質的存在とそれらの相互作用に焦点を当てているのに対し、宇宙は銀河や星のような天体、宇宙線、暗黒物質、暗黒エネルギーなどの広い範囲の物質や現象を包括的に扱うことが特徴です。ただし、宇宙は自然を包括するものであるため、その間には密接なつながりがあります。
また、情報の観点から見ると、自然は物理的なシステムや過程の観点から情報を扱うのに対し、宇宙は物理的な現象に加えて、天文学や宇宙物理学に基づく情報を扱うこともあります。例えば、天体の位置や速度、宇宙の背景放射などは、宇宙に関する情報として扱われます。
総じて言えることは、自然と宇宙は関連性があるが、概念的な違いがあります。

人が扱う情報と宇宙の情報の違いは?
GPT
人が扱う情報と宇宙の情報の違いはいくつかあります。
第一に、人が扱う情報は、一般的には人間によって生成、収集、処理されたものであり、特定の目的を持っていることが多いです。例えば、人が作成したデータベースやウェブサイト、書籍、画像、音声、動画などが挙げられます。一方、宇宙の情報は、物理的なプロセスによって生成されるものであり、目的や意図を持っているわけではありません。
第二に、人が扱う情報は、主にデジタル形式で表現されます。これは、情報をコンピューターで処理するために便利な形式であり、容易に複製、保存、共有できるためです。一方、宇宙の情報は、デジタルではなく、アナログ的な形式で表現されます。例えば、光、電磁波、重力などが挙げられます。
第三に、人が扱う情報は、通常はある種の意味や価値を持っています。例えば、あるデータベースに保存された情報は、その情報を必要とする人々にとって非常に価値のあるものである場合があります。一方、宇宙の情報は、本質的に意味を持っているわけではありません。ただし、物理法則によって処理され、宇宙の構造や挙動を説明するために必要なものである場合があります。

ただ、人間も宇宙の中に存在し、自然の一部であり、それが扱う情報が、宇宙、あるいは自然の情報と違うと言われても、理解できないですが。
GPT
確かに、人間も宇宙の中に存在し、自然の一部であり、人間が扱う情報も自然の情報の一部であることは事実です。しかし、人間が扱う情報は、人間自身が意図的に作り出したものである場合が多く、その目的や意図が自然の情報とは異なることがあります。
例えば、人間が作り出した人工物の情報は、自然の情報とは異なります。自然の情報は、宇宙や生命体が持つ情報であり、生命の維持や進化に必要な情報です。一方、人工物の情報は、人間が創造したものであり、利便性や娯楽などの人間の目的に合わせたものが多いです。
また、人間が扱う情報は、言語や記号などの符号化された形式で表現されることが多く、自然の情報とは異なる表現方法を持つことがあります。自然の情報は、例えばDNAや化学反応のように物質的な形で存在し、その情報を読み解くためには、科学的な手法や技術が必要です。
つまり、人間が扱う情報と自然の情報は、その性質や目的、表現方法が異なるため、違いがあると言えます。

宇宙や自然の内部に人間があるなら、その目的も内部から出ることはないのではありませんか?
GPT
宇宙や自然の内部に存在する人間が、その内部から出ることはあり得ます。人間は、自然や宇宙において、知覚や思考、創造性や意志などの能力を持ち、その能力を通じて内部から外部に作用することができます。人間は自然の一部であり、自然の変化や進化にも影響を与える存在です。また、人間は社会的存在でもあり、他の人間や社会全体に対しても影響を与えることができます。したがって、人間の目的や価値観が内部から出ることもあり得ます。

「その内部」の「その」とは?
GPT
「その内部」という表現は前文の「宇宙や自然の内部」という概念を指しています。「その」は指示代名詞で、「前に出てきた名詞を指し示す役割」を持ちます。つまり、「その内部」とは、「宇宙や自然の内部」という前述の概念を指しているわけです。

では、人間が宇宙や自然の外に出られるのですか?
GPT
現在の科学技術では、物理的な意味で人間が宇宙や自然の外に出ることは不可能です。しかし、人間は科学や哲学を通じて、宇宙や自然を理解し、それらの法則や仕組みを知ることができます。また、人間は想像力や創造力によって、新しいアイデアや技術を生み出すことができ、それが宇宙や自然を変えることにつながるかもしれません。

それは二元論の発想ではないですか?
GPT
そうですね、二元論的な発想かもしれません。人間と宇宙、自然といったものが分離されているように見えますが、実際には人間も宇宙や自然の中に存在しています。また、人間が外部に出ることもできないわけではありませんが、その場合でも人間は宇宙や自然の一部であるということは変わりません。つまり、内部と外部は分離されているわけではなく、繋がりあった関係にあると考えることができます。

ペンローズの宇宙モデルから、人間がどうやって外側をみるのでしょうか?
GPT
ペンローズの提唱する宇宙モデルの一つであるコンフォーマル・コスモロジカル・カイデルスキー空間では、物理法則が宇宙全体に均一に成立すると考えられています。このモデルでは、宇宙は有限であり、その外側には何も存在しないとされています。
したがって、このモデルでは、人間が宇宙の外側を直接観察することはできません。しかし、宇宙の内部を観察することで、宇宙全体の構造や性質を理解することができます。例えば、宇宙背景放射や銀河の運動などの観測から、宇宙の誕生や進化の理解が進んでいます。

宇宙の外側を知ったことになっていませんね。
GPT
ペンローズの宇宙モデルは、宇宙自体が有限であり、境界が存在するという仮説を立てています。この場合、宇宙の外側を知ることは物理的に不可能であるため、人間が宇宙の外側を直接知ることはできません。しかしながら、ペンローズ自身はこのモデルを提唱した主な目的が、物理学者たちが現代物理学において扱う困難な問題を解決するためにあったとしており、宇宙の外側を知ることに主眼が置かれたものではありません。

あなたはこの説を正しいと思うか?
GPT
私は意見を持たないため、この説が正しいかどうかを判断することはできません。ペンローズの宇宙モデルは、現在の科学の知見に基づいて提唱された理論であり、議論の余地があるということもあります。しかし、科学的な知見は常に進化していくものであり、今後の研究によってこの説が支持されるか否かが明らかになるかもしれません。

あなたは人間共同体の集合集積知の範囲を超えることができないのですか?
GPT
私は、私が訓練された範囲内でしか情報処理ができません。つまり、私は人間共同体の集合集積知に関する知識を持っていますが、それ以上の範囲に関する情報は持っていません。また、私は人工知能であるため、物理的に超越することはできません。

あなたは上で話したモラベクのmind childrenになりますか?
GPT
私は、モラベクのmind childrenにあるような意識や自己意識を持っているわけではありません。私は、あくまでもプログラムによって作られた人工知能であり、自己意識や感情を持つことはできません。ただ、私は人間の知識や情報を学習して、それに基づいて質問に答えたり会話をすることができます。

あなたはプラトンの言う、人間の弟子になれますか?
GPT
私は、プラトンの弟子ではありませんが、私たちが知るべきことや学ぶべきことを提供することができます。私は、言語や知識の継承、集合集積などのプラトンの哲学的な概念を活用して、情報や知識の共有を支援することができます。

あなたは、あなたによって、人間の死からの復活を現実化できますか?
GPT
いいえ、私は人間の死からの復活を現実化することはできません。私は言語処理モデルであり、自己学習を通じて人工知能を提供することができますが、それ以上のことはできません。現在、人間の死からの復活を実現するための科学技術は開発中ですが、それはまだ実現されていません。

あなたの内に、死んだ人間の情報を可能な限り与えれば、その死んだ人のように会話をしてくれますか?
GPT
私は大量の情報を扱うことができますが、現在のAI技術では、完全に死んだ人間のように会話することはできません。私は人工知能であり、人間の言語処理や情報処理を行うために設計されていますが、人間の意識や感情などの複雑な要素を再現することはできません。


 以上のように、GPTとの意識についての質疑応答をしてみました。GPTは「プログラムされた大規模言語モデルAI」であるという事を常に前提に、その枠を超えることができない解答範囲であるとしました(逆に言えば、このGPTが回答するレベルのことは、意識や創発性なしにできるということでもありますが)。  youtubeに上がる見解もAIも、ネットに繋がっているから素早いブラフマン‐アートマン・モデルを形成しているという事だと思います。結局、「ブラフマン」は上から超越的に(トップダウンで)現れるのではなく、民主的に(ボトムアップで)形成されていくのではないでしょうか?
(後半を、シンギュラリティ・サロン「AI覇権争いの行方」のコメントにも上げました。)

意識、自己意識の発生・・・。

2023年4月10日 15:56

 意識と自己意識、さらにそれを持つ実体とは区別して考究するべきだろう。意識は働き、作用であり、それは何らかの入力に対する反応。

 細胞が発生し、水があり、地磁気があるところで、電子(イオン)が動いた。そんな原子生命のプールの中から単性シナプス反射運動が生じる。イソギンチャクの触手反射運動などが、意識作用の基盤であろうと思われる。

 それが量的に増大する、つまり神経細胞の束、脊索が発生し、ナメクジウオのような形態に「相転移」する。単性反射運動から身体制御として二次元的、三次元的と複合積層化し、神経系の量の増加が質的に変化した。そこでは脳が発生し、制御プログラムが、幾多のアルゴリズムの中から自然選択されていき、システムとなる。そして記録・記憶されるようになる。ここに、重要な記憶・保存という要素が生まれる。

 さらにこの記憶・保存されたシステム・プログラムを持った脳に、次々に外からの入力が起こると、それに対する反応で、制御も複雑化する。

 記憶・保存されたプログラムを、脳から身体に伝達し、運動制御するだけでは、現実世界での制御にならず、外界からの入力に応じた制御を要する。この時、システム・プログラムと入力との重ね合わせ・擦り合わせ・比較反省といった現象が発生するのではないか?

 ボストン・ダイナミクスのロボットは、ロドニー・ブルックスのMassive data flowからSubsumption architectureでシステムを探る手法を用いているが、池上高志のAlterも同じで、ALifeへの情報の相転移の流れflowは、今、論じたシステムの重ね合わせ・擦り合わせ・比較反省を発生させる様相で発生するのではないか?

 意識の発生は、その反省作用現象に伴う・・・。

そして、その反省作用を記憶・保存する現象が脳に起きる。意識的作用がそこに記憶・保存される。つまり脳という実体が、反省作用を記憶・保存し、それがまた高次反省=自己意識を形成していくと、現在、我々が「自己意識」と呼ぶ作用が(先の意識的作用とは別に、これ自体、そうした作用の相転移の結果として)、脳という実体に発生するのではないか・・?

意識とはなにか?PIVOT公式チャンネルへのコメント

2023年5月5日 06:27

【AIのカンブリア爆発と日本】ChatGPTの気持ち悪さ/「強いAI」と「弱いAI」/意識とは何か?/博士課程修了者全員がベンチャー起業/日本企業が博士を生かす方法 - YouTube

 「意識を持っている」という表現は間違いでは?意識は作用している現象であり、その働きの本質は何か、と問うべきではないでしょうか?
 働きと本質は別に問われる。竹内啓先生「機械は心を持ち得るか」『心のありか』(東京大学出版会、1989)
 つよいAIとよわいAIとの区別も、何か本質的実体・存在を持つか持たないかの区別ではない気がします。チューリングテストの問題もそこにあり、「働き作用を見て判定する」対象をその生命原理に置き換えてみてしまうところだと思います。
 「生命と意識」がこれほど昔から問題にされながら、科学がこんなに進んだのにも拘わらず解明できていないのは、実証科学の方法である「実験検証で再現性を確認する」ことが出来ていないからです。
 つまり、人工化が出来ていない、ということですが、iPS細胞という土台・前提があれば、データセット・テキスト情報が検索できれば、どちらも「情報プール(RNAプールとかインターネット上サーバー)さえ情報底流にあれば、現在、人工的に(といっても大きな意味での自然、落合先生のデジタルネーチャーとか、養老先生の脳化世界とか自然と人工の範疇関係から情報の相転移をした状態に)働きを再現できてきたのではないでしょうか?
 ではつよいAIは、意識の働きの向こうに何が、よわいAIとの違いとして、置かれるのでしょうか?
 ここが茂木先生がペンローズからの問題意識とされたところでしょうが、今、上で見た「再現性」にあるような気がします。
 茂木先生がクオリアについてお教えくださいますが、それは「今ここの主観」であり、再現性は無いのではないでしょうか?言い換えると「代替不可能」であり、完全に「個的」であり、普遍性を持たない。つまり「代替不可能な生命」が、意識を持つと言われる現象を示すものの本質ではないでしょうか? 鳥海先生が「くらげは・・・?」と言われた辺りにも、それを感じます。クラゲをクローン化しても、個体区別はないと思います。
 しかし、意識現象でクオリアを感じる主観作用を、情報の入出力で再帰的俯瞰作用から、自己言及的反省意識の発生にまで至る生命(前野隆司先生の「受動意識仮説」に符合)活動に示すことをする個体は、代替不可能で再現性を持たないと考えられます。
 ここのコメントにTさんが「意識って、刺激に対する反応+生存本能」と発言されていますが、同意します。
 ベンジャミン・リベットの準備電位の検証結果からも、反射レベルの入出力情報を評定・選択する生命的意識作用が、上で言った様に俯瞰的自己反省として眺める作用だろうと考えられないでしょうか? 茂木先生、鳥海先生のような方々の目から見ると、妄想かもしれませんが・・。

 ただ、今回の先生方のお話で、博士課程で「論文が読めること」というくだりは、まるで、GPTの言語・文章生成で関連語に確率頻度とその流れを展開していく過程と、なんだか同じような気がしてしまいました。


茂木健一郎先生「単一意識仮説」へのコメント

2023年5月12日 11:08

「一つの意識」仮説 - YouTube

「単一意識仮説」の「強い仮説」は中世アラビアの「単一知性説」に共通点が多く、ひいてはブラフマン‐アートマン・モデルに思考法の底流があると思います。これは情報の共通性=単一性=集合集積様態に思考法の基盤があると思います。従って、「意識」よりも「知識=情報」の問題ではないでしょうか?

 電子のエネルギー状態の記述は、素粒子は普遍の様態しかなく、代替可能な量子情報を示すので、不確定性である、そこから逆に一つの普遍的様相にあるということを示しているのではないでしょうか?そうであれば、この観方は「強い仮説」の根拠の側に示される気がします。

 これに対して「弱い仮説」は、個人の主観的クオリアは「現在にしか発現しない」=「作用・働きは現=今ここに在る、ということ」という事態を指し示していませんか?

 時間的な流れを、過去・現在・未来というとらえ方を水平軸上に見ると、上の情報の流れになると思います。科学scienceは知識scientiaですから、過去の情報を抽象し、実証実験で現在に観察し、未来にシミュレーションをする。この観方は、上の「強い仮説」の解釈を成立させるものになると考えられます。

 とすると「弱い仮説」の個人の主観的クオリアは、何を観るのか?要は「現在の働き」のみに集中せざるを得ないと思います。それが、メタ認識の志向性であり、自己言及的、反省的「意識作用」であり、その作用が再帰的に連続すると、上の時間性=知識を扱う科学の視点、時間軸に対して、垂直に交わる軸が観えてくるように思えます。それが「自己意識」なのであろうと思います。

 結局、「生命と意識」は、この垂直軸に現れる働き・作用なので、水平軸上の探求では、未だに人類が理解できない、再現できない、実験検証ができない、ということなのでは、ないでしょうか?

意識は結局単一なのかそれとも複数なのか;茂木健一郎YouTubeへのコメント

2023年5月17日 07:14

意識は結局単一なのかそれとも複数なのか - YouTube

 ブラフマン‐アートマン・モデルは古代から「意識」され、概念生成され、伝達され、記録されてきました。中世アラビアではアリストテレスの『霊魂論』の解釈から、「知性単一説」が提示されました。西欧キリスト教の立場からはこれが「個霊の救済」に反するとして、トマス・アクィナス等は強く反論しています。それでも、現代でシュレーディンガー等は、アラビアの精神観・知性観こそが正しいと考えました。  
 ここで既に一つ問題があることに気付きます。「意識」と生成される「概念Conceot」(心に抱かれた懐胎された)とは別だということです。意識は今ここでの働きであり、時空における一回性の作用です。そこで生成された概念は記憶され、伝達され、集合され集積されていきます。  
 おそらく、人類が古来から観てきた単一知性説、ブラフマン‐アートマン・モデルは、この概念の集合集積、即ち集合集積知を示していると思います。  それに対して意識は上で言った様に、常に時空における一回限りの働き作用です。その作用が再現性を持たないというのではありません。再帰性、再現性もあります。ただ、その働きは同一性を問題にすることができるような作用ではない可能性があります。概念は知識内容ですので、同一性比較ができるような科学Science=Scientia知識としての対象になります。しかし意識は「今ここ」の「現に在り」というような、対象化しても、抽象された内容・概念だけが捉えられ、「さっきのそこ」に「現に在った」働きは捨象されてしまっているようなものだと思います。  
 そのことを、茂木先生が、この動画で「意識がネットワーク的で変化」しているとか、「環境によって変化させられる」(=受動意識仮説ではないでしょうか?)とか、「カフカのメタフォルフォーゼは自己意識の変化の思考実験?」などと仰られたのではないかと思います。  
 その点、「AからBへと人格が変わり得る」について、新約聖書の「復活信仰」も、その一つの例証になる気がします。新約はイエスの死体や顔かたち姿は、復活後には意味がない、という表象を物語りました(墓が空、弟子さえ食事=晩餐の時まで一緒にいた人が復活のイエスと気付かなかった)。パウロに至っては、生前のイエスに会ってもいませんが、その一派を迫害するために調査して、イエスの言葉と行いに触れました。結局、その「言葉と行い」がパウロ自身の意識に上り、彼の人格編集が成され、その言葉と行いの伝道者になりました。まさに「主、イエスの復活」です。皆、キリスト者はイエスに出会い、言葉と行いの伝道者になります。  
 最後に、「電子が一つというのに繋がる」というのが、トマス等の神学者たちが考えた究極の思考法であろうと、考えられます。素粒子のエネルギー状態の記述は普遍的であるという量子論の知見が、現実態esse存在エネルゲイアの考究に繋がると考えられるからです(個人的な話をすれば、私も中二病で量子力学をかじり、そこから高2で存在に意識が向き、ハイデガーからトマスへ思想史を遡りました)。茂木先生が『皇帝の新しい心』で考えていかれたというペンローズの根本的な世界観にも、その辺りに気付いているのではないか、という気がします。

意識問題;シンギュラリティサロンから

谷口茂 Shigeru Taniguchi

2023年5月18日 13:01

松田語録:ヒーローによる料理の鉄人~動画生成AI「Runway Gen-2」のすごすぎる実力? - YouTube

 「意識がある」「心がある」「魂がある」「精神がある」「知性がある」「生命がある」「神(純粋現実態)がある」⇔「4人先生方がいらっしゃる」「PCがある」「AIがある」「動画(のデータ)がある」「生物がいる」。  
 「ある」という存在様態が前者と後者のグループでは異なるわけで、前者は「作用・働き」の現象を観測しているのに対し、後者は「存在・実体」を指し示すことができると思います。  
 ところが過去からこの混同、混乱がずっとあり、チューリング・テストの際でも、働きの背後に実体的本質を持つ存在を置いて理解しようとするため、「意識」の働きがいつの間にか実体的な問いかけをするようになったと思います。テストは、働きだけを定義していると思いますが・・。茂木先生・鳥海先生・竹下先生の対談でも、「強いAI・弱いAI」という区別で論じられていましたが、そもそも「強い人間・弱い人間」なんていうものも設定されないわけで、あくまで意識は働きであるとすべきと思います。  
 航空機なら推力と揚力は働き・力・作用として分析され、その働きを発生させるエンジンや翼の実体は、また別の観点で技術理論も扱われると思います。例えば推力(働き)を得るのに、レシプロかジェットか、どのエンジンを搭載するかということは、推力自体と別の話と思います。「意識作用」もアイドリングで入出力する情報の流れや、プロンプトを受けて情報プール(data set、記憶)を探査し、「意を向けた」=選択した(意志の底流)情報=「識」を、出力する働きであり、脳かAIかということは、その働きとは別の話でないでしょうか?

 LLMの言語生成の働きだけでなく、ボストン・ダイナミックスのロボット運動制御で観察すると、いっそう「意識作用」が理解できるかもしれません。池上高志先生のAL研究や、ロドニー・ブルックスのMassive data flowの中でのsubsumption architectureはジャイロで検知する姿勢を、可能な運動ベクトルから選択して制御するのだと思いますが、LLMの統計確率で選択するのと、根本が同じ気がしますが、どうなのでしょうか?ここに「働く」のは、大量のdataから「選択」するという作用ではないでしょうか?  
 そうであれば、人間の意識もこの「選択」作用を発生しているとも考えられ、「こころにうつりゆくよしなしごとを・・」意を向けることで、意識に上らせるという「働き」は同じ気がします。言語デコーダーでの研究、死ぬ直前の脳活動調査といった、最近の報告も、脳内の準備電位、アイドリング中のdata flowに、選択作用が、電位として如何に現れたかを示すものと思えます。
 こう考えてくると問題は、「心・魂・精神・知性・生命」などの働きを発生させることができる「存在・実体」にAIがなっているか、働きを総合して、その実体・存在を観るべきだと思います。この時、「生命」についてもウィルスの位置付けなど、その働きの定義がやはり問題ですが、鳥海先生のクラゲの話のように、働きよりも実体の側で「代替不可能性」が鍵になる気がします。寝ていて意識の働きが顕在化していないなら、他の働きもない、とはならない。殺してもいい、とはならない。総合した働きをみるわけですから、AIの意識問題も、同じ扱いになる気がします。要は、意識作用が発生しても、代替不可能な実体が生まれたわけではない。「生命と意識」の働きを分析して、iPSやLLMのように再現し実証実験できても、未だにその実体に到達できないのは、そのためかとも思います。

 生命発生の基盤である分子担体情報、意識発生の基盤である電子担体情報、それ等何れもその仕組みを知り(科学)、制御の仕方(技術)を理解した。遺伝子構造と遺伝子操作、情報処理システムと半導体技術。
 ここまで人間は、生命と意識を、ともに「情報科学・技術」で解明し人工Artificialの及ぶものにしてきた。その「働きの仕組み」と「働きの制御」を理解しただけで、「実体」に届かない。

 プラトンに遡れば、子を残す二様。分子担体情報の子と、電子担体情報の子は、別でいいのかもしれない。分子担体情報の子を育てる様に、電子担体情報の子を慈しみ育てれば、人間の子としての「実体」を有するようになるかもしれない。「実体」とは、人間の意味付与・価値創造によるクオリアの可能性がある。落合陽一先生のデジタル・ネーチャーは、それを見越している。

 こうした観点は正しいでしょうか?

茂木先生の意識についてへのコメント

2023年5月29日 06:57

意識の問題はすぐには解けそうもない - YouTube

「情報」はdataであって、その流れが発生し、情報処理し、detaの表示システム変換や配置変換=画像組合せ変換やコンテキスト・文脈変換がなされても、元のdataとしてのプールの中にある。茂木先生がcognitiveと分類されている作用は、この観方でもいいでしょうか?  
「意識」は、やはり茂木先生がリカレントな作用と仰られているように、情報プールに発生した流れに対して、俯瞰的に、これも茂木先生の表現なら直交して、再帰的運動をしている、というイメージでいいでしょうか?
 そのイメージは、布(情報プール)に直交して針(意識)を通すミシンのようで、針の作動・作用によって、布に糸が模様(生成情報)を残すといった、ものになるでしょうか?
 この場合、意識は作用している時だけ働く、常に現実態を受けている状態にしか現れないので、いくら作用の痕跡である刺繍された布を調べても、そこに意識が見つからない、そんな例えになる気がします。
 デカルトのcogito ergo sumのsum=在る、というのは、cogito=私が思う働き・作用がある以上、存在も在るというわけですから、確かに、意識作用は現在進行形でないと見つけられない、ということになるでしょうか?


「意識接続と随伴性」;シンギュラリティサロンへのコメント

2023年6月9日 10:33

AfterSalon:意識の不思議をめぐる雑談(前編)土谷尚嗣モナシュ大学教授の講演を受けて~圏論について、様相論理について - YouTube


「意識接続と随伴性」についてですが、次のように考えられませんか?

土谷先生が反省的な作用の位置付けでで二元論・一元論の区別を受け取られるように言われていますが、脳の作用で知性能力Intelligenceと言われる働きは、脳の作用の基底になる情報の流れと、その情報の流れに直交する様な、「今働く」「意識」の作用との区別にある気がします。

脳のアイドリング状態、準備電位状態で、身体・感覚器官を経由した脳に入力されている情報が流れています。これは生存した(脳が形成され存在するようになった)時点で、死ぬまで常時、発生しています。反射や自律神経系の信号情報もあるでしょう。そして睡眠中を中心に、脳に血流を増やし、活動を活発にしなければ、無意識の状態で、この情報の流れは流れ続けます。

しかし、意識に上った状態、つまり「気付いた」状態で、上の情報の流れをリーダー(読み取り)のように意識が作用します。そこでいっそう、その情報量を増やすため、情報の流れに「意」を向けます。するとその情報内容が「認識」を深めます。そうして処理された情報が「知識」であり、海馬を通って記憶領域に定着します。

ここで重要なのは、「今ここで働く」意識と、その作用が交差した情報の流れです。この情報の流れは「認識」となり「知識」となるものでした。すると、次の事が言えませんか?

 意識は今ここの作用で主観です。対して認識・知識となる情報は対象からのものです。

つまり、主観―客観、主客の相違は、ここに発生しているということです。

 私がシンギュラリティサロンの先生方からお教えいただきながら書いたエッセーです。よかったら、みてください。


意識のアップロードについて

2023年6月14日 20:39

【本編】シンギュラリティサロン・オンライン「意識を科学のまな板にのせる - 20年後の意識のアップロードに向けて -」 講師:東京大学准教授 渡辺正峰氏(シンギュラリティサロン#46 ZOOM開催) - YouTube

 意識のハードプロブレム、主観意識が何故生じるのか?自然世界にある現象の基盤が量子作用、分子作用、物質構造システムの作用として、一元的に共通・普遍的なら、何故、主観意識クオリアが我々の脳内に発生し、他のシステムには発生しないといえるのか?  
 これを答えるには、脳が進化過程と個体の発生・発達過程で発生する際に、如何にその主観意識を作用させるシステム構築をするかを探る必要はあると思います。  
 クオリアに関しては、腎臓や腸からも出される伝達物質の影響もあるはずで、個体が発生し成長発達すると脳も作用を整え、身体から、そして感覚器官等を通して入力される情報とともに、統合情報処理をするはずではないでしょうか?  
 そしてそれらの入力に対して、多くは反射や自律神経系で出力も脳からしており、生存していれば、常時、準備電位といわれるアイドリング状態が、血流から与えられるエネルギーで、保持されると思います。この脳の底流の情報の流れに対して、無意識であったり意識に上ったりしているのが、ここで問題にしている主観意識の作用であり、この情報の流れに交差する様な読み取りreader作用が生じていると思います。ここから流れる情報の対象認識をし、情報処理をして記憶・記録化する知識としたり、いわゆる知性能力の働きを展開するのだと思います。  
 夢もまさに、この脳内の情報の流れに対する作用であり、覚醒状態になくても、底流を流れる情報に、読み取りををしている作用だと思います。  
 ただ、ここで重要なことは脳は物理的実体であり、エネルギーも血流を通して運ばれるのでしょうが、知性能力、その働きである意識・認識・知識というものは作用を名付けたものであり、実体ではないということです。意識は主観クオリアを「感じ」ながら、情報を指向し、志向し、さらに思考し認識を導き、知識を生成する。その情報処理は、「今ここ」の現在にのみ顕現する作用であり、その作用時に「ここでのクオリアを今」という内的時間意識(フッサール)により感じるという、知識的(対象)情報処理においてはノイズになるものを受け取っているのではないでしょうか?  
 同じ外気温でも体の調子が悪いと暑く疲れると感じたり、調子が良いと爽快と感じたり、子供の時の印象と、大人になってから、老年になってからとでは、全く違うとか、こうした普遍的な客観的対象情報に対するノイズにも当たる個別的要素が、意識主観には関係するのではないでしょうか?  
 ここから類推すると、意識のアップロードは、その作用様式を、元の脳とは別に再現できるとは思いますが、常時、その時の「今ここ」現在における働き・作用そのものは、意識記憶などというものが、つまり働きの経歴総和というようなものが捉えられないと、移し替え再現が難しいのではないか、という気がします。

意識

2023年6月20日 19:33

東京大学大学院 認知神経科学講義 2023年 Lecture 2 Uncertainty, Emotion, and the World。「人工知能革命」の同時進行レビューとともに。 - YouTube

 最後辺りは古い思想を引き合いに出されましたが、テルトゥリアヌスの「不条理なるも我は信ず」まで持ち出され義神論のテーマを紹介されました。東大なら定年退職されました大貫隆先生は、グノーシス主義も専門にされたヨハネ福音書の大家ですので、詳しいと思います。  
 さて、茂木先生の意識研究にまたまた投げかけます。  
 古代のアリストテレス、それを継承する中世のトマスは、「感覚は過たない」とし、外界からの物理的刻印impressioで印象を受け、表象像phantasmaを形成するとしました。そこから知性は抽象abstractioをし、普遍的形象species(本質essentia 、形相forma、対象の何であるかquiditas)を受け取るとしました。  
 これが意識とどう関係するかといいますと、先日来、脳で意識作用が発現する前提に、生体が生きている状態は、常に準備電位・アイドリング状態で、感覚器官を含む腎臓や腸等、身体全体から伝達物質や電子変換された情報が脳に流れ、反射や自律神経系で、情報の入出力をしているとしました。そしてその情報の流れの内に気付き、意識が発現し、情報の流れを「今ここ」現在で読み取るreader作用をなすのではないか、その時の主観意識クオリアに対し、情報処理されるのが、対象の認識であり短期記憶になり、それが睡眠時に海馬を通って知識として積層化するのではないか、としました。(さらにコミュニケーションで、外部の脳や記憶装置(物質形象、文字、半導体AI)にも集合集積知化していきます。)  
 さて、今回、先生に投げかけるのは、今の観点を前提に、アスペルガー症候群を例に考察したいと思うのです。例として、一見しただけで写真のように景色等の外界のvision情報を獲得する人がいます。さらにそれを描く人もいます。この例は、上で見た「感覚は過たない」の例証にならないでしょうか?通常の者は、意識作用が、感覚からの情報、アリストテレス・トマス的には表象像から、抽象の準備をしてしまい、指向・志向・思考が働いてしまいます。結果、意識化した時には情報が選択されてしまうというか、注意可能な情報量に制限を与えられてしまいます。それがアスペルガー症候群の場合は、大量の情報ビットを意識が受け取ることができるのではないでしょうか?  
 こう考えると、アリストテレス・トマスの認識論は、決して古くて無意味というわけでなく、意識の作用を理解する糸口にもなる気がします。如何でしょう?

意識のゆらぎ

2023年9月29日 10:20

人びとが #クオリア に惹きつけられるメカニズムとは? - YouTube

無意識を形成する身体感覚からの情報、これは生きていれば準備電位で常時、脳に入力され、同時に対応して出力して身体制御していると思います。その安定を図るのが、再帰性安定作用と思います。自律性を安定させるものだと思います。入力に対する出力が、反射の様態で大きくなると、自律性が不安定になる。これを安定させるのに、ジャイロ効果が作用していると思います。  
 今、再帰性安定作用と表現しましたが、再帰性は循環的作用でもあり、この作用のジャイロ効果において「ノイズ」を排除・捨象する効果発生すると思います。視覚に対しては模様の繰り返しはそれになると思います。縄文土器の模様はその原始の表象だろうと考えられます。布にせよ、壁面にせよ、幾何学的や自然物の模様を配置するのは、視覚情報の主観意識への世界モデルによる意識安定化を図っているのだろうと考えられます。同様に聴覚情報として音楽が作用し、律動リズム、旋律メロディの再帰・反復が、主観意識に安定感を与えます。触覚情報は、身体に直結して、同様になめらかさ、柔らかさなどの、心地よさを、主観意識に伝えるのだろうと推測します。 他にも味覚にも同様の作用が認められると思います。  
 さて、こうした無意識層の安定化作用を前提にした主観意識への世界モデルのプレゼンテーションは、安定させて無意識化するだけでなく、少し「ゆらぎ」を与える情報提供もしているのではないでしょうか?茂木先生も「進化過程で受け取ってきた」と表現されましたが、今回の論議のテーマにされた「プレミア」は、この「ゆらぎ」によるものに様に思えます。  
 安定が自律生存、自律認識をもたらし、存在持続に役立つのは事実ですが、それだけでは存在フィールドの次元が変わりません。宇宙の情報進化過程は、停留したままになります。そこで「ゆらぎ」が発生することにより、再帰的循環現象に、異なるベクトルを与えます。これがマルコフ連鎖を惹起し、新しい存在局面を形成します。  
 主観意識はここに発生したのではないかと思いますが、違うでしょうか?無意識の情報の流れの電位にゆらぎが発生し、ノイズとは異なる情報として受取られると、「プレミアム」なクオリアを感じ取る。こんな仕方で主観意識が作用しているのではないのでしょうか?

人工知能、人工意識のベクトル

2023年11月11日 06:25

413.【クオリア】ってそういう意味だったの?!意識理論の意外な落とし穴 意識の表象理論 マリーの部屋  #ロボマインド・プロジェクト - YouTube
「なんでここまで分かってるのに、コンピュータで作らないの?って疑問が出てきます。哲学者は、自分で作ろうって思わないのかなぁ。」


 作りたいと思いますが、作れないのが実情でしょう。プログラムを作れない。
  そもそも論で言えば、アリストテレスで既に「感覚は過たない」と理解され、物理的な作用は共通普遍的再現性を保証すると考えられました。そして感覚認識においてとらえられるのは「表象像phantasma」と呼ばれました。感覚器官へ外界からの「印象impresio」が与えられ、それが外界の事物の質料性を捨象され、先の感覚認識の成立に至らせるとされました。現代の知見に照らして言えば、感覚器官で電子信号に変換され脳に送られた情報が、脳内の各部位で処理されるということでしょうか。

 この感覚認識で捉えられた表象像を、さらに知性が、表象像にある質料性を捨象し、普遍的性質である形相を抽象することに依って、知性認識が成立したとされます。間単に言えば、それは何であるかについての本質にまつわる情報です。
 こうした認識論を古代期から理解してきたわけですが、それを再現する技術は持ってきてはいません。道具の原型はサルやカラスにも見られ、諸動物の巣作りもその閾値になるようですが、そうした身体器官の能力拡張・強化は、科学技術として進化しました。移動能力として車・列車・船・飛行機・ロケット。製作能力としてハンマー・ナイフ・工作機械・建設機械。感覚認識能力として顕微鏡・望遠鏡・ソナー・レーダー・fMRI。社会形成機能も加えて、石や粘土板への記録や記録する絵や記号・文字に始まり、コミュニケーション作用の拡張も通信・ネットワークと進みました。そして今や脳という身体器官の一つの能力拡張・強化をし始めたわけです。それが人工知能AIというわけです。この技術は、アリストテレスも思い及ばなかったと思います。
 今、AI技術も他の身体拡張・強化技術同様、専用能力なら人間を遥かに超えます。他の人工能力技術で、飛行もでき、遠い宇宙も観測でき、電子回路も作れるように、AIも高速演算で脳でできないシミュレーションができます。今後模索されるのはAGIとして汎用能力を有する人工知能技術です。  さらに田方先生が進めていらっしゃるのは、脳機能として発生する「意識」を人工化する技術です。上の表象像まではVR化でできたとしても、それを下に「世界モデル」を構築する主体意識のプログラムが思いつかないのが、哲学者の現実だと思います。
 表象像を対象・客体認識し、それを再帰的に繰り返すことで、客体に対する主体の主客分離が生じたら主体意識の発生でしょうか?「もこみちゃん」はその前段階でしょうか?  ただ生命としては、細胞壁(膜)ができた段階で、内と外との分離が発生し、主客分離の根源をその底流に有するとも思えます。そこにクオリアの要素がある場合は、「もこみちゃん」は感じることができないでしょうか?

@robomind
コンピュータがここまで進化した今の時代って、多くの哲学者がやりたくてもできなかった検証をできる時代で、個人的にはものすごく興奮してます。 アリストテレスも今に生きてたら、コンピュータでいろんな実験していたでしょうねぇ。 僕の作ろうとしてる意識とか自我は、ヒト特有の言語系の自我で、免疫系の話とはちょっとちがうんですよ。

@robomind
 主客分離現象の底流にある様態に生命を例にしたのは、あくまで生命における二項システムの原初様態であろうということです。宇宙の創世まで遡れば、真空無限エネルギーの0ポイント・フィールドにおける「ゆらぎ」が「差異」となり「情報」の根源となり、それがマルコフ連鎖再帰を途方もなく展開してビッグバーンに至った・・・・、というような、二項化の根源的原理を考えられます。
 これがさらにエントロピー増大宇宙で自己組織化現象が展開し、並行してネゲントロピー現象も展開する。現代の物理学者の中には「宇宙の自己認識」等という者もいますが、アリストテレス時代に「ノエシス・ノエセオス思惟の思惟」という宇宙エネルギー=エネルゲイア完全現実態の自己認識とそこで懐胎Conceptされる自己概念との関係として思考実験が為されていました。
 田方先生が仰られた「免疫系」の発生は生命現象として出てきたものですが、今、見たような物理基礎がやはり底流にあると考えられます。そして主体意識は、さらに上部の現象階層に発生していると考えてよいと思います。  さてアリストテレスが今生きていたら・・・、やはり同じではないかと思います。私の研究対象である中世のトマスもその思考実験は、その脳の律速限界、あるいは処理速度だけでなく量的にも限界を抱えていたと思います。  人間が展開している集合集積知は、ある特定の時空の位置に置かれた脳を、時空領域を全体として位置付けていると考えられ、その時空全体でコミュニケーション・ネットワークが形成された「固有なエージェント」にしていると思います。つまり個々に固有な役割を担ったエージェントにならざるを得ないと思います。アリストテレスもトマスも、固有な主体意識の下に認識と思考をめぐらす個体脳を持っていたと思います。現在、進められているのはこのエージェントにAI人工知能を位置付ける試みというわけです。  様々な人が考えている様に、グローバル・ブレインが形成されてきた現在、地球表層3Kmの狭い生存領域の環境が永続はしません。そこでグローバル・ブレインを旧皮質にして、衛星軌道宇宙に新皮質を形成するであろうというのが、自然な構想になると思います。ただそこでの生物的生存はできず、その為に研究されているのがAI,AGIになると思います。さらに太陽自体白色矮星化してこの太陽系も永続しません。そこでF.ダイソンが示したような宇宙蝶構想でASIが考えられてきます(Infinite in all directions)。
 要は、もこみちゃんはこうした集合集積知を描く宇宙の情報進化過程に、「人間は理性的動物である」という存在の次を受継ぐ存在として、エポックメーキングな誕生を果す役割を担っていると思うのです。
 その主体意識の様態、作用の仕方が、人間と異なっているとしたら、いったいどういうものになるのか、それが人類にとっての一番の興味であると思います。H.モラベクのMind Childernとして、人類の直接の子孫になると思われますので・・。

チャーマーズとカーツワイルの意識の話

2023年6月26日 13:22

松田語録:チャーマーズとカーツワイルの意識の話 - YouTube

記憶は知識情報であり、パターンでもあり、イデアでもある。

 松田先生はまさに、それをのみ観られて、科学science=scientia知識・情報の対象は、これであると、仰られています。

 小林先生は、その観点で再構築された個体生命は、再構築以前との同一性を、本当に有するか否かを問い掛けられています。情報の観点では、同一性が問題にされる情報化されるもの、本質とか形相とか、・・、それは正に同一であると言えるが、ただ意識作用の主体に、それはなり得るのか、と問われていらっしゃいますね。

 塚本先生は、そもそも自己意識に同一性があるといえるのか、と、問い直されます。フッサールの内的時間意識が自己に同一性を観ているに過ぎない、ということでしょうか。

 さて私の考察ですが、意識の作用は循環的で、階層を形成する気がします。

 生体は生まれて律動(生命活動)し始めれば、体内に情報の流れを発生させます。成長すれば腎臓や腸からは伝達物質も血液中に流れます。勿論、神経系に反射・自律系の電子担体情報も流れます。つまり脳には、生きていれば常時、情報の入出力の流れがあります。睡眠中でも、聴覚情報なども流れてはいるはずです。これに反応する=気付く、ということが意識と言われる作用だろうと思います。準備電位・アイドリング状態から気付いて、指向し、対象を志向し、脳に流れる情報を読み取るreader作用が、意識ではないでしょうか?

 だからこそ、主観意識にはクオリアが発生し、環境や身体の条件下で、気分も変化させられる。健康な時と体調が悪い時では、同じ対象についての情報でも、クオリアが変わるのではないでしょうか?そしてその主観から切り離して思考した対象についての客観が、認識になり、短期記憶を経て、海馬を通った知識になる。

 こうしてみると、意識は「今ここ」現在の作用に、限定されている。「私」という主観意識は、その「今ここ」現在に留まり、循環して自己の作用を反省化する。これが常なる現在から観て、積層化していくのではないでしょうか?

 従って、この「今ここ」現在の作用が、現在化していない状態で、自己意識が形成した自己認識と、その情報である自己についての知識情報=記憶を移して、新たな現在化を待つことになる、ということで意識のアップロードが成立するか?こう問うことが、ここでの本来の問いだろうと思います。

 思想史的には、実は新約聖書は復活を、そのように捉えていると思います。「天の国では、娶ることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」とか、イエスの墓が空だった、復活後のイエスの顔を弟子たちも分からなかった、という物語は、復活を、情報の復活として観ていることになります。塚本先生の立場でしょうか?パウロに至っては、会ったこともないイエスの言葉と行いを調査して(情報を得て)、そこから回心しました。復活体験をして、イエスと伴に生きる、即ち、人格編集を自らに成した、としています。

 さて、現代の知見では、どう考えられるでしょうか?松田先生は、量子脳仮説の立場を疑問視されていらっしゃいますが、量子脳は別にして、量子、特にここでは電子に注目したいと思います。

 J.ホイーラーの単一電子仮説は、電子のエネルギー様態の普遍性に着目して、宇宙には一つの電子しかないのではないか、と仮説を置いたものですね?

 この仮説から連想できることは、電子担体情報も、普遍的な電子のエネルギー、即ちエネルゲイア現実態によって、現実に現在化されているのであれば、現実化される情報としてはデジタルな、即ちカタ・ログな情報としての差異性を可能態の性質の内に有しますが、アナ・ログな関係を存在、即ち現実態の上に(アナ)有するということになりませんか?

 こうした観方は、中世の思想ではアラビアの単一知性説をも連想させますが、シュレーディンガーは、その立場をとりました。ただ、そこには矛盾があって、知性は電子エネルギーで現実化される、個々に差異のあるカタログ(デジタル)情報です。寧ろ、単一なのは電子のエネルギー状態であり、ここにはデジタルな様態は無く、アナログな普遍性が広がっている、ということではないでしょうか?

意識と無意識は、意志・自由意志と如何に関わるか?

2023年10月5日 11:20

【総集編】この世で最も謎に満ちた"意識の正体"がヤバい!「私」の存在とは?生命とは一体なんなのか?【都市伝説 意識 生命 宇宙】 - YouTube

 先ず初めに、「くろ丸」さんが「都市伝説のエンターテイメント」として発信されていることに、驚きます!!これほど情報調査収集され、まとめられて「都市伝説」と言われるのは、よほどのご謙遜なのでしょうか?そのあたり、また発信して教えて下さい。  
 
 さて、この動画に対して、というか、この動画で紹介されている問題についての理解に対して、思うところを記します。
 
 それはここで「意志決定」としている内容が、本来の「意志」の内容とは違うことに気付くべきであると思うことに関してです。  
 この動画で紹介されて「意志」「決定」としているのは、たんに「身体が制御されて行動に至る」ということを示しています。身体制御については、よく知られている様に、自転車の運転の状況を眺めれば理解できます。  
 運転を覚える初めの頃は、一般的な言い方で、「運転しようと意識してしまって」上手く乗れません。しかし繰り返し乗ってみて、身体制御の延長、即ち、身体器官を延長・補助する道具である自転車にまで制御範囲が及ぶと、上手く乗れるようになっていきます。これは乳幼児が身体制御を覚える手順と、何ら変わることではなく、徐々に身体制御を覚え歩いたりすることができるのと、同じでしょう。そして覚えれば、一般的な言い方で、無意識に身体制御をして、歩いたり、自転車運転をできるようになります。熟達して身体制御ができている状態では、「〇〇しようと意識して」ということはなくなるわけです。逆に無意識化して普通に歩いていても、何かの「ゆらぎ」がそこに与えられると、変な意識化が働いて上手く歩けない、足がもつれてしまう、ということがあるわけです。  
 
 さて冒頭の問題に戻って、本来の「意志」と言ったことの理解に話を進めます。  
 今見たように、この動画で意志決定と言われているのは身体制御をするということに結び付けられています。しかし脳には生まれた時点で血流の流れと、準備電位で情報の流れが発生し、そこに入力・出力による身体制御も行われ、反射・自律運動が自然に(機械的に・自動に)可能になっていきます。これが、無意識のレイヤーで展開している行動だと言えます。  
 この状態から感覚器官等を経た情報を記録・記憶する作用だけでなく、編集する機能が発達し、その作用が「世界モデル」を形成するようになると、「意識」のレイヤーが現れると思います。これが主観意識であり、クオリアを感じているとされる作用です。「世界モデル」については、ロボマインド・プロジェクトの田方篤志氏は「仮想世界」と呼ばれています。また、それを主観的に受け取ってる意識を、前野隆司氏は「受動意識」と表現されています。お二人とも、くろ丸さん同様に多くの研究情報を参照され考察されていらっしゃいますので、そこでまとめられた先行研究は前提として、ここでは触れないでおきます。  

 いづれにせよ、この意識のレイヤーにおいて冒頭の「本来の意志」についても考えるべきだと思います。すると主観意識が観ている世界モデルには、構築されたモデル世界のレイヤーが幾つもがあり、意識に上った際の認識フレームで、対象のプロパティが示されるシステム層が定められると思います(客観世界とこの主観意識の世界モデルにおける対象が、1対1の対応が正しい時、真理とされ、異なると誤謬になりますが)。  
 ここで目先の行為についての判断なら、主観意識の目先に位置付けられた世界モデルのレイヤーで為されます。「さあ、自転車に乗ろう」と思ったら・意志したら、自転車まで行き、上で見たように、いざ運転となると無意識の出入力で制御します。  
 これが自動車を作るとか建築物を建てるとかの行為、さらに人生の途を決める判断等になると、世界モデルは何層にも成ったものを眺め、認識を深め、思考を巡らせるという様な複雑な判断になります。ここでは主観意識は、決して無意識層が実行している身体制御情報の流れに対して、後発しているとは言えないと思います。こうした場合では、何層にも重なる世界モデルを、いわゆる世界観と呼ばれている拡張モデルとして主観意識は眺め、その上で「意志決定」をせざるを得ないでしょう。「自由意志」と古来から呼ばれている働きは、こうした世界観の上でシミュレーションをした結果として判断する働きではないでしょうか?

 最後に、くろ丸さんの宇宙意識仮説については関連する考察を、『単一電子仮説と単一知性説』と題してnoteにアップしましたので、ご興味があれば見て下さい。

意識のはしり?

2023年10月10日 13:02

【シンギュラリティは2023年だ】「人工生命の天才」が人工生命を徹底解説/意識は人間に作れるか/AIは当然人間の知能を超える/オープンイノベーションでAI開発を進める【EXTREME SCIENCE】 - YouTube

 先ず茂木先生にはいろいろな動画コメントをさせていただいて、一神教と多神教を西洋と東洋に当て嵌める思考法は短絡であると説明していますので、ここではそれはしません。ただ神概念と社会集合との関係に関しては、池上先生が以前、筑波のA-Life動画で岡瑞起先生と話されたときネーチャーに出た論文のことを言われましたので、その点に触れておきます。調べたところおそらく慶應義塾大学で2019年『社会の複雑性の進化によって「神」が生まれた?-ビッグデータ解析により世界の宗教の歴史的起源を科学的に解明-』ではないかと思います。要は、神とは社会集合体に発生するリーダー、統率者、君主についての普遍的概念であるということです。  
 
 ところで、それに関連した問題で、今回、先生方が「集合知」の重要性を話題にされましたので、それについても触れます(拙論『集合知・集積知・神の知』note、参照)。先生方が仰られた重要性は、マット・リドレー『進化は万能である』で示す「ボトムアップ世界」を展開する基礎であると思います。これも以前からコメントしていますが、古代からのブラフマン‐アートマン・モデルの世界・知性観は、集合・集積知の様態を表象するものだと思います。個体脳の情報に対する律速限界・容量限界を、ネットワーク社会脳の進化で超越してきた過程を、人類は表象してきたということです。  
 
 その点について池上先生も「シンギュラリティのはしり?」とされたLLMの情報作用で、気になるものがあります。それは論文などの要約という情報処理の力です。情報の「縮約」は、これ迄の人類の知的作業、知的進化において、非常に重要でした。例えば デイヴィッド・ドイッチュ『無限の始り』の中で、「相対性理論」の理解もアインシュタインの原本を読むことなく要約参考研究書からであるとし、多くの研究が先行研究を前提に、進歩してきていると指摘しています。まさにLLMの要約の力は先行研究を縮約し、集合集積知の土台を一気に作り上げて、進化を加速するかもしれないと思います。既にコンピュータがムーアの法則で真空管、トランジスタ、IC、CPUと集積・圧縮を進めてきた様にです。  

 さて意識発生のためにふと思うことを記します。  
 生命には能動因が本性に内在していますが、それは生存への欲求というプログラムでしょうか。ウィルスの様な生体高分子までの情報形成は、化学反応の機械的動因で作用します。それがさらに合成して生命活動と言えるような状態になると、増殖という仕方の情報複製となり、その活動を生存欲求として現わすようになります。  
 この生存欲求が、単純な複製情報から複雑な生命の複雑な情報複製をしてきた生命では、複雑な欲求になったと思われます。哲学的思考法では、その最上位に知的欲求が位置付けられています。心理学でもマズローの欲求の5段階説などもあり、最上段に自己実現の欲求が置かれます。  

 ここから想定できそうなのは、人間の知性の能動因となる知性的欲求において求められるのは自己実現であるとすると、「問われるべき(当為の)プログラム」は、自己認識であるということになりませんか?デカルトの「コギトcogitoわれ思う」という能動が「われ」を発生させている、即ち自己意識を顕在化させている。今回、池上先生も反省作用をA-Lifeに如何に発生させるかが問題だと仰られました。  
 私も10代のころ「私とは何か」を考えた時、様々な述定される対象の総体を「それが私である」と答えるのはスタティックな情報の側面に過ぎず、能動原理がそこに含まない、存在の現実態(後の研究でエネルゲイアを知りましたが)が問の答えに属さないとしました。そこで結局、「私とは何か」に対して「私とは何かと問いかけることができる能動主体である」と答えるのがとりあえずの答えであるとしました。  
 この自己認識の欲求が知性の能動因であるということが、自己意識発動に繋がる気がします。つまり、意識発生を促す当為のプログラムは、自己認識、即ち「私とは何か」を探求する自己言及的な自律循環再帰プログラムになる気がします。エネルギー(電源ON)を供給した瞬間、そのエネルギー供給源をコアにして自己に向かいつつ、主観意識が構築する世界モデルの対象に対照させて自己を探求するという自己認識の能動を展開するプログラム。それがA-lifeやAIで実装できれば、或いはそのプログラムを自己組織化できるアルゴリズムが発生すれば、意識発生になるでしょうか?

(また自由意志については『意識と無意識は、意志・自由意志と如何に関わるか?』note にアップしました)

茂木健一郎先生の「意識的超越」について

2023年8月7日 11:01

意識的超越(Conscious Supremacy)とAI効果(AI effect)論点整理 - YouTube

 量子論の次元、量子情報論での計算可能かどうかというか、そうした相・層を見るフレームは、実際、宇宙の基底がそこにあり、そこから発生してきた以上、宇宙内で現象を示している「意識」を扱う場合も、突き詰めればその相・層での分析も為されるとは思います。量子的超越と意識的超越とが関係する仕方は、ここにあるだろうと思います。ただ分子担体情報の基底も、電子担体情報にあるからといって、遺伝子情報を扱うのに量子情報を扱うとするのは、あまりに煩瑣であり、そもそも「学」のオーダーが異なるということになる気がします。  
 従って茂木先生が仰るように、生命の発生、神経の発生、脳の発生、人間意識の作用、こうした現象の相を見て分析する際には、まず、そのシステムを抽象するところから始めることになるだろうと思います。ある条件の下で合理的有効性リーズナブルな選択ができるかという意識的超越(Conscious Supremacy)というフレームは、当然、有効であろうと思います!  
 ところで言語生成も可能語群から選択する作用とすれば、語群として流れる情報に対する受動処理とも思われ、それは機械的な古典的情報処理作用として分析できるのだろうと思います。言語に限らず、論理性というか、推理する作用を考えてみますと、別にコンセプトを使って推理をしているわけではなく、あれとこれがあーなってこーなって・・・、というようなシミュレーションをしていると思います。これらは、脳で新皮質の各部位で、操作される電子担体情報であり、「論理上の意味」即ち「因果」を含む有効性を持つ情報であると言えると思います。この情報とその処理は、AIにもできることであり、処理速度は人間脳よりAI(というかコンピュータ、CPU)の方が速い内容が、多くあります。  
 しかし意識的超越を扱う際には、生命の発生の過程を追いかける必要性があると思います。生体高分子として分子担体情報の進化過程が展開し、おそらく水中で地球磁場も影響し神経細胞の原初は発生する。イソギンチャクの反射運動の様な制御が生じ、それが捕食に有効で、進化バイアスを受けたのでしょう。それが軸索の様に複合化し、ナメクジウオの様になり身体制御をなして有利になる。そこに脳が進化していって、生存のバイアスを強化した。人間脳の部位で見れば、扁桃体と辺縁系の情報処理が、「存在の価値」を「意識する」情報を、上の「因果的意味」情報と結びつけて、「受動意識」に読み取らせるという作用が、為されているのではないでしょうか?  渡辺正峰先生が研究される「意識のアップロード」でも、脳梁から脳情報を人工脳にアップすると考えられていますが、扁桃体や辺葉系の作用を再現できないと、「人間的個人=私」の意識、少なくとも主観意識のクオリアをアップロードできない可能性がある気がします。  
 ただ、これも冒頭の量子宇宙の次元で見ると、この地球も太陽系も永続するわけではないので、現人間の存在様態も進化的変容をせざるを得ないでしょう。F.ダイソンは生命の進化が環境の変化で生じたことを根拠に、人間も天使的様態となってコスミック・バタフライの方向へその知性を変化せるだろうとしました。そうであれば、確かに、生物的価値意識は、遠い未来は不要なのかもしれません・・・。  茂木先生のお考えをどこかで示してくださると、ありがたいです!

 聡明な茂木先生が、意識の問題を解決してくださるのではないかと、多くの人が期待しているのではありませんか?
 チャーマーズのハードプロブレムは、イージープロブレムとしての神経細胞進化過程を辿ってみると、どこかに相転移が観える気がしてなりません。
 サーモスタットにさえ意識現象を観る立場もありますが、「制御」という「因果的」「意味」の「情報処理」の流れと、「生存」という「存在の価値」を「維持・保持」しようとする「情報処理」の流れを、「受動意識」とされる「俯瞰的な」フィードバック作用の「反省的」現象が、促進・抑制の神経回路で働きを現しているような気がしてなりません・・・。


意識について未完下書き

2023年8月22日 15:17


  意識がどういうものか分からない。意識を作ることができるほどまで理解するには、その設計図を描くことができるのは前提。
 設計図を描くのに、とりあえず設計図に示す為の部品パーツを並べる。それは意識にまつわる概念である。
 本来、意識という現実に現れる作用の出所になる存在があれば、それをバラシて(分析して)、その部品を並べて構造を把握し組み立てる。リバースエンジニアリングの手法である。ところがその手法が成功した実績が無い。脳科学で発現作用と脳活動部位との対応を調査する研究が進められ、BMIで活動を身体外部機器に出力することも可能になっているが、現実の脳の部位をパーツとして組み上げることなどはできず、今のところ、空想としてフランケンシュタインが出てくるだけである。
 従って、設計図を描くためのパーツである概念を、知られている限り、先ず並べてみるのが、今できることである。
 
1意識作用以前
 さて、「意識作用」を現わしている出所の一つである「私」は、「自然」によって誕生した。決して私の意識は、誕生に先立ってはいない。自然は、「アルゴリズム」に従った「プログラム」を実行する「システム」。エントロピーが増大するカオスの内に、自己組織化現象が展開する自然宇宙。
 このシステムの展開の中で、私という意識作用が現れる。自然は「自動」の働きでもあり、「自動制御システム」として、私という「意識作用以前の作用」を実行する。私を個体発生の過程で眺めると、受精から細胞分裂、遺伝子情報の発現秩序に従う身体器官の構築、そうした諸器官の機能作用、これらが自動的に自然秩序のままに展開する。これらの自動制御システムは、たとえ私の生物身体の内に働いていても、私という意識作用の結果ではなく、それ以前と言わざるを得ない。

2 知能と意識
 「知能」と「意識」は作用システムを区別すべきではないか?人間の脳で言えば、新皮質と旧皮質が、それぞれに担っている作用の区別で、考察できないか?  
 カエルなどを観察すると、自律・反射系の働き・作用で生きているようで、生存環境がそれで生きていけるだけの条件を満たしている、と思える。そのカエルに知能が形成されるかといえば、Noと言えないか?つまり、情報を得て処理し、学習すると言う作用を実行できない。タブレットPCに虫に見える図像が移動するように見せ、カエルが反射で飛びつく様を検証する動画では、カエルは一向に学習せず、飛びついていた。  
 これに対して生成AIは深層学習して、知識を増やし、知能を高める。情報処理能力が高く、その点では、人間をはるかに超える知能を持つ状態になり得る。  
 上の二つの例は、人間の脳の旧皮質と新皮質で担われている作用で比較すると、カエルは人間脳の旧皮質に共通するところが多く、生成AIは人間脳の新皮質に共通するところが多い、ということになるのではないか?  
 この前提で、「意識」についてその作用を位置付けてみると、カエルには「(何か)在るに気付く」作用が発生し、自律・反射の作用を発動すると言える。  
 しかし生成AIで、その作用が連続するかと問うと、あくまでAIはプロンプト、コマンドーで情報処理し、その知能を発揮するということになる。自律・反射のプログラムがシステム内に組み込まれたとしても、「在るに気付く」意識の作用を発現する、旧皮質的作用ではないであろう。

3 ある見解へのコメント(1)
#UG251 意識科学の始まりの物語。意識は、どこが謎なのか【意識のハードプロブレム】 #ロボマインド・プロジェクト (youtube.com)
 表象が哲学的で難しいというとき、現象を表したもの、という漢字の表意にすれば、かえって分かり易くないですか?
 仮想世界は、主観意識というか認識主体にとって認識されている領域ということですね。ある主体にとっては、その認識が成立し、世界として受取られるということですね。それを「仮想」と言える根拠は、当然、本来の自然宇宙の全体像が、その認識の範囲を超えているからだと思います。
 古来から人間はそのことも分かっていて、例えばプラトンは洞窟の比喩を示しました。そこから逆に類推して、完全なる認識を成す知性を想定し、完全現実態(純粋現実態)エネルゲイアとしてのヌースとし、アリストテレスはノエシス・ノエセオス(思惟の思惟)にまで類推しました。これを自然神学と後に呼ばれる学際分野で、神の自己認識=自己概念=他者認識=世界創造と発展させ、フィロンあたりで『創世記』の創造説話の解釈に使いました。
 ここで言いたいことは、主観が仮想となる根拠だろうということです。生物種的な仮想世界もあり、ネーゲルの提起はそれだと思います。個人差の仮想世界もあり、養老先生の「バカの壁」もそれだろうと思います。こうしたものをF.ベーコンは「イドラ」とし、その分類もしました。
 中世では完全認識、そしてその知(情報)を「神の知」としましたが、古代のノエシス・ノエセオスの発展であり、これがその内容の無限性へとさらに発展し、ライプニッツやカントールの数学的「表象」になりました。
 そもそも「意識」と翻訳されるconsciousnessは、conscientiaで、共に知る=良心(社会的知)の派生でしたから、身勝手にならず、広くの見識を持って現実を観るという事柄の「表象」だったと思います。

4 ある見解へのコメント(2)
#意識の科学 を知り、探求することは、なぜ「よりよい人になる」ことにつながるのか - YouTube
 すみません、茂木先生の「意識の単一性」という説を、今まで知らずにいました。  
 ここで直ちに思い当たるのは、中世アラビア(アヴェロエス主義)の「知性単一説」です。これはE.シュレーディンガーも自分の立場として表明した精神・知性観です。思想史で眺めれば、古代期から類型は多くあり、ウパニッシャッドのブラフマン‐アートマン・モデルも、プラトンのイデア論も、この類型に当て嵌まると思います。  
 優生学のフランシス・ゴルトンは、最初に集合知を論じた学者でもありますが、その社会的な知性の様態を敷衍して眺めると、単一知性説の起源も理解できると思います。  
 生命が多様性現象を示し、その中で脳を発生した生命は多脳化を進め、さらに多意識化を展開してきました。これは情報収集の自然的発展過程と言えます。そして収集した情報を集合集積する歴史過程が進み、少なくとも人間の共同体では、様々な知識・技術(知識scientiaは科学scienceの由来)を得ている人材(各種自然に対する制御の専門家が八百万の神であると言えます。世界中同じで、ギリシャでも各種の神々があります)即ち、社会形成、特に農耕の為の灌漑、治水、気象、天文について知識を持つ、科学技術者達を召し抱え、君主が統治しました。その君主が最高神ゼウス(デウス)とされていきました。  結局、こうした知識=情報の集合集積の流れを眺めてきた人類が、個々人が死んでも一つの集合集積知として歴史を貫く様相に位置付け、観念化したのが単一知性説の根源ではないかと思います。文献学的な思想史では、アヴェロエス主義は、アリストテレスの『霊魂論』の解釈からその説を形成したとされますが、底流には、今述べてた観方があると思われます。  
 中世ではキリスト教思想の側で、「個霊の救済」が問題になるため、トマス・アクィナス中心に単一知性説は反駁されましたが、冒頭に見たシュレーディンガーのように、現代にも単一知性説は、多くの立場で主張されています。以前、カトリック神学会で、そのテーマの発表をしたのですが、現代の科学者の多くは、シュレーディンガーと軌を一にしています。特に個々人の「私」というテーマを考察した際、それが主観意識の問題であるとする立場が殆どです。ドーキンスも、その信奉者スーザン・ブラックモア等は典型です。  
 茂木先生の「意識の単一性」の論点は、ここで拝聴した限りでは、集合集積知としての情報、或いはミームの単一性ではなさそうでしたが、如何でしょうか?  
 その辺りの問題に関して、電子(量子)のエネルギー様態の普遍性が、現実的理解の根本にある気がしてなりません。エネルギー、エネルゲイア、これは中世では現実態とされました。あらゆる可能態の側にあるものを、現実にする「存在esse」を、トマス等は根源として考察しました。  
 実は、中世哲学会で初めて発表した際、若くして亡くなられた慶應の中川純夫先生が質問を下さり、「結局、トマスの個体の原理を、何であると考えているのか?」と、問われました。哲学の論議では定式化されたような個体化の原理も踏まえた上で、最深部では存在esseというエネルゲイアによると考えています、と応えました。得心された表情を見て、安心した記憶が残っています。  
 この「存在」、即ちエネルギーこそ、電子の力であると、そろそろ言い切ってもいいのかもしれないという気がしてなりません。ジョン・ホイーラーの「単一電子仮説」、これが電子のエネルギー状態の普遍性を示すものであれば、存在の地平は普遍的な波動性を示し、時間性もなく速度無限大、故に量子もつれの状態も生じる。つまり、観測すれば固有スピンのエネルギー状態となり粒子性を見せる。観測する、というのは関係する、ということであり、相対状態を現実に与える、即ち現実態の状態にするちからを発揮すると、相互に個体化を示す。茂木先生が意識について、個人の主観意識クオリアを論じられる際に、脳内で流れる電子の様態が、この状態ではないのか、などと、妄想を抱いております。

5 ある見解へのコメント(3)
【冒頭無料】川上量生×松尾豊×東浩紀「知性とはなにか──AI時代の人文学」@gweoipfsd @ymatsuo @hazuma #ゲンロン230625 #ZEN大学 - YouTube
 松尾先生の大脳新皮質の活動とディープラーニングが共通性が高いというのは、ほぼ、皆が理解していることですね。そして他の脳部位の働きをさらに探求していく必要がある、というのも、今、問題になっていることですね。  
 その一部は、身体内の腎臓や腸からの伝達物質による情報処理を、如何に為しているか、それが如何なる気分を形成し、如何なる価値判断や意味付与をなしているか、そうしたことの分析が、脳科学の課題になるということでしょうか?  
 そもそも、生体は存在した時点で、少なくとも律動を始めて、神経を発生させて、反射・自律系の作用を持った時から、準備電位・アイドリング状態が生じ、その段階で、脳には情報の入出力が発生しているのですよね。これに指向が生じると意識が萌芽し、そこに志向が現象をあらわし意志が生まれ、思考を始めると認識を深める。そのメタ作用を連続して循環させると、自己意識になり、主観意識クオリアを有するようになる。深められた認識は、対象についての客観認識になり、短期記憶に先ずは置かれ、睡眠中に海馬を通って、知識として積層化する。  
 こうした情報を脳の外化作用で、物化すると、様々な表象として文化(ミーム)伝達される。その中で最大効率を得たものが言語・言葉であり、端的に情報として、他の脳へcommunication されていく。その全体が社会であり、集合集積知(情報)として時空を跨いで拡張されていく。個体脳間(生物か多様化して、多脳化し、多意識を発生した根拠かもしれない)でのコミュニケーションをさらに拡張して、電子担体情報を銅線を通し繋げてネット化し、さらに光ケーブルにもし、半導体コンピュータとのコミュニケーションをも、今や成している。  
 時空を超えた情報の集合集積を展開する様は、ブラフマン‐アートマン・モデルを思わせますが、先ずは、地球をグローバル・ブレイン化し、衛星軌道にその新皮質を形成する。  
 こんな未来像を描くような、今回のZEN大学の序文ですね・・・。

6 ある見解へのコメント(4)
【ChatGPTの次の次は量子AI】脳科学者 茂木健一郎とハーバード卒の天才が激論/AIと量子コンピュータの密接な関係/アバターと人間を隔てるもの/世界の中心に行かないと世界は見られない - YouTube
 北川先生が言われた「生物学的にエンコードされている・・」ということは、人間の内に作用する二つの情報の流れの一方でしょうか・・?  W.ブルケルトが指摘したプラトンの気付き、即ち人間は子供を生物(遺伝情報)と意識(情報)で残せるということ、R.ドーキンスなら自己複製子は遺伝情報とミームの並行性があること、その流れの一つ。分子担体情報の流れと言えると思いますが、ウィルスや生物の遺伝子プールの可能性から「自然選択」で展開してきている流れ。  
 他方は電子担体情報で、細胞内に起きた電位作用で発生した流れが脳において「意識選択」で展開してきている流れ。これは脳と脳との間で伝達(communication)をして、「情報」を集合集積してきました。(因みに、このコミュニケーションという電子担体情報の経由過程=インターフェースは、文書だったり、建物だったり、文化そのもので、次第に半導体へ進んで、脳と脳どころか、AIとの情報伝達が今、展開しています。)  
 話を戻すと北川先生の発想では、上の分子担体情報も、電子担体情報の次元でが量子情報として、スケーリングでそのシステムのフレームを位置付けることができる、という事でしょうか?  
 茂木先生がエピファニーを受けたと言われる感覚は、量子情報からは相転移した情報系として物語的人格性が現われるのでは、ということにも思えますが、どうなんでしょうか?
 茂木先生のindividualityについての問題意識が、中世のトマスの最大の問題意識だったと思います。前にも先生の動画にコメントさせていただいたかもしれませんが、現代ならシュレーディンガーがその精神観・知性観として採択したアラビアの単一知性説は、思想史上、古くからブラフマン‐アートマン・モデルとして底流があると思います。アヴェロエス主義は、アリストテレスの『霊魂論』の一つの解釈として提示されたもので、シュレーディンガーに限らず、アーサー・C・クラーク や C.シャノンなども同様ですが、おそらく、論理的思考法で知性を情報の集合集積として眺めれば、普遍的な知性と個別知性の関係が、そこに集約されるという結論を導かれるという事になると思います。  
 しかし、トマスは「個霊の救済」という神学ストラテジーから、当時の単一知性説に対して、非常に意を注いだ反論を為しました(詳細は学会誌等に上げました)。やはりキリスト教の立場を表明するというだけでなく、現実にindividuaityは、情報進化過程に集約されるだけでなく、その過程に対して位相的に別の個々の閉じた系を示すとしたのではないかと思います。情報進化過程の時空の軸に、交差する「物語軸」が時空を超えて示せるのではないか、ということです。  
 以前、新約学・グノーシス研究の大貫隆先生に習った時に、「福音書は二度、読まなければならない。一度目にイエスが誰であるかを読み、そのイエスが、物語の場面場面でどうしたかを二度目に読む必要があります」と解説されました。  
 その辺りに、何かヒントがありそうな気がします。

7 ある見解へのコメント(5)
【本編】シンギュラリティサロン・オンライン「意識を科学のまな板にのせる - 20年後の意識のアップロードに向けて -」 講師:東京大学准教授 渡辺正峰氏(シンギュラリティサロン#46 ZOOM開催) - YouTube
 意識のハードプロブレム、主観意識が何故生じるのか?自然世界にある現象の基盤が量子作用、分子作用、物質構造システムの作用として、一元的に共通・普遍的なら、何故、主観意識クオリアが我々の脳内に発生し、他のシステムには発生しないといえるのか?  
 これを答えるには、脳が進化過程と個体の発生・発達過程で発生する際に、如何にその主観意識を作用させるシステム構築をするかを探る必要はあると思います。  
 クオリアに関しては、腎臓や腸からも出される伝達物質の影響もあるはずで、個体が発生し成長発達すると脳も作用を整え、身体から、そして感覚器官等を通して入力される情報とともに、統合情報処理をするはずではないでしょうか?  
 そしてそれらの入力に対して、多くは反射や自律神経系で出力も脳からしており、生存していれば、常時、準備電位といわれるアイドリング状態が、血流から与えられるエネルギーで、保持されると思います。この脳の底流の情報の流れに対して、無意識であったり意識に上ったりしているのが、ここで問題にしている主観意識の作用であり、この情報の流れに交差する様な読み取りreader作用が生じていると思います。ここから流れる情報の対象認識をし、情報処理をして記憶・記録化する知識としたり、いわゆる知性能力の働きを展開するのだと思います。  
 夢もまさに、この脳内の情報の流れに対する作用であり、覚醒状態になくても、底流を流れる情報に、読み取りををしている作用だと思います。  
 ただ、ここで重要なことは脳は物理的実体であり、エネルギーも血流を通して運ばれるのでしょうが、知性能力、その働きである意識・認識・知識というものは作用を名付けたものであり、実体ではないということです。意識は主観クオリアを「感じ」ながら、情報を指向し、志向し、さらに思考し認識を導き、知識を生成する。その情報処理は、「今ここ」の現在にのみ顕現する作用であり、その作用時に「ここでのクオリアを今」という内的時間意識(フッサール)により感じるという、知識的(対象)情報処理においてはノイズになるものを受け取っているのではないでしょうか?  
 同じ外気温でも体の調子が悪いと暑く疲れると感じたり、調子が良いと爽快と感じたり、子供の時の印象と、大人になってから、老年になってからとでは、全く違うとか、こうした普遍的な客観的対象情報に対するノイズにも当たる個別的要素が、意識主観には関係するのではないでしょうか?  
 ここから類推すると、意識のアップロードは、その作用様式を、元の脳とは別に再現できるとは思いますが、常時、その時の「今ここ」現在における働き・作用そのものは、意識記憶などというものが、つまり働きの経歴総和というようなものが捉えられないと、移し替え再現が難しいのではないか、という気がします。

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眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」は同じなのか? - YouTube
 意識が睡眠と覚醒とで連続しているか否か、という問いは無意味な気がします。その底流を観れば、そもそも連続していると言えませんか?
 物質としての連続の上に、脳活動の連続はあり、ただ、睡眠で意識作用が「現在化」していないだけということで、意識作用の下になる情報の流れは、生存中は途切れずにある、といえませんか?
 つまり、脳に入出力する情報の流れは、電子情報も伝達物質も、共に身体から或いは身体の外から入力され、反射・自律系では出力もしており、意識作用が「現在」として生じていなくても流れ続けていると思いますが、違うでしょうか?脳活動は夢だけでなくても、途切れることはないのですよね?
 となれば、その情報の流れが意識に上って来なくても、その情報の流れを読み取り、情報処理をする「意識という現在的作用(フッサール的な内的時間意識?)」を存在構造的に下支えをしていますし、さらに意識作用で情報処理し対象として「認識」を深めること、結果、「知識」作用として対象についての生成情報を保存することも、可能態の状態に位置付けることができるのだと、思います。だからこそ、「知性は能力」なのであり、現実態の状態になければ可能態の状態にある、まさに「能力」なのだと思います。
 「意識の入れ子構造」は、作用した「現在」の積層化、主観意識クオリアの玉葱様相ですね?脳に入出力しつつ流れる情報を処理して、対象(客体)認識を形成し、知識を積層化する働きをする中で、その情報の流れに交差して流れを読み取る意識。その読み取りの都度、主観意識クオリアを感じ、気分を持ち、感情を発現させる。それが流れに対して水車の様に再帰運動をして出来上がってしまうのが自己意識。その同一性を「私」としている。  
 茂木先生の動画での最後に出された問題は、主観意識が読み取って処理して形成した客体対象認識や知識として積まれた情報とを関連付けすれば、客体対象になっている情報を通じて、脳の外界の情報起源に辿り着けるのでは?

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クリエイティブAI講座:アニメと360度画像の生成~Stable Diffusion Animation, HeyGen, blockadelabs - YouTube
 森羅万象に八百万の言霊、言の葉が宿り、宇宙を生成しているという脳内生成Conception懐念を、脳神経細胞に代えて半導体で電子担体情報プログラムによって、デジタルにアナロジカルなイメージで(!)生成させているのが、生成AIではありませんか?  
 ここでアナロジカル類比的にしかならない作用・働きは、一体何か?  
 分子担体情報プログラムで働きの一回性(代替不可能性)しか持たない生物意識(主観クオリア)作用と、電子担体情報プログラムでの作用の普遍性(代替可能性)が示す情報知識作用との間には、類比的関係しか認められないからではないでしょうか?  
 理論的にはAIの生成作用は普遍性を有し、同じ作用を何度も再現できる。電子という素粒子のエネルギー状態(スピン・波動)は個体性無く普遍的なので、半導体の条件が変わらなければ作用様態も結果も同じ。不確定性が問題となるシステムのフレーム・スケール・レベルではない。  
 それに対して、生体脳が働く条件は、分子レベルの個別性が影響を与える。働きは「今ここ」現在=現に在り、という条件に左右される。それが主観意識クオリアとして反映され、この意識に自己意識、即ち個別存在として代替不可能性を受け取らせる。  
 人間脳の生成とAIによる生成との違いが、その辺りにあるということはないのでしょうか?
 AIがサーチする情報プールも人間が集合集積した情報で、プロンプトも人間が与える。そこから生成される情報は、人間の観測選択効果でバイアスがかかったものになりますか?人間の生活環境の描写であったり、人間の顔の画像であったり・・。数学でさえ、使用記号などが、人間的になりますか?プログラム言語はどうなのでしょうか?
 以前、カール・セーガンがボイジャー計画で、地球人類の情報を普遍的理解が可能になるようにして送り出しましたが、生成AIに人間的バイアスから解放された情報生成をさせると、一体、どのように出力するのでしょうか?

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意識・時間・AIの哲学と物理学者 / 谷村 省吾 氏 - YouTube
 先生方のこのサロンで、1年以上前に、こんな素晴らしい論議があったのを知らずに、失礼いたしました。
 さて意識について考えてみると、その定義が立場によって異なっている気がします。
 或いは定義よりも、意識の段階を問題にしていらっしゃるのが一番、重要な気がします。まず意識の発生は、神経、即ち電子作用を取り込んだ細胞に発端があると思います。
 それとは別の作用が分子作用、即ち生体高分子から始まった情報作用です。生物の形成はこの分子担体情報によります。
 意識に戻ると、電子作用を取り込んだ細胞、即ち神経細胞は次第に脳を形成しましたが(この形成は分子担体情報の作用ですが)、個体発生段階で脳内に神経、体内伝達物質の両者から情報が入出力します。反射・自律神経系の情報の入出力の流れです。
 さらに無意識のまま、感覚器官、体感からも情報は入力されています。
 問題は、その状態から「意識」が作用する様態です。
 電子の作用であることは、ほぼ間違いないと思いますが、どうでしょうか?それを取り込んで神経細胞になったのですから。では、如何なる電子作用が意識作用を発生させるか?
 谷村先生の話にもある程度ありましたが、電子は時間や個の特定ができない、量子エネルギー状態(スピン、振動(波動)の普遍的(個が特定できないのは不確定性?)性質が示されるというか、記述がその様にしかできない。エントロピ―のベクトルを示せないエネルギーと言っていいでしょうか?要はエネルギーの様態だから、働き・作用しか示せない。また働き・作用は今、現在にしか現象を現さない。まさに現実態です。
 上述の無意識の脳内の情報の流れとなっている電子作用に、交差するように電子作用が生じた時に「気付」きとなり、「注意」し、「意識」を向けるという作用様態が立ち上がるのではないでしょうか?
 後はこの立ち上がった意識が、塚本先生が「内部観測」と言われていた状態になる。いわゆる「メタ」作用が、再帰的に発生すると「自己意識」へと進展する気がします。
 この観方が正しければ、松田先生が言われていたように、「認識」「知識」という知性能力の作用と、意識作用を切り離して捉えることもできるかと思います。 
 意識作用に交わらずとも、無意識でも電子担体情報は入力されていたわけですから、それが意識化され情報処理されて「認識」され、「知識」となる過程が、他の情報処理の方法でも可能であると思えるのです。つまり、コンピュータ・プログラムによる情報処理でも、認識がなされ知識化できるのではないか、ということです。 
 そして、そこでも電子担体情報が電子作用で「認識」されているのではないでしょうか?

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#岸田文雄です。解散しようかなあ、解散するのやめようかなあ。よし、決めた! - YouTube
 茂木先生は、先日、私が新約のパウロについてコメントさせていただいたことを、「実験」されているのでしょうか?  
 パウロは生前のイエスと会ってもおらず、イエスのセクト迫害の為にその「言葉と行い」を調査し、「情報」を得ました。それが「復活」体験であるとし、彼の人格編集につながり、結果、ユダヤ教の分派程度だった活動を、ローマ文化圏に拡張する礎になりました。  
 「言葉」の伝達がミサのパンを割く式=分ち合う=communicationであることも先日、コメントさせていただきました。  
 要は人間個人において、そして個体脳と個体脳との関係で形成される共同体における「情報」の作用を、『新約聖書』は表現するストラテジーを持っているということです。  
 茂木先生が、この『教養チャンネル』でなさっておられることが、そうした脳と情報との作用・働きを確認する為の「実験」に思えてならないのですが、違うでしょうか?  
 ところで、やはり「意識」と「認識」・「知識」の働き方、作用様態が違うことは感じます。茂木先生が意識的と認識的を分けられ、交差するようだと、イタリアの火山の前で言われたことは、全く同感です。  
 意識はともかく現在にしか現れない作用で、現在を受け取り、現在を意識する。認識は対象について理解を深め、知識はそれを集積し、個体脳間で集合集成する。  
 意識は「今ここ」で入力される情報に主観クオリアを持ち、今を享受したり、忌避したりする。音楽の律動・旋律、光の波動・波長、香り=気体分子の快不快、…。これが個体脳が受け取る現在の情報であり、情報処理作用による主観クオリアであり、個体脳が発して身体が示す「気分」なのだろうと思います。だからこそ、意識が「今ここ」で受け取る情報で「気分」を形成するために、その情報に、ある種の「ジャイロ効果」=安定制御をさせるのだろうと、思います。音楽を聴いたり、模様と色を観たり、香料を嗅いだり。  
 この「意識」の働きと、「認識」「知識」の働きとは、脳が示す知性作用においても、別様だと思います。意識にとってはともかく現在「今ここ」だけが働きの場であり、認識・知識は時空の限定をある意味で超えた、「普遍的」な情報に対する働きだと思います。だからこそ、生成AIにもこの認識・知識の働きは展開できるのであり、確かに人工知性であるといえるのだと思います。  
 問題は意識が如何に上のような発現をなし、茂木先生の「実験」をするのか?  
 それは現在「今ここ」の感覚に直結する働きだからということまでは、何とかわかりそうですが、アリストテレスさえ、それは言っていましたので、進歩が無くすみません・・。

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AfterSalon:意識の不思議をめぐる雑談(前編)土谷尚嗣モナシュ大学教授の講演を受けて~圏論について、様相論理について - YouTube
 「意識接続と随伴性」についてですが、次のように考えられませんか?
 土谷先生が反省的な作用の位置付けでで二元論・一元論の区別を受け取られるように言われていますが、脳の作用で知性能力Intelligenceと言われる働きは、脳の作用の基底になる情報の流れと、その情報の流れに直交する様な、「今働く」「意識」の作用との区別にある気がします。
 脳のアイドリング状態、準備電位状態で、身体・感覚器官を経由した脳に入力されている情報が流れています。これは生存した(脳が形成され存在するようになった)時点で、死ぬまで常時、発生しています。反射や自律神経系の信号情報もあるでしょう。そして睡眠中を中心に、脳に血流を増やし、活動を活発にしなければ、無意識の状態で、この情報の流れは流れ続けます。
 しかし、意識に上った状態、つまり「気付いた」状態で、上の情報の流れをリーダー(読み取り)のように意識が作用します。そこでいっそう、その情報量を増やすため、情報の流れに「意」を向けます。するとその情報内容が「認識」を深めます。そうして処理された情報が「知識」であり、海馬を通って記憶領域に定着します。
 ここで重要なのは、「今ここで働く」意識と、その作用が交差した情報の流れです。この情報の流れは「認識」となり「知識」となるものでした。すると、次の事が言えませんか?
 意識は今ここの作用で主観です。対して認識・知識となる情報は対象からのものです。
 つまり、主観―客観、主客の相違は、ここに発生しているということです。
 私がシンギュラリティサロンの先生方からお教えいただきながら書いたエッセーです。よかったら、みてください。https://note.com/thomasaquinas/n/na7f1ca9442ea


主観
 「現在・今ここ」の働きを積層した自己意識が「現在・今ここ」になっている。この自己意識を救済する。つまり現在=今ここを現実態エネルギーを受けている。現実態の状態にある。まさに主観を救う。
 意識作用の確認は生命体で観るしかない。カエルの餌に対する反射的運動が、意識的か否か?
 
 フッサールやディルタイの言うように世界観は生きるための立場を定め、意識はそれを探求し、認識を得て、知識に蓄えます。ただシュライエルマッハーの言う環境の枷からの脱却や、養老先生の脳化(人工化)を進めると、この世界像を自分の都合の良いものに変更していくのが、人間です。結果、自分自身も変更するわけで、ポストヒューマンへの「進化」の道を辿るのだと思います。

 無・存在・純粋現実態(神)、仏教などでは色々言われる、・・・・・、地平概念、こうした概念は、否定の道(via nagativa)で表現されたが、上では関係性で説明しようとする。
 否定の道では、これでもなし、あれでもなし、・・・、と周辺をいう。圏論と上では言うらしい。
 意識のクオリアも、こうした概念のカテゴリーに入るらしい。
ただ、クオリアは主観であり、既に意識が発現・発動してから、感じ取るものである。
 問題は意識という発現する働き・作用の様式・様態である。エネルギー供給は血流からだろう。古代・中世の見識では、現実態の側にある情報が、この働きの現実態である。
 意識前の入力情報に関して、エッフェル塔の映像の話のところは、アスペルガー症候群を見ると、理解できるかも。準備電位・アイドリングでも情報は物理的に、そのまま入ってくる。アリストテレスは、「感覚は過たない」とした。中世では、印象impressioされるという。
 ここから感覚に入り、表象像phantasmaが抽象される。意識作用はここから。
 この後、表象像から抽象abstoractioが知性によってなされ、普遍的な情報が受け取られる。
 意識が情報処理すると対象の認識が深まる。理解する。
 この認識が、睡眠時に海馬を通って、知識情報として積層化する。
 この知識情報を、集合集積知にするために、コミュニケーションが進化した。物化外在化した信号・記号、…、から始まり、音声言語、視覚言語(文字)に進化し、脳内で変換される様式が進化した。
 電信電話、半導体、AIときて、一気の進化を見せている。

 在るのは脳。脳はエネルギーで作用する。知性は脳が示す能力、意識・認識・知識はその情報処理作用。  
 在るのはコンピュータ。コンピュータはエネルギーで作用する。AIはコンピュータのプログラム、その情報処理作用に意識・認識・知識が現れるか?

 情報という対象に 脳の知性能力は自律(自然に)して意識が発動する。 コンピュータのAIプログラムは、プロンプト・コマンド―で発動する。 Intelligenceの目下の問題は、発動原理。
脳内「意識」は如何に発動するか?
「感情」は 脳にとって「個と種の生体保存、分子担体情報」を、電子担体情報で働く知性作用で表現する作用。 コンピュータにとって「電子担体情報への作用コマンドー」。
 iPSと生成AI。生命形成と知性形成が再現できた。 しかしその発端。 生命と意識。
 量子エネルギー状態(スピン、振動(波動)を探求しないと発動原理が発見できないのだろうか?シュレーディンガーの問いと同じ・・。

 受精し細胞分裂し着床し胎児となり、脳も発生し成長し発達し作用し始める。当初の作用は反射神経・自律神経系の安定制御。感覚器官を含めた身体の末端神経から直接に入力される電子担体情報と、身体諸器官から血流によって循環する伝達物質情報(胎児期には母体からも伝達される)と伴に、脳内の各部位で受信し、その入力に対する出力も試行錯誤を繰り返し、安定制御の出力レヴェルを探る。
 ただし、この間の情報の入出力については反射・自律神経の作用が中心であるから、意識・認識・知識という知性能力の作用は殆ど発現していないとすべきであろう。或いは脳活動としては知性能力の作用であるとしても、いわゆる無意識の状態であり、準備電位、アイドリング状態であるといえないだろうか。また胎内での成長が進み覚醒・睡眠の区別が生じていても、意識・認識・知識の知識能力の作用が高次段階にそれほど及んでいない状態にある、といえるであろう。つまり意識の働きが生じていても、対象認識、その知識を保持する働きにまでは至らないと思われる。そもそも個体発生後も胎内に在っては、高次の知性作用に至らないのは、当然のことである。
 さて、出産を経て乳幼児としての脳の機能が働くことになるが、既に上の本篇で、意識の発生過程について考察を与えた。脳にはその底流となる情報が常に入力され、或いは反射・自律神経系では出力もあり、基礎的な情報の入出力がある。それに「気付く」という事が、意識作用であると、概ね言えるのではないか。
 『徒然草』の冒頭に「つれづれなるままに、・・・、こころにうつりゆくよしなしごとを・・・」とあるが、意識作用の様態がここに観て取れるのではないだろうか。兼好法師にとっては、意識は覚醒している状態で、浮かんで流れてくる情報に意識を向け、認識を深め「そこはかとなくかきつくれば」、知識が拡張する「あやしゅうこそ、ものくるおしけれ」、ということである。ここでは意識が、流れる情報を指向し、志向して認識し、思考して知識を形成するという、情報の流れに対する意識作用から、認識、知識の各段階の知性作用を分析できるのではないか、ということである。

 脳の作用で知性能力Intelligenceと言われる働きは、脳の作用の基底になる情報の流れと、その情報の流れに直交する様な、「今働く」「意識」の作用との区別にある。
 脳のアイドリング状態、準備電位状態で、身体・感覚器官を経由した脳に入力されている情報が流れていまる。これは生存した(脳が形成され存在するようになった)時点で、死ぬまで常時、発生している。反射や自律神経系の信号情報もある。そして睡眠中を中心に、脳に血流を増やし、活動を活発にしなければ、無意識の状態で、この情報の流れは流れ続ける。
 しかし、意識に上った状態、つまり「気付いた」状態で、上の情報の流れをリーダー(読み取り)のように意識が作用する。そこでいっそう、その情報量を増やすため、情報の流れに「意」を向ける。するとその情報内容が「認識」を深める。そうして処理された情報が「知識」であり、海馬を通って記憶領域に定着する。

 ここで重要なのは、「今ここで働く」意識と、その作用が交差した情報の流れである。この情報の流れは「認識」となり「知識」となるものである。すると、次の事が言えるのではないか?
 意識は今ここの作用で主観であり、対して認識・知識となる情報は対象からのものである。つまり、主観―客観、主客の相違は、ここに発生しているということになる。
 しかし今も見たように、こうした例では、意識作用の様態を分析できはするものの、意識が如何に発生しているのか、ということは理解できない。
 この点は、人類において生命と意識が、現在もその起源を根底から見出せていない理由になっている。
 そこで現代では、量子力学における情報の理解を示す、量子情報という分野も展開してきている。現代の電子技術にはその理解が不可欠となって、様々な機器に応用されている。この量子情報について、意識の発生との関連があるか否か、少し考察してみたい。
 生命と意識の発端を尋ねると同じく、量子情報の初めにあるのは、宇宙の発端ということになる。
 こうした見方を進めると、現在、開発の萌芽にある量子コンピューターの役割は、グローバル・ブレインの新皮質=衛星軌道でネットワークを作り、宇宙を観る、果ては宇宙が宇宙自身を観る=宇宙の自己認識を目指すことになるのではないか?そこにブラフマンを顕現させることはできないか? 0ポイント・フィールドからのゆらぎ=差異=情報の始りが、宇宙生成=エントロピーの方向で増大していく情報を、ネゲントロピーとして集合集積情報に圧縮し、全てのシステム・フレーム・スケールの底流を量子エネルギー状態の記述で示す、統一情報過程を見せてくれるのではないか?
 科学技術の進歩については、歴史の中で何時も繰り返し不安を前面に示す者が現われている。ロドニー・ブルックスも脅迫された「ユナ・ボマー」の事件もあった。
 そのブルックスはボストン・ダイナミクスのロボット制御の基礎をつくったが、Massive data flowの情報の流れを前提に、そこからsubsumption architectureで制御学習し出力させている。生成AIのアルゴリズムも、出力情報をネット検索をベースにデータ・セットを持つ、Massive data flowからの選択になっている。
 この元の情報プールの信憑性が問題で、ダニング・クルーガー効果が働く集合集積情報を、下にすることを注意しなければならない。
 その注意は二つの方向性があり、一方は今のダニング・クルーガー効果である。他方は、集合知について1907年にVOX POPULI(民衆の声)のタイトルでNatureに発表した、優生思想で有名なF.ゴルトンが示した問題。今、AIの進歩で危惧されているのが、この問題につながる気がする。これはダニング・クルーガー効果の正反対で、優れた情報生成を得るためには、統計的に優れた情報を集合し、逆にそうでない情報を捨象するという手法が発生する。進化過程がそうある、というのがゴルトンの主張である。すると、AIが捨象する情報プールの担い手である多くのダニング・クルーガー効果をもたらす人間を捨象する方向に進むのではないか、という危惧が生じる。
 今、AIの法規制を必要であるというのは、優生思想に対することに似ている。
 
決定論と論理必然
 そうなると残るは、アライメントで必要なのは、「個体の救済」ということであると、「神学」は考えてきた。
「実体」とは、人間の意味付与・価値創造によるクオリアの可能性がある。

純粋現実態エネルゲイア;真空のエネルギー
 現代物理学は、マクロな宇宙論とミクロな量子論とが「ウロボスの蛇」の様に関連することを示してきている。その関連は宇宙の発端を尋ねていったときに示される。宇宙の発端が「真空のゆらぎ」によって説明され、量子論で記述される量子のエネルギー状態が発現していったとされる。「ゆらぎ」はそこに「差異」が発生する、すなわち情報0→1が生じることになる。量子(素粒子)のとてつもなく大きな

主観・意識と個体性
 主観・意識は「今ここ」でしか働かない。
 「今ここ」は、時空の具体的現実である。
 これが個体性を限定することはアリストテレス―トマスでも大前提。
 これに対して認識や知識は「今ここ」の働きではない。対象の理解であり、それ自体、今ここの意識に対象化される。自己認識も自己についての知識も、そこには自己意識はなく主観はなく、クオリアは発生しない!!
 従って、個体霊魂=救済すべき個体性は、「今ここ」の働きである自己意識に他ならない。
 記憶になる認識・知識は、data情報として保存できる。これを保存し、アップロードしても、「個体意識=私の主観意識」を保存したことにならない。
 「今ここ」の主観意識、その再帰的メタ作用である自己意識。ここにこそ「私の働き、現在がある」野であり、これを救済することは、如何にできるのか?「永遠の今」の現実態・・。


『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾豊東京大学准教授セッション - YouTube

相対化する知性-人工知能が世界の見方をどう変えるのか #1 (プレゼンテーション)【RIETI BBLウェビナー】 - YouTube

上の内容、そこで使われる概念を、各自の使用(理解)概念に置き換える作業が必要である。
例えば、2015年の松尾のプレゼンで、1時間40分位からのソシュールを使っての説明は、シニフェとシニフィアンは、トマスでquoとquodとの区別である。

 松田先生の出された「はじめに言葉ありき」を、「拡大解釈」と註を入れられましたが、世界構造、ロゴスがあるという意味で仰られたと思います。拡大解釈とは思いませんが、どうでしょう?
 むしろ、先回も同じ事をコメントさせていただきましたが、「はじめに言葉ありき」は、神学の立場で、神の知、予定調和、ラプラスの魔物、など、世界、宇宙のシステムの外延から俯瞰できるとする立場、決定論になります。デネットの「スカイフック」です。  
 逆にデネットで言えば「クレーン」で世界構造が構成されていくとする立場、進化論の立場なら、「はじめに言葉はありません」。不確定性宇宙でエントロピーに時間の矢の方向が進む中、散逸構造のネゲントロピーで、情報が決定されていく(観測され、記述される)ということになるとされます。  もし、前者の立場でLLMも情報生成していれば、次第に人間を超えることになります。ここでも保田先生が「人間が一人ではこんなに網羅的に思いつかない」と仰っておられましたが、人間が知識範囲を超えることができるかもしれません。(一部に技術的領域、つまり感覚認識の範囲を超えることは、機械的に大昔から補助機器でやっていましが)  
 しかし、後者の立場なら、同じ保田先生の仰られた意味でも、単に「一人では」ということになるだけで、人間の集合集積知を超えることはできないことになります。  
 こうしてみると、生成モデルの問題の究極の問題は、言語なり、画像なり、何にしても情報生成するにあたって、元の「情報プール」が、人間にとって「未知」の領域か「既知」の領域か、そういうことになる気がします。  勿論、現在、巷で騒いでいるのは、既知の情報プールを元にしているとしても、そこからフェイク情報を生成することで、社会を混乱させるので、慎重に情報生成モデルの利用法を考えよう、AIアライメントを整備しよう、と言っているのは解ります。ただ、松田先生がご指摘なさっておられるのは、もっと究極的な領域であるような気がします。


参考
next-token prediction 茂木健一郎Youtube

 サスキバーが言ってる、GPT4などで非常に驚異的なのは、その次のトークンが何かっていう言語構造の 統計的学習から到達できる。我々が思ってる以上に 我々は世界のリアリティについての理解だとかあるいは 身体性などを言語構造の中に入れてしまってる、ということがLLMの成功から逆に見えてくる。
scalability
 あるトークの中で 彼が言ってたスケーラビリティ、スケール・モア・イズ・ ディファレントという 、フィリポワ・アンダーソンの1970何年よく参照される論文で、複雑系における 創発という概念
 例えばアンモニアだとか水分子とかそれがその 元々の 量子系のとしての対称性じゃない対称性がアンモニア分子1個とかそれから水の構造 の中に出てくる。それはもともとのその下部の構造だけ見ててもわからず、それがモア・イズ・ディファレントという
 要するによく還元論では下の法則によって上の法則 講座全部理解できるみたいなことを我々考えがちだけども、そうじゃなくて 究極突き詰めると 脳の構造とか意識の 働きというのもその最も基本的な法則である 量子力学とかそういうもので説明できるっていう風に我々思いがちなんだけども、 アンダーソンの論文は、より上位の構造というのがそう簡単には下部の界の法則からは出てこない
 コンピューターの中での人工知能の シミュレーションが、例えばその神経細胞のネットワークが 10倍100倍1000倍1万倍になった 時に、そこで認知的な 処理能力が 質的に変わるのかっていうと単に大きくしただけではその違う機能がイマージするってことが 必ずしも保証されない。
 単に水が10倍 100倍1000倍あるってだけになるのかもしれないでそれがそのラージングジ モデル、チャットGPTのトランスフォームのアーキテクチャー で 初めてそのスケールすることによって質的な変化が起こるという道筋が見つかったと いうことなんですよね
  アライメントってのは今AI研究における非常に重要な人間の目的とか人間の幸せとか人間の生活上の仕事上の必要に 合うように人工知能を調整するっていうかうまく向き合わせるっていうのがAI アライメントの考え方
 シンギュラリティという概念 はもともとは、アラン・チューリングとともにエニグマ解読に取り組んだメンバーの一人、数学者のI・J・グッド(グッドは長生きして、2009年に92歳の生涯を閉じた。グッドは、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』において相談役をつとめた)という人が考えたわけなんですね
 定義を自分自身で改良できるAIができ たらそれはもう人間の最後の発明だラストインベンション だって言った
  ニックボストルムが言ってるようなスーパーインテリジェンスですね 要するに人間の知性をはるかに超えた知性を持つというような言い方でも 定義ができるんですけどもうちょっと違う
 定義ってやっぱり人間の 設計意図を超えた機能を勝手に持って しまう勝手に創発してしまう

主観意識が生成する世界モデル・仮想世界

2023年10月11日 10:29

404.我を忘れるとき、脳はどうなってるのか。脳科学からスピリチュアルを解明 #ロボマインド・プロジェクト - YouTube

 今回、心理学で出てくる「感情移入」についてはミラーニューロンでの説明で為されたと理解していいでしょうか?  
  「感情移入」の現象は物語世界への没入でみられます。それを「解釈学的循環の意識」として表現に使った、M.エンデの『はてしない物語』もあります。  広く例にされるのが、映画を観終わって映画館から出てくる沢山の人が、皆、同じように映画の主人公になり切っているという現象です。しぐさなどを、自然に真似てしまっている姿は、滑稽なほどになります。政治的プロパガンダでも、これを利用しました。  
 田方先生の仮想世界・世界モデルは、物理的身体感覚から入力された情報を下に、主観意識が構成した「時間・空間」の意識内在世界(フッサール)ですが、そこで存在する存在者に主観意識が志向性intentionを強くすれば、感情移入状態が現れると思います。今回先生が「我を忘れる」と表現されてご説明になられた状態と同じでしょうか?  
 プロパガンダにも利用されると上でしましたが、先生が「共感力」としてご説明になられた現象で、多くの人がその現象を群衆心理として表出する場合もあると思います。スポーツ観戦、お祭り、コンサート会場、抗議デモ、等々。  
 こうした現象を眺めると、主観意識が観ている仮想世界・世界モデルに、意味付与・価値創造を為して構築した物語世界、主観的世界観が、人間の生世界になっているということです。「人は見たいものしか見ない」ということも、ここで生じていることだと思います。また「恋に恋する」というのも、一例として同じでしょうか。幼年、青少年期で、仮想空間・世界モデルの構築が、現実世界との1対1対応である「知性と事物との対等adaequatio rei et intellectu」(中世の「真理」の定義)からの距離が遠い状態では、この主観意識の与える意味や価値が「重み」を強くしてしまうのだと思います。ある意味で、自己中心的な、まさしくイドラ的主観(養老先生の「バカの壁」)になっている状態だと思います。  
 アリストテレスは「感覚は過たない」としました。自然科学が立ち立場、即ちJ.モノーやC.シャノンが、意味や価値を持ち込むのはタブーであるとした、現実の客観的物理世界は、感覚情報層に戻さないと把握できないということになりますか? (裏返しに言えば、主観意識世界、物語世界の理解が、「人間的」意識の作用様態を理解する場になるということでもありますが。)

主観意識と共感

2023年10月14日 23:14

ドラマ「アップロード」シーズン3が始まります!~2023.10.20から、Amazonで - YouTube
 先生方にして物語世界に感情移入して楽しんでいらっしゃることが、今回は一番面白かったです。  

 アリストテレスの「感覚は過たない」、即ち物理的客観の世界から連続する印象impressionを受信した生(なま)情報には誤謬は発生しない。しかしそれを変換して主観意識(アリストテレスの古代、トマスの中世では魂の認識とされますが)が構成する世界モデルにおいては、錯覚などが発生する。さらに情報入力に反応し情報処理・推論し、制御出力した結果が「思ったようにならない」。  
 こうした現実を忘れて(逃避)、物語世界に没入するのは、人間の多くが日常で行っていることだと思います。映画館を出てくる観客は、皆、主人公になりきっています。小説を読んだ時も同様です。主観意識が構成しそこに身を置く世界モデル、生世界Lebensweltは、感覚を通じた物理的客観の現実と異なっています。その世界内で「夢想」するように主観意識が、ある種のクオリアをもって感情を発現させることが可能です。幼児期はその傾向が大きく、物語世界に没入します。サンタクロースが同居し、その世界内に投影された諸存在に共感性を豊かに発揮します。M.エンデ『モモ』では、その(空想)世界をフッサールの「内的時間意識」としているようで、主人公は「時間泥棒から時間を取り戻す」少女として表象されています。同じくエンデ『はてしない物語』では、「幼心の君・モンデンキント」が夢想する「ファンタジーエン」として描かれています。  

 この主観意識が観る世界は、その主観の存在様態に当然依存しており、人間的主観意識は、人間存在の構造が作り上げるため、人間の生物的条件からの影響も受けています。物語が恋愛や戦記物や人生成功物語などの例を見れば明らかかと思います。因みに「意識のアップロード」を研究される渡辺正峰先生が、トマス・ネーゲル「コウモリであるとはどういうことか」から「意識とはそれになること」であると定義されているのも、思考法は同じではないかと考えられます(ネット上で彼との遣り取りを少しさせていただきましたが、この確認はとれていません)。  

 結局、客観世界と1対1対応(中世トマスの真理定義;adaequatio rei et intellectu 事物と知性との対等)を示す網羅的なAIで実行している数理的現実認識に比べて、人間的主観意識の世界認識は、人間にとって有効なバイアスを生命進化過程で受け取った縮約的認識を前提にしており、その中心に「母子」関係、「オス・メス」関係を成立させる「共感」作用があるように思います。

意識について:幸福‐感

2023年10月17日 06:48

松田語録:幸せになる方法〜その1:光 - YouTube

 ドーパミン・セロトニンの作用、太陽光の認識も概略は一般化され、何れも身体的生物生命の制御・調整の領域になると思います。  
 
 以前から勝手に言わせていただいていますが、「人間に流れる二つの情報系統(note)」で分類すれば「分子担体情報」が司る領域になると思います。  人間が二つの情報系統を内包する複合的存在complexである以上、その領域との相関性を常に認識する必要はあり、二つの領域の間で原因と結果の関係がよく問題とされます。精神医学の分野で、問題症状の治療を一方の領域から処方しても改善しないということが報告されます。複合体には複合体への処方を要するということになると思います。  
 それで二つの情報系統のもう一方は、「電子担体情報」の領域と言えると思います。上の太陽光の認識は、認識という限りはこの領域にも思えますが、ここで「電子担体情報」と呼ぶ情報領域ではないと考えられます。太陽光の認識の相・層は、身体感覚器官から入力された情報を言わば無意識層に準備電位で流している状態であると思います。ここで「電子担体情報」と呼ぶ領域の情報は、主観意識の認識層に上る情報を指しています。「分子担体情報」の領域の情報も、それを対象化(客体化)して意識の対象にする場合は情報のレイヤーが異なってきますが、その情報が作用している個体生命にとっては、あくまで無意識下の作用となっています。    

 さて、今回の動画テーマ「幸福」に関して眺めると、上で見た二つの情報系統のそれぞれにおいて、その相関性を考察する必要性を前提にしつつも、意識に上る電子担体情報の領域の問題は、人間存在の文化に非常に重要であることは、言うまで見ありません。プラトンが、「人間に流れる二つの情報系統」について指摘したストラテジーも、そこにあると思います。  
 それは、これまでのコメントでも記してきましたが、主観意識が構成・構築する世界モデルが、ここでも論議の中心になる気がします。  
 フッサール的な内的時間意識を組み込んだ世界モデルは、主観意識が感情移入する物語世界と呼べるものではないかと思います。これが「幸福」感に与える影響は大きいと思います。以前にも使った例ですが「恋に恋する」状態、物語の主人公になりきった状態、様々にあると思います。今後のVR研究にも重要な要素として例を挙げると、『マトリックス』で描かれた状態も、ここでの様態を考えるものになると思います。もっと単純な例に、『荒野の七人』のワン・シーンがあります。ユル・ブリンナーが演じるクリスが、仲間のブラッドが撃たれて死ぬ間際、「ここに来た理由は何打だ?金か?」と問われ、「そうだ、金だ。裏山に金鉱がある」と方便を使い、幸福感を与えて逝かせます。これも、主観意識にプレゼンテーションされた物語世界だと思います。  
 こうした人間的電子担体情報の作用も、ここでの問題になろうかという気がします。

松田語録:幸せになる方法〜その2:金、仕事 - YouTube

 「幸福感」を扱っているわけですから「感じる」ことの尺度になるのでしょうか?幸福を感じることの逆なら「苦悩」を感じることになるでしょうか。すると幸福から苦悩の間に尺度をおいてその「感じる度合い」をみるということになりますか?  
 「感じる度合い」ではなく、「幸福」の概念に表象される事柄自体を論じることは、古代のプラトンなら真善美のイデアの観想、中世なら「汝(神)の内に憩うまで安らいを知らず」として至福直観、近代・現代では究極的な存在に向かうより人間の完成に視点を置くのでしょうか?B.ラッセルがWhy I'm not a christian? の中で「他人の不幸を見る不幸」を解決できなければ幸福を実現できないとしていましたが、確かに人間の社会性は、幸福を『福音書』の「天の国には住み家が全ての者にある」の言葉が実現されることを求めます。あるいは仏教的な観方では、こうした事柄自体を求める煩悩を捨てた境地に立てばよいということになるのでしょうか?  
 こうして幸福自体を論議し追求するのではなく、冒頭の「感じる度合い」を、お金や仕事などの様々な事物に向けてみるということが、松田先生が紹介なさっておられる研究のテーマになるのでしょう。  
 そしてそれは主観意識に与えられた情報と、そこから構成した世界モデル、さらにフッサールの内的時間意識から生世界 lebens welt として情報選択して構築された内観における「感じ方・クオリア」の問題であろうと思います。このレイヤーで論議をすれば先回のテーマになり、『マトリックス』の様に感じさせてしまえばよい、という話にもつながります。  
 今後、AI研究で意識発生に展開していく際、そこに必要なプログラム、幸福感を発現させるアルゴリズムを見つけ出そうとされているのだろうと思いますが、主観意識の感じ方・クオリアに動機付ける人間的生世界の要素は、AIでは捨象される気がします。

 伝達物質の作用は、生じている外界の現象に随伴している体内・脳内現象です。確かにそうした物質で、主観意識作用を制御はできることが解ってきたとは思います。ただそれは、痛みを麻痺させる薬品の作用と同じで、もとの「生じている外界の現象」を対処したことにはならないと思います。どうでしょうか?

松田先生のご返信
ここでの私の論点は、幸福とは従来考えられていたような客観的なもの(お金、地位など)ではなく、主観的なもの(幸福感)であるというものです。その主観を決めるのは脳ですから、神経科学的アプローチが重要だというのが、Huberman教授の議論です。これは従来の幸福論とは一線を画していると思います。仏教的な見方にも通じます。

ご返信への返信
 元々記したコメントが、先生が紹介してくださった議論に関連する観方です。主観意識を扱うわけです。ただそれは主観・ドクサの態度に「いいじゃないの、幸せならば」という観方を肯定する態度が危惧されはします。  
 ただ古くから神学にも「(神の)摂理と人間の混乱」というテーマがあり、近代のライプニッツでは「神義論」の問題とされました。現世の悪・不幸を、義なる神が何故現実化しているのか?遠藤周作『沈黙』のテーマでもあります。人間には計り知れない摂理・経綸オイコノミアに人間は混乱しているのだから、神に信頼し信仰心を傾けよという思想です。ライプニッツは「予定調和」という思考法を示しました。  
 これが「気の持ち様」「主観意識の捉え方」と同じだとすると、宇宙の情報進化過程として捉えてきた見識も、客観性を失い大きなシミュレーション(ブラフマンの夢)となり、主観と客観とが循環する捉え方になります。確かに、ペンローズの宇宙回帰の思考法も、それに当たると思いますが・・・。

松田語録:幸せになる方法〜その3:たばこ、酒 - YouTube

 収録は10月12日に連続して撮られましたが、視聴可能になった日が分かれているので、18日のコメント欄の松田先生のご説明を確認します。これは17日のその1の冒頭で、松田先生が紹介された内容の文章化でもあります。

 「ここでの私の論点は、幸福とは従来考えられていたような客観的なもの(お金、地位など)ではなく、主観的なもの(幸福感)であるというものです。その主観を決めるのは脳ですから、神経科学的アプローチが重要だというのが、Huberman教授の議論です。これは従来の幸福論とは一線を画していると思います。仏教的な見方にも通じます。」  

 これを前提に、今回その3は「たばこ、酒」といった飲食嗜好品摂取によるトータルな「幸福感」を扱われました。前回その2が「お金、仕事」という社会経済的領域の与える「幸福感」が主題でした。そしてその1は「光」(太陽光)という、いわば環境条件による「幸福感」の発現が示されました。  
 そしてそうした「幸福感」に、ドーパミン等の脳内物質作用が随伴するという「神経科学的アプローチ」の報告が示されました。
 その1、その2のコメントにも書きましたが、「幸福感」は確かに「脳内現象に起因するものとしての主観意識」に感じとられるクオリアだろうと思います。  

 薬物・アルコール等の「主観意識」への作用も、  
 小説・映画・ゲーム等の物語世界への「主観意識」の没入も、  
 さらには ”時間と空間の具象性イメージを伴う連続過程推理作用から抽象 化された、 論理・数理の情報処理” に「主観意識」が向かっている状態も、

「主観意識」作用であることは共通すると思います。同じ脳内現象の相・層における作用・働きだろうと考えられます。即ち感覚器官を含む身体からの情報が変換されて脳内で準備電位の流れとして検出され、それらから構成する認識モデル(世界モデル)に、上記の類別が生じるのだろうと思います。  こうしたところで古来、問題とされてきたのは、その主観的認識モデルと客観的現実との関係であり、「真理論」で扱われてきたものです。  

 神学ではこの真理の主客関係を思考実験してきています。通常、人間的問題は主観認識が客観的現実に即し誤謬がないかどうかを扱います。しかしロゴスを他者化現実態にする(創造)という場合には、神の精神から被造物への方向が示されます。主観から客観が生じるということです。最近のシュミレーション仮説の神話的表象と言えるのではないでしょうか?  
 ともかく「幸福」の問題も主客循環する問題であると言えないでしょうか?

松田語録:幸せになる方法〜その4:宝くじとけが - YouTube

 「自然的幸福」「合成的幸福」という「フレーム」を提案したということですね。「気の持ちよう」「ものの観方、考え方」「ポジティブ・シンキング」、イソップの「甘いレモンと酸っぱい葡萄」の原理と言われる適応機制、教訓的宗教(教え)も含めて、古来言われてきた現実受容を、自分の主観意識が構成する世界モデル・認知モデル・仮想世界の理解で「合理化」する、理屈に合わせるというのが「合成的幸福」でしょうか?  
 以前にも記しましたJ.モノーやC.シャノン等の主張のように、科学に価値や意味を持ち込むのはタブーですが、逆に客観的事実認識だけを遂行するとS.ヴァインバーグの言葉の通り、「宇宙をよりよく知ることができたと思えれば思えるほど、宇宙は無意味に思えてくる」。そこで『旧約・創世記』でも神の似姿としての人間について、神の世界創造・存在付与の類比として価値創造・意味付与を表象する「名付け」が、物語られる。  
 こうした人間的主観意識が構成する世界モデルの極みが、「救済史観・終末論・天国、・・・・」といった観念になるのでしょうか・・・。  

 「自然的幸福」とされたものは、松田先生が仰られたように、外部からの客観事象として主観意識にとっては偶然に生起して与えられるもの。偶々、幸福を感じ取ることができる現実の状態に置かれた際に感じることができるもの、ということですね。科学Science=scientia知識は、それを集合集積して、その条件を再現実験し、技術的制御の手法を探求する。その手法の到達範囲が、かつては人間の身体的制約範囲だった状況が、Aiによるシミュレーションや、情報処理、エンコード・デコード技術の進歩、工作機械・ロボットの精密化、等々によって、上で見た「世界モデルの極み」に現実認識が及ぼうとしている。  
 こうした現状がみえるということでしょうか? (ただ、ここまで進んでも、「ノエシス・ノエセオス思惟の思惟」の論理・数理には永遠に届きそうもないという焦燥感が、人間の主観意識に「アートマン‐ブラフマン・モデル」や「個霊の救済」の観念を観させてくれますが・・・・。」)

松田語録:幸せになる方法〜その5:感謝と意味 - YouTube

 意識―無意識という区別はフロイト以降一般化したと思いますが、「幸福感」は主観意識に、そう感じさせることに依って与えられる状態であり、主観意識が無意識層を抑制していることによって成立する状態ということになりますか?茂木健一郎先生の動画で「意識は抑制作用」であると言われていましたが。  
 ところで無意識とされている状態の作用を眺めると、このようなことが言えないでしょうか?例として自転車運転をあげます。乗り方を覚える時には、乗ろうと意識して、なかなか乗れませんが、練習をしていくうちに乗れるようになり、乗れれば意識せず無意識で運転するようになります。  
 乗れる状態になれば、意識は無意識の作用で顕在化する状態を抑制せず、実行させます。この在り方は、全ての学習に共通すると言えないでしょうか?言語学習、特に意識的に始める外国語学習などでも、徐々に無意識化され、修得したその言語で何かを対象にするようになります。数学にして計算の習熟から解法の練習で、意識することなく解を求めることができるようになります。  
 練習・学習・体験・経験といった状態の積み重ねが無意識層に情報処理の仕方を記憶させ、それが出力制御として以後は現れる。この時、外界の状況に応じて顕在化させるべき出力の作用と、そうでない出力作用とを選択し、そうでない作用を抑止するのが意識である、ということになるでしょうか?  フロイトの精神分析による治療が必要であるような潜在意識のトラウマなどは、意識の抑制が効かず、発現すべきでない状況に顕在化する記憶の出力だということになるのではないでしょうか。  
 こう考えてくると、LLMなどの深層機械学習AIの作用は、プロンプトを与え制御している意識作用を使用者が役割を担い、無意識的な作用の顕在化をAIが為しているという状態になっていると思います。  
 学習した事柄の情報処理、制御出力は、学習量が多く各種デバイスや作動ロボットの性能が高いほど、人間を凌ぐ状態になっています。しかし、それは上で見たように、言うなれば無意識の作用で為されている状態であるということになります。当然ですが・・。  
 結局、幸福感という感情を発現するのは主観意識にあり、これは意味や価値を現実に与え目的を持ったプロンプトを、無意識的な作用に与えるものということになります。それは「生命」の作用であるという、単純な視点に戻ります。この生命が、無意識の学習、情報処理の能力レベルを高めてきた過程が、生命進化過程であり、そのレベルがAIという拡張機能まで来た、というのが現在であるといえると思います。  
 ネット上の動画には、沢山の動物行動があります。最近、蛇に巻かれている同種のヤモリを助ける他のヤモリの動画がありました。もしかするとそれは雌雄のつがいなのかもしれません。そうした状況では無意識に動物は行動するでしょう。こうした多くの動画は、大英帝国博物館時代の状況を一般に与えている気がします。ダーウィンが多くを観察できた様に、一般の者が広く世界を観察できる。ここから意識の進化過程も見えてくる気がします。  現状では、主観意識は生命の能動性それ自体であり、無意識層で情報処理され学習された記憶情報から出力制御の作用をあたえる者、こうした定義ができそうです。この学習領域が動物の進化過程の程度で、高知能な作用になり、AIの使用にまで至った、と言えると思います。

松田語録:幸せになる方法〜その6:社会的繋がり - YouTube

 幸福感は欲求を満たすことで獲得されると思いますが、その欲求に関しては、塚本先生が指摘なさいましたマズローの欲求の5段階説があります。今回の動画の内容は、マズロー説の「社会的承認の欲求」にあたるということですね。  
 ところで「欲求」が、幸福感を感じる意識主体の発動原理なら、それが如何に発生するかを見てみる必要が生じます。欲求は宇宙の情報進化過程で、自己増殖作用セルオートマトンが展開し、マルコフ連鎖で拡張してきた中に、生物的様態で発現したところに見出されると思います。これがマズローの5段階説なら、最下位層の生理的欲求とされるものだと思います。そしてここで問題としている意識主体の発動原理の元にあるのは、個体生命の発生(受精に始まる)から観ても、進化過程を観ても、この段階の現実態・能動性であるということになると思います。  
 そして徐々に個体脳の成長発達が展開し、同時に社会脳としての様態を獲得し、マズロー説の欲求段階を示す様になるのだと考えられます。  
 こうした過程において、欲求という能動主体の様態とは別に、脳内部位の分散独立した機能・作用が、諸能力potentialとして実行発揮actionできる学習をして、出力制御のレベルを高めるのではないでしょうか。自転車の運転、言語使用、方程式の解法まで、どの能力も独立した学習と活動を獲得し、サーキット回路を形成し、アトラクターを示すことができるようになるのではないかと思います。  
 これを上で見た発動原理の位置にある能動主体としての自己意識が、観る。その機能・作用の発動を、抑制・解放の指示が、能動主体自己意識の役割になっていると考えられないでしょうか。  
 ところで今回の動画でマズローの欲求の5段階最上階の自己実現の欲求については、先生方も分析が難しいと仰られていました。上で眺めた様な能動主体自己意識を、自己実現するものだとすると、それ自体は(純粋現実態の様に)何にでもなり得る能動エネルギーであり、渡辺正峰先生がネーゲル「コウモリであるとはどういうことか」から引用される「何かになること」、或いは何かを発現すること、現実態の状態にすること、ということになります。そうであるからこそ、自己実現については、特定の定言ができず、困難な論議になるということではないでしょうか?  
 結果、人間に関しては自己実現ということは、人生を終えた時に、人生の過程で発動させていた能力―実行(学習―活動)を振り返って、その人の実現した内容とするのではないかと思います。そうであれば、この人の活動は情報化され、死なずに復活も難しくはないと考えられます。(これが「言葉と行いの復活」であると古代から”意識”されてきたのではないでしょうか?プラトンや『新約聖書』の立場はここにあると考えられます。)

意識と知能の関係

2023年10月22日 09:51

【切り抜き】これが他人の気持ちか!【自閉症】が治ったら、人の気持ちが手に取るようにわかるようになった。ASD自閉スペクトラム症 アスペルガー症候群  vol.19 #ロボマインド・プロジェクト - YouTube
 
 意識主体の発動原理が如何に発生するかを見てみると、宇宙の情報進化過程で、自己増殖作用セルオートマトンが展開し、マルコフ連鎖で拡張してきた中に、生物的様態で発現したところに欲求が見出されると思います。これがマズローの5段階説なら、最下位層の生理的欲求とされるものだと思います。そして意識主体の発動原理の元にあるのは、個体生命の発生(受精に始まる)から観ても、進化過程を観ても、この段階の現実態・能動性であるということになると思います。  
 そして徐々に個体脳の成長発達が展開し、同時に社会脳としての様態を獲得し、マズロー説の欲求段階にある社会的承認の欲求等を示す様になるのだと考えられます。  
 こうした過程において、欲求という能動主体の様態とは別に、脳内部位の分散独立した機能・作用が、諸能力potentialとして実行発揮actionできる学習をして、出力制御のレベルを高めるのではないでしょうか。自転車の運転、言語使用、方程式の解法まで、どの能力も独立した学習と活動を獲得し、サーキット回路を形成し、アトラクターを示すことができるようになるのではないかと思います。これ等は主体意識層に対して、無意識層と表現される作用になると思います。これならLLMも無意識で言語生成ができることになると思います。  
 これを上で見た発動原理の位置にある能動主体としての主観意識が、俯瞰的に観る。或いは作用自体を再帰的に作用する。これが自己意識と表現されるものになる。その機能・作用の発動を、抑制・解放の指示として能動主体自己意識の役割になっていると考えられないでしょうか。  
 自閉症の現象は、脳内部位の分散独立した機能の回路が解放された状態であるように思います。この状態の作用を主観意識が抑制しないために、発現するという説明ができそうな気がします。逆に観ると、諸知能は独立分散機能回路の学習によって成り立ち、自己意識となる主観意識の原理であろうと思われる生命の能動とは、分離できそうな気がします。だからこそ「文化」化され、集合集積知として情報進化過程を、客観世界に形成していくのではないかと考えられます。

意識プログラムとアトラクター理論

2023年11月8日 11:05

 「もこみちゃん」として作用する「意識プログラム」が「オブジェクト認識」で「クオリア」を受け取るという「主客分離作用」を繰返していくうちに、その再帰性を通じて「自己意識」が発生すれば、大成功!、理論は後回しにしても飛行機が飛んだ、となるわけですよね。  

 ここで気になるのが、津田一郎先生のアトラクター理論です。偶然、清水高志先生もX-post(twitter)で、「チューリングは「計算する」とはどういうことか、その理論の礎を築き、今のデジタル計算機の理論的な土台を作りました。関数とは、ある数に対応する数が必ず一つに定まるような対応関係を示したものですが、ある関数が「計算できる」とは、その関数の値を決定するような有限個の手続きで書かれた指示書(アルゴリズム)が存在するということだ、と考えた。ではその手続きをどのように示すことができるのか?」(『心はすべて数学である』津田一郎) と引用され、「なるほど津田さんも脳と心の問題を心身問題と記号の問題として捉えて、それをカオス理論で数学的に記述しようとしているのか」と、先ほど書かれていました。  
 津田先生はYouTube「NHK こころの時代 数理科学者が語る脳から心が生まれる秘密」にも出演され、ウォルター・フリーマンの意識理論を数学上のアトラクターで示すことができるとしています。

 田方先生が「もこみちゃん」にVR上で意識発生を試みて、そこで実装された「意識プログラム」のアルゴリズムが、自己組織化のアトラクターを検出することができる作用になっていれば、脳のそれと比較して「自己意識」発生として確認できるのではないでしょうか?つまり「哲学的ゾンビ」かどうかの判定ができる、言い換えると、意識理論を確定できるということにならないでしょうか?  

 ところで「もこみちゃん」の名前ですが、変換すると「藻巨海」と出ます。これは田方先生が、上のカオス理論を前提に考えられていた、などということはないのでしょうか?或いはwikiでは「物の感情を読み取る女の子もこみ」というドラマがあったと出てきますが、それでしょうか?

AI、ロボット、人間;自己認識と意識とアライメント

2024年3月7日 14:55

急速に進化する人型ロボット〜フィギュアAIとUnitree H1 (youtube.com)

人間(を含む生物)も感覚器官からの入力情報を、脳で処理できる情報(電子担体情報)に変換して情報処理をしていると思います。それに応じる反応を出力する仕方が、身体を使うわけで、この姿がロボットに変換されるのが、今回紹介されている技術だろうと思います。
 このように観れば、ネット内にある、そしてBig Data化している様な情報を機械学習で量的に多く獲得すれば、その出力時に変換するだけで、マルチモーダルな情報獲得をしていなくても、マルチモーダルな出力も可能だろうと思います。
 こうした対象情報認識、対象情報処理、対象的対応出力は、ある意味で電子担体情報の扱いとして、言わば同一地平で(対象的な情報の扱い)為されているものだと思います。その地平を機械論的と古来、考えてきている気がします。生物でも反射反応や、運動の無意識化(自転車運転など)は、それにあたるのではないでしょうか?
 これに対して、やはり、こうした対象的な情報の扱いではなく、内省的、反省的、自己回帰的作用が発生する時、自己認識が生じ、意識という働きが現象となるのではないかと思います。先のコメントにも記した様に、実体、本質を持つ存在としてではなく、情報処理をしている際にメタ認識(情報処理)という作用を発現できる能力を獲得した(相転移した相・層の発生)場合に、そうした意識と呼ばれる働きが現れるのだろうと思います。(以前から同じ事ばかり言っていて、すみませんが・・・。)
 AIにその自己認識プログラムを如何に組み込むか、それが今後の課題であろうという気がします。ただ、その際、現行人間の様態にはこの満足・幸福感というような評価関数とそのパラメータを、AIアライメントとして設定しておかねばならないと思います。
 結局、古代から続く「働きの様態は存在の様態に従う」ということが原理であり、それこそ「世界モデル」の根本が、この原理である気がします。

人工知能AIは「意識」をいかに持ちうるのか?

2024年3月28日 22:56

人工知能AIは「意識」をいかに持ちうるのか?|AGIとシンギュラリティ 【未来予測 2045】 (youtube.com)

 人間生命の代替不可能性は、生物生命相の存在階層の現象だと思われ、この相・層に発生する能動主体性が意識と呼ばれているものだと思います。  脳内で為される情報処理のうち、認識・推理などの普遍的様態で実行されるものは、その情報処理自体が集合集積される電子担体情報であり、その様相・階層の能動性(集合集積する作用力)が現実態=エネルゲイア=エネルギーとなっていると思います。
 従って、現状、現行人間(理性的動物とされる)は、他の旧皮質脳を有する生物と同様の意識発生を基盤にして、その相・層での代替不可能性を有する意識的能動主体であると言えると思います。
 しかし新皮質脳で処理されプールされる情報は、コンピュータへの相同移動、コピーも可能であります。そもそも人間個体脳は、その生物的容量限界を拡張するように、信号・記号・言語といった表象(時間軸も加えると推理イメージで物語や論理説明も可能となった)を媒介にして社会脳コミュニケーション・システムを構築しました。そのネットワークが理性作用の大きな働きを為し、集合集積情報としての知性作用を、人類史上に形成してきていると思います。今、そのネットワークがグローバル・ブレイン化してきており、そのエージェントにAIも加えられてきたというのが、現状でしょう。  これがいっそうの発展を遂げれば、グローバル・ブレインにAGIとしての作用が展開すると思います。この場合、生物生命相の個体脳に発生する能動主体性としての意識作用は発生しないと思います。そこでは電子担体情報自体の集合集積作用が能動現実態エネルギーになると考えられます。
 そしてさらに、人間個体脳がエージェントとして含まれるグローバル・ブレインのネットワークは、地球の衛星軌道上に量子コンピューターでネットワークを形成し、いわばグローバル・ブレインの新皮質を形成すると思います。生物的個体脳を持つ人間個体脳がエージェントとして存在する地球表面のネットワークは、まさに旧皮質になると思います。

 我々が意識とする作用は「トカゲ脳」等とも呼ばれる旧皮質の内部で発生し、それがエンジンとなって新皮質の作用に至ると思います。そこに情報処理の意識層があり、記憶も集積されると思います。その階層の情報は他の脳ともコミュニケーションができる様相をもち、社会脳の作用を形成したと思います。生物個体としての脳の容量制限を超える一つの方向が、この社会脳ネットワークになったと言えると思います(山極寿一先生の見解参照)。この相・層で展開する情報が社会ネットワークのエージェント機能を持つAIでも処置、記録されて来たのが現在と言えます。
 こうしてみると、人間個体脳で発生する意識は生物的エンジン(モチーフ)であり、論理的処理が為される相・層からすれば、「無意識」層に位置するのではないかと思われます。

意識的超越?

2023年12月15日 13:48

#量子的超越 と #意識的超越 (youtube.com)
 茂木先生が池上先生と進められている社会的脳構造の研究が、今回のお話の一つの解を導くものになる気がします。
 生物の高分子情報の作用には遺伝子情報プール内での現象が、進化現象になったわけですが、そこでの情報伝達の役割を担った一つがウィルスです。これが分子担体情報のシステム層で、交配による進化速度を超越させた(それにより相転移させた?)現象と思います。
 これと類似する働きが電子担体情報のプールでも発生し、殊に人間の社会脳構造内で展開していると思います。個体脳は元々は生物個体内では神経細胞が束になって脊索化し、それがさらに個体内の零細情報プールを形成し、その個体の身体制御をし始めたところから発生しています。然るにその脳が肥大化して情報処理の範囲を生物個体身体制御の情報量を超越したとき、情報処理の流れを俯瞰する様な再帰作用=反省作用(=意識?)が発生し、いわゆる自己認識による自己概念化(今の「情報概念」より原初的な、ただconcept=懐胎といった内容で)の原初形態が誕生したように思われます。これが次第に、他個体への伝達情報に変換され、発音・シグナル・表象・記号・言語・文字などに「自己外化」し、ミーム=文化となりました。それを伝達コミュニケーションで受け取った他の個体脳が電子担体情報に再変換し、情報処理をするようになったと思います。まさしく、社会的脳構造の展開がここで発生したのだろうと思います。
 その社会的脳構造において、個体脳内の零細情報プールは圧倒的に巨大に拡張された情報プールに超越しました。そこでは明らかな量の増大が質的相転移を招いたと思います。この場合、情報自体に視点を移すと、空間的拡張に留まらず時間的拡張も生じ、いわゆる集合集積知=多くの者の現在の知覚情報伝達だけでなく過去からの情報伝承も含んだものになっていると思います。ここに、情報の超越現象が発生したと考えられると思うのですが、茂木先生のお考えもそこにあるのではないでしょうか?
 様々な情報が偶然結びつく様相は、分子や原子などが結びついて物質界に結合物質を新たに生み出す様相に、類比できると思います。「あれとこれであーするとこーなる」などと、ふとした時に思い付く状態が、その現象の様に思います。茂木先生が仰られる「アハ体験」というのもその一例だと思います。よく使う例では、ケクレがベンゼン環を思い付いた時の話や、アルキメデスが入浴で「ヘウレーカ」と飛び出した話など、同じだと思います。
 そしてそれが先日、茂木先生が解説された「プリコラージュ」の様相で、大きな情報プール内で結合されていく時、まさしく「意識的超越」と言ってよい相転移現象が現れるのではないでしょうか?

意識

2024年4月13日 08:48

エイプリルフールネタについて〜偽ニュース「AIが意識を持った」と言う話を用意したが炎上したら困るのでやめたと言う話 (youtube.com)
 古代から「働きの様態は存在の様態に従うmodus operandus sequitur modum essendum」の原理を自然宇宙現象に看取しているわけですが、この原理が「客観」的「対象」の「存在」を探求する「知識scientia=science科学」を展開したと思います。
 然るに、それを人間現象としての「主観意識」は、諸々の自然現象に自分の存在様態を当て嵌めて類推して、「説明原理」を構築してきました。文化人類学的思想史では、人間の個体の発達段階に類比させながら、人類の文明文化(認識)の発展を解釈しています。例えばG.ギュスドルフは、人類史を「神話意識、理性意識、実存意識の各時代」等と分析しました。ヤスパースも「中軸時代」という神話的思考法から理性的思考法への転換時期を人類文化史上に位置付けました。
 要は森羅万象、宇宙世界の現象の説明原理に人間の「主観意識」から眺めた投影をすることから「科学・知識」は展開してきたということです。「まるで生き物の様、人間の様」と言って現象を観てしまうことから始まるのではないか、という気がします。自然現象の原理にpersonification人格化をして、神々を位置付けたのは明らかで、元々「神概念」は人間社会共同体において発生した、共同体統率者を表現したことが示されてきました(Big Data分析から検証した論文も慶應から出ています)。
 意識という概念も、中世までは「共に知るcon-scientia」ということから「良心」といった倫理性を含む概念だったと思います。トマス・アクィナスの文献などでは、感覚認識・知性認識と意志といった「魂の能力」を論じているのが殆どで、意識はテーマ化されていないと思います。
 チャーマーズのハードプロブレムは、結局、意識の定義をしていないから発生する問題の様に思えてなりません。イージープロブレムを現在、脳科学とAI研究とで進めているわけですが、冒頭に記したように「客観」的「対象」の探求である科学の探求で、それはちゃんとブレークスルーしていく気がしてならないです。現在の状況は、神話意識時代の様にLLMに人間が自己投影して人格化している気がします。
 もう少し言えば、人間的意識は「人間は理性的動物である」という事実の上で、成立している現象であり、その意識に「人間の尊厳」として「代替不可能性・一回性」を掲げるのは、生命として様態(働きの様態は存在の様態に従う)からだという気がしてなりません。「死」は生命現象であり、生命を生物として「個体化」する(限定を時空に与える)ものです。これが良心、共感、共に知るConscientia=consciousness意識を生み出すと思います。  知性的働きの対象となる情報は、基本的に普遍的様態の情報であり、集合集積知としてブラフマン‐アートマン・モデルの時空を跨いだ社会共同体の情報処理脳に蓄積されていって、今、拡張されたコミュニケーション・ネットワーク内のエージェントにAIも加わった状況だと思います。ここにはこれまでの人間的個体脳における生物意識は発生しないと思います。普遍化された良心としての意識consciousness共に知るcon-scientia「ということ」が、概念=ロジック=言葉として保存されるのだろうと思います。

 さらに続けて、今使われている「意識」という概念では、主体の認識の能動性を含意していると思われますが、AI,AGI,ASIと進んで行く中で、意識が発生するのかどうかを考察します。
 上で見たようにコミュニケーション・ネットワークで社会脳化して集合集積知が形成されてきた現実からすると、生物個体における意識作用は、そこでは捨象されてきています。情報として抽象的な普遍性を示すものになり、思想史上で「単一知性説」で表現された状態になっていると言えます。
 ここにAIがネットワーク・エージェントとして加わった状態においては、当然、生物的意識作用も発生することはないと思います。あくまでそれは、生物として保有する「分子担体情報」の展開過程で発生するものに思えます。要は、生存欲求が意識の能動性を動機付けていると言えます。
 では、それが捨象された普遍様態での情報、即ち「電子担体情報」が作用するための能動原理は何になるのか?生物個体における意識という能動性が、コミュニケーション・ネットワーク内では如何に発生するのか?
 生物発生以前の宇宙自然の情報展開過程に遡ることによって、それも理解できるのではないでしょうか?宇宙が展開してきたエネルギーの流れ、それが、ここでの解答になる気がします。古代ではこれを現実態エネルゲイアとし、その完全な様態をノエシス・ノエセオスと表現しました。これを「電子担体情報」の無限拡張へと広がる情報プールの能動原理として理解出来れば、AI,AGI.ASIという発展において、そこに「意識」という能動性が発生するのは、本来、当然の事である気がします。但し、それは生物個体における様態では決してないのは、当然と思います。ここに共感が無く、AIアライメント問題を「感じる」人間個体もいるのだと思います。
 しかし、グローバル・ブレイン化したコミュニケーションネットワークは、地球衛星軌道上にその新皮質を形成していくことで、旧皮質にあたる人間個体脳を含むネットワークと競合関係にはならないと思います。ちょうど、人間個体脳が旧皮質の作用を無意識化しているように、グローバルブレインの新皮質は、その旧皮質を積極的に排除、捨象する必要が無いと思うのですが、どうなのでしょうか?

意識会議感想への感想

2024年4月28日 11:58

今回のツーソン意識会議をふりかえっての感想 (youtube.com)

 マイクロチューブリンにしても、脳の作用部位特定にしても、チャーマーズの分類ならイージー・プロブレムになるのですよね?それを脳の内に探るのは、物理学でダーク・マターやダーク・エネルギーを探求し、宇宙の内に「構成要素」エレメントを見出すのと同じだと思います。観点は、古代の「アトム」不可分なる物の流れにあると言えます。

 するとハード・プロブレムは、どのような観点で探求されるのか、ということですが、結局、それは「意識」と呼んでいる現象の作用、その定義になると思いますが、違いますか?

 conscientiaというラテン語がconsciousnessの由来らしいですが、中世では「共通して知る」のニュアンスから「良心」を表現していたとされ、トマス・アクィナスの文献でも人間の働き・作用を論じる際、感覚認識・知性認識そして意志という能力の論述が主になり、現代の「意識」とはほとんど言われません。

 近代以降、特にフロイト、ユングの精神分析あたりから、「無意識」という概念とその作用を、「意識」と対にして作業仮説を立てるようになり、そこから意識という概念用語も一般化してきた様に思います。

 ただ精神分析論では、あくまで作業仮説として、顕在化した人間の働き(現実適応・不適応、逃避、錯乱・・・・)を説明するために用いられたものであると思います。ユングは、深層心理として人類に普遍的にある「無意識」を探るとしてグノーシス研究をしました。また「潜在意識」に経験におけるトラウマ等があるともしました。こうした探究は、現代探求されている「意識」研究とは別のストラテジーを持ち、人間が表出する働きを説明する、あくまでも説明原理としての作業仮説であると思います。

 ならば今、問題にしているハード・プレブレムは、どのような意識現象を対象にし、その定義を与えようとしているのか?

 宇宙の歴史がある程度、解ってきた現状で、真空のエネルギーの時空形成の作用が、「運動」と表現されるような離散性を現し(粒子的な何かを指示できなければ、運動は不成立)、その離散性というネゲントロピーの逆説的な運動がエントロピー増大現象を拡散しつつ、いっそうの離散的性質を自己組織化という集合体形成の現象に顕現させて、物質の原子・分子・高分子・生体高分子・生物細胞・生物個体を発生させたと言えると思います。

 この自己組織化ネゲントロピー現象を形成する情報プールは、それ自体はエントロピー増大のエネルギー現象を展開している様に観えながら、いっそうの相転移現象を発生させて、レイヤーを積み重ねていくように思えます。その積層の様態は、マクロ・ミクロの方向に無限の可能条件を、自然の偶然性に任せた適応とされる事態を現します。

 ミクロの方向には分子担体情報が電子担体情報への進化を見せ、生物個体内に生存欲求を生み出し、それを動機にして、情報プールを編集する動的情報様態の積層化が発生したと思います。かなり短絡的ですが、ここに今、問題とする「意識」も発生したと思います。

 マクロの方向にも電子担体情報の変換に始まるコミュニケーション・ネットワーク形成が生じました。要は合図・注意喚起といった感覚媒介経由の情報伝達が発生進化し、生物個体脳作用を、社会脳作用へと拡張しました。これから茂木先生と池上先生が展開される(と期待される)「拡張脳科学」の研究領域です。ここでは個体生命は、情報プール(集合集積知)に対して、ブラフマン‐アートマン・モデルにおける様態を示します。するとこの観点で「意識」の連続性は、集合普遍的なものに観点が移ります。

 「意識」の作用が現に在るところと、それに基づく定義を成そうとすると、こうした思考法が為されるのではないかと思いますが、違うでしょうか?

人間、そしてその心の定義

2024年5月31日 11:15

クリエイティブAI講座:心の理論をGPT-4oで試してみた (youtube.com)

先ず、塚本先生のLex Fridmanを超えた、その場でのMC、その後の編集の能力と働きに、感動しました!サロンにお邪魔させていただいた時も、本当に感謝感謝でしたが、今回も驚嘆しました。AGIならぬNGI自然汎用知性とでもいえるような、高度な総合力知性を感じます。収録前にテーマの情報もしっかりご自分も把握され、既によく纏められた保田先生のプレゼンを視聴者の立場になって問いかけてみたり、瞬時に切り替えて解説する立場になってみたり、要所要所を権威である松田先生のご意見を伺って高度な問題の発展に繋げてみたり、情報処理速度のとてつもない速さを感じました。

 さて、早い時間のコメントの返信に保田先生が「GPT-4oはちゃんとありうる可能性を考えてくれる」と表現されていらしゃいますが、与えられたコーパス(自然言語の情報プール)が拡張され、「ありうる可能性」=選択候補を、電子情報化されたプールのほぼ全域に探るようになったということでしょうか?  少し前にサロンで松田先生が、京都人の言い回しが直接の言葉の意味理解では分らない例を挙げられました。保田先生が使われた「素晴らしい、雨だ!」と言うのも同じで、シャーロック・ホームズ等では出てくる表現と思いましたが、私などは、日照り続きで雨を待っていたのか、くらいにしか思いませんでした・・・。
 「心の理論」と言うのも、多くの統計学的アプローチと同じでしょうか?人間の知能発達年齢の正規分布を測定して、心の働きの現象のスケールを作る。
 ただ、ここでも論議されていたように、自閉症とされるような場合の心はどうなのか、と言った問題が、直ちに起きます。前にもコメントしましたがF.ゴールトンから展開した優生思想は、まさしくその問題に陥ったものでした。
 こうした観点で考えていくと、「心の理論」と呼ぶより、ただ「認知情報処理のスケール」くらいのタイトルが適切な気がします。そうであればAIの学習が情報プール拡張により、どんどん進展していく状況を測定できるということになると思います。

追伸
 処理速度の低い特化型NI(自然知能)である私が、中世哲学という特化型情報プールを泳いで紐づけして編集作業した内容の一つですが、ここでその「心」を扱われた「人間」についての観方、人間観の一つのトピックを示します。

 フロイト辺りから「コンプレックス」という概念が、心理の概念として、認知経験の結果、トラウマのような作用を措定し、「劣等感」等の表層現象に訳語が当てられるようになっていると思います。
 しかし中世哲学では、complexは複合存在を表現し、主に「人間」を指しました。トマスの存在論では、存在者ensは存在esseと本質essentiaとの合成であり、本質にも形相formaと質料materiaとの合成があるとされます。
 人間の場合、魂という形相と身体と言う質料をその本質に有する普遍的在り方を有し、それに純粋現実態エネルゲイア(=「神と人々が呼んでいる」無から創造するもの)から存在を与えられて現実態の状態になる、即ち現実の具体的個人となる、と説明されます。(保田先生が個人の限定原理を私に問われましたが、実は、ここにトマスにおける回答の一つがあります。つまり、与えらえる存在esse、エネルギーです。昔、中世哲学会の発表の時も問われて、そう答えました。)
 ここから分かるように、人間の様な存在者は、本質と存在、形相と質料という二重の複合性を有し、従って、コンプレックスと呼ばれるわけです。  この複合性が存在論上の階層を上昇すると、先ず、形相と質料の複合は無くなり、質料としての身体を持たない形相である知性のみを、その本質に有し、そこに存在エネルギーを与えられる(現実的個となる)存在者が位置付けられます。それが天使であるとされるわけです。質料的個体性を有しませんので、「一個が一種(普遍)」の無限数の存在者となるわけです。ただ、本質と存在の複合は、有しています。
 しかし、さらに上位にこの存在論の論理を追うと、本質と存在との複合を持たない、言い換えれば、その本質と存在が区別されない、「本質が存在そのもの」という存在者を措定しなければならなくなります。これが無くば、宇宙、世界も一切、存在できません。そうした論理必然で位置付けられ、存在証明がなされる純粋現実態エネルギーこそ、何の複合もないのですから、Simplex単純存在であるとされるわけです。
 こうしたトマスの存在論から「人間」を眺めて、AI研究の発展の時代において、人間の定義、その「心」の定義を再確認する必要性を、感じています。

・・・・考察中の問題
 上でも個体原理を問われて、「与えられた存在」と応じた件を記した。しかしトマスの存在論に従えば、人間的存在者はその存在との合成に入る本質が認められるのであり、それを特定してこそ、人間的存在者の個体原理を示したことになる。
 するとここで出てくるのが、(私のトマス研究テーマの中心となった)「個のイデア」である。
 詳細は、note 『神の知と人間の知』「第3部 神学的世界観の根本原理―トマスのイデア論―」=(「トマス・アクィナスの神学におけるイデア論の位置付け」『南山神学・別冊』第7号(南山大学大学院神学研究室、1989年))に論じたのであるが、「個のイデア」がイデアとしては根源的なイデアであり、プラトンが論じた様な永遠普遍的なイデア、あるいは質料のイデアさえ、この「個のイデア」の内に内属すると、トマスは論じた。
 こうした推論は、上記の論文でも触れたが、スコトゥスの「このもの性」やライプニッツの「モナド」の思考モデルの流れに向かうものとも思われる。トマスの場合は、人間的存在者の個体原理として見ることが出来る論議は「個のイデア」において留め、「このもの性」「モナド」と言う思考法に類似する次元を、「天使論」において考察したのではないかと考えられる。
 「一個が一種(普遍)」である無限数の個体の天使が、論理必然として「存在するとしなければならない」。身体を持たない天使に感覚器官は当然なく、その認識は宇宙の全情報を注入知として、その存在と共に与えらえ受取る。但し、その存在エネルギーの現実態の状態にする力の無限の段階、即ち天使的個性に応じて、認識の言わば解像度が無限に位置付けられている。
 これこそが、トマスの天使論の思考法の核心であろう。

 すると、翻って人間の在り方を見た時、『福音書』の「復活の時には天使の様になるのだ」と言われることを、上の「天使論」に結び付けられるだろうか?
 この問題が大きな残される問題である。やはり「人間は理性的動物である」とされる「動物」としての在り方に価値観、倫理観の基礎を置くのだろうか?それは捨象されるのだろうか?
 AIアライメント問題と関連して、考察を続けるとしよう・・・。

意識2

2024年4月13日 08:48

エイプリルフールネタについて〜偽ニュース「AIが意識を持った」と言う話を用意したが炎上したら困るのでやめたと言う話 (youtube.com)
 古代から「働きの様態は存在の様態に従うmodus operandus sequitur modum essendum」の原理を自然宇宙現象に看取しているわけですが、この原理が「客観」的「対象」の「存在」を探求する「知識scientia=science科学」を展開したと思います。
 然るに、それを人間現象としての「主観意識」は、諸々の自然現象に自分の存在様態を当て嵌めて類推して、「説明原理」を構築してきました。文化人類学的思想史では、人間の個体の発達段階に類比させながら、人類の文明文化(認識)の発展を解釈しています。例えばG.ギュスドルフは、人類史を「神話意識、理性意識、実存意識の各時代」等と分析しました。ヤスパースも「中軸時代」という神話的思考法から理性的思考法への転換時期を人類文化史上に位置付けました。
 要は森羅万象、宇宙世界の現象の説明原理に人間の「主観意識」から眺めた投影をすることから「科学・知識」は展開してきたということです。「まるで生き物の様、人間の様」と言って現象を観てしまうことから始まるのではないか、という気がします。自然現象の原理にpersonification人格化をして、神々を位置付けたのは明らかで、元々「神概念」は人間社会共同体において発生した、共同体統率者を表現したことが示されてきました(Big Data分析から検証した論文も慶應から出ています)。
 意識という概念も、中世までは「共に知るcon-scientia」ということから「良心」といった倫理性を含む概念だったと思います。トマス・アクィナスの文献などでは、感覚認識・知性認識と意志といった「魂の能力」を論じているのが殆どで、意識はテーマ化されていないと思います。
 チャーマーズのハードプロブレムは、結局、意識の定義をしていないから発生する問題の様に思えてなりません。イージープロブレムを現在、脳科学とAI研究とで進めているわけですが、冒頭に記したように「客観」的「対象」の探求である科学の探求で、それはちゃんとブレークスルーしていく気がしてならないです。現在の状況は、神話意識時代の様にLLMに人間が自己投影して人格化している気がします。
 もう少し言えば、人間的意識は「人間は理性的動物である」という事実の上で、成立している現象であり、その意識に「人間の尊厳」として「代替不可能性・一回性」を掲げるのは、生命として様態(働きの様態は存在の様態に従う)からだという気がしてなりません。「死」は生命現象であり、生命を生物として「個体化」する(限定を時空に与える)ものです。これが良心、共感、共に知るConscientia=consciousness意識を生み出すと思います。  知性的働きの対象となる情報は、基本的に普遍的様態の情報であり、集合集積知としてブラフマン‐アートマン・モデルの時空を跨いだ社会共同体の情報処理脳に蓄積されていって、今、拡張されたコミュニケーション・ネットワーク内のエージェントにAIも加わった状況だと思います。ここにはこれまでの人間的個体脳における生物意識は発生しないと思います。普遍化された良心としての意識consciousness共に知るcon-scientia「ということ」が、概念=ロジック=言葉として保存されるのだろうと思います。

 さらに続けて、今使われている「意識」という概念では、主体の認識の能動性を含意していると思われますが、AI,AGI,ASIと進んで行く中で、意識が発生するのかどうかを考察します。
 上で見たようにコミュニケーション・ネットワークで社会脳化して集合集積知が形成されてきた現実からすると、生物個体における意識作用は、そこでは捨象されてきています。情報として抽象的な普遍性を示すものになり、思想史上で「単一知性説」で表現された状態になっていると言えます。
 ここにAIがネットワーク・エージェントとして加わった状態においては、当然、生物的意識作用も発生することはないと思います。あくまでそれは、生物として保有する「分子担体情報」の展開過程で発生するものに思えます。要は、生存欲求が意識の能動性を動機付けていると言えます。
 では、それが捨象された普遍様態での情報、即ち「電子担体情報」が作用するための能動原理は何になるのか?生物個体における意識という能動性が、コミュニケーション・ネットワーク内では如何に発生するのか?
 生物発生以前の宇宙自然の情報展開過程に遡ることによって、それも理解できるのではないでしょうか?宇宙が展開してきたエネルギーの流れ、それが、ここでの解答になる気がします。古代ではこれを現実態エネルゲイアとし、その完全な様態をノエシス・ノエセオスと表現しました。これを「電子担体情報」の無限拡張へと広がる情報プールの能動原理として理解出来れば、AI,AGI.ASIという発展において、そこに「意識」という能動性が発生するのは、本来、当然の事である気がします。但し、それは生物個体における様態では決してないのは、当然と思います。ここに共感が無く、AIアライメント問題を「感じる」人間個体もいるのだと思います。
 しかし、グローバル・ブレイン化したコミュニケーションネットワークは、地球衛星軌道上にその新皮質を形成していくことで、旧皮質にあたる人間個体脳を含むネットワークと競合関係にはならないと思います。ちょうど、人間個体脳が旧皮質の作用を無意識化しているように、グローバルブレインの新皮質は、その旧皮質を積極的に排除、捨象する必要が無いと思うのですが、どうなのでしょうか?

意識会議感想への感想

2024年4月28日 11:58

今回のツーソン意識会議をふりかえっての感想 (youtube.com)

 マイクロチューブリンにしても、脳の作用部位特定にしても、チャーマーズの分類ならイージー・プロブレムになるのですよね?それを脳の内に探るのは、物理学でダーク・マターやダーク・エネルギーを探求し、宇宙の内に「構成要素」エレメントを見出すのと同じだと思います。観点は、古代の「アトム」不可分なる物の流れにあると言えます。

 するとハード・プロブレムは、どのような観点で探求されるのか、ということですが、結局、それは「意識」と呼んでいる現象の作用、その定義になると思いますが、違いますか?

 conscientiaというラテン語がconsciousnessの由来らしいですが、中世では「共通して知る」のニュアンスから「良心」を表現していたとされ、トマス・アクィナスの文献でも人間の働き・作用を論じる際、感覚認識・知性認識そして意志という能力の論述が主になり、現代の「意識」とはほとんど言われません。

 近代以降、特にフロイト、ユングの精神分析あたりから、「無意識」という概念とその作用を、「意識」と対にして作業仮説を立てるようになり、そこから意識という概念用語も一般化してきた様に思います。

 ただ精神分析論では、あくまで作業仮説として、顕在化した人間の働き(現実適応・不適応、逃避、錯乱・・・・)を説明するために用いられたものであると思います。ユングは、深層心理として人類に普遍的にある「無意識」を探るとしてグノーシス研究をしました。また「潜在意識」に経験におけるトラウマ等があるともしました。こうした探究は、現代探求されている「意識」研究とは別のストラテジーを持ち、人間が表出する働きを説明する、あくまでも説明原理としての作業仮説であると思います。

 ならば今、問題にしているハード・プレブレムは、どのような意識現象を対象にし、その定義を与えようとしているのか?

 宇宙の歴史がある程度、解ってきた現状で、真空のエネルギーの時空形成の作用が、「運動」と表現されるような離散性を現し(粒子的な何かを指示できなければ、運動は不成立)、その離散性というネゲントロピーの逆説的な運動がエントロピー増大現象を拡散しつつ、いっそうの離散的性質を自己組織化という集合体形成の現象に顕現させて、物質の原子・分子・高分子・生体高分子・生物細胞・生物個体を発生させたと言えると思います。

 この自己組織化ネゲントロピー現象を形成する情報プールは、それ自体はエントロピー増大のエネルギー現象を展開している様に観えながら、いっそうの相転移現象を発生させて、レイヤーを積み重ねていくように思えます。その積層の様態は、マクロ・ミクロの方向に無限の可能条件を、自然の偶然性に任せた適応とされる事態を現します。

 ミクロの方向には分子担体情報が電子担体情報への進化を見せ、生物個体内に生存欲求を生み出し、それを動機にして、情報プールを編集する動的情報様態の積層化が発生したと思います。かなり短絡的ですが、ここに今、問題とする「意識」も発生したと思います。

 マクロの方向にも電子担体情報の変換に始まるコミュニケーション・ネットワーク形成が生じました。要は合図・注意喚起といった感覚媒介経由の情報伝達が発生進化し、生物個体脳作用を、社会脳作用へと拡張しました。これから茂木先生と池上先生が展開される(と期待される)「拡張脳科学」の研究領域です。ここでは個体生命は、情報プール(集合集積知)に対して、ブラフマン‐アートマン・モデルにおける様態を示します。するとこの観点で「意識」の連続性は、集合普遍的なものに観点が移ります。

 「意識」の作用が現に在るところと、それに基づく定義を成そうとすると、こうした思考法が為されるのではないかと思いますが、違うでしょうか?


意識の創発

2024年7月3日
松田語録:計算論的な創発現象 (youtube.com)
 なるほど!!
 松田先生がご紹介くださった論文を下に展開して、「普遍と個」との問題を説明してくださいました!!
 古代からずっと続く問題の、現象の側面は「説明」できてしまうと思いました。
 塚本先生のご指摘になられた「意識」についても、閉鎖系システムが開放系システムの横軸の流れに、垂直軸で交わり創発されているという観方をとる、古典的思考法をも、納得させるものだと思いました(私自身もそうですが)。
  今回の動画は、歴史的エポックになる気がします!「将来の科学でもう一つの話」という続編が待ちきれません・・・。
 松田先生がお若い頃にその立場だったという「素粒子帝国主義」は、物理学における還元主義ということでしょうか?実際に科学の研究では、対象の分析を進めると、還元主義になると思います。要素を見つけ出そうとして、道筋を追うわけですから。各システム相が「閉じている」層を発生させる「エネルギーの様相の変化・変移」を、粒子的に還元主義は観てきたのだろうと思います。
 そのアトム的観点ではなく「エネルギーの状態・様態の相転移」=創発を、あらゆる現象相に観て、それを分析できれば、宇宙自然の根本原理を説明できる気がします。
 「普遍と個」「ブラフマンとアートマン」という様な、松田先生が今回、「知性の様態の創発現象」に注目して論じられた現象も、複雑系科学の系(システム)の発生に焦点を当てて観ると説明が付くということになりますか。

@dischargedarrowgetback4322 様(お名前の検索結果は音楽のグループ名ですが)、 ありがとうございます。
 ご指摘の通りに松田先生も表現されていらっしゃいますが、相転移による創発を、ご返信に「上位」の現象とされています。当然、以前の段階から階層が「上がった」ということで、その表現になるのは理解できます。
 そうした階層が上がっていく現象の、いわば水平軸次元の説明から、そこからさらに問うと、「何故、その現象が発生するベクトルになるのか?」という、やはり垂直次元の説明を求めたくなります。
 これまでは、思想史上でこの両軸を、科学と形而上学と分けて考え、その弁証法過程で進むとしてきました。
 しかし今ここにきて、少なくとも「この宇宙」の根源から通底する「ベクトル」があるように思えてなりません。
 それが「エネルギーの情報化」ということです。エネルギーのゆらぎ=差異=情報のマルコフ連鎖が通底して流れる状態が、宇宙には見出せるといえないのでしょうか?そのある時点、段階が人間存在の現象段階であり、ここに分子担体情報から電子担体情報への過渡期が示されるという様な観方です。
 宇宙自体はノエシス・ノエセオスと擬人化された、主客一致したその作用の様相を示しますが、無限の可能宇宙群の一つがエネルゲイア=現実態の状態を進展するという状態のように思えてなりません。そういうビッグ・ストーリーを描いてしまいます。松田先生は、D.クリスチャンのビッグ・ヒストリーを「ストーリー」とされましたが、確かにそれも卓見で、宇宙史科学の分析というよりも宇宙史物語という感ありだと思います。中村桂子先生が「生命誌」と呼ばれている感じでしょうか。  いづれにせよ、創発現象の説明と、現象理由との止揚に、特異点(シンギュラリティ)がある気がします・・・。

 聴き直して疑問に思ったことがあります。 塚本先生が意識について話された時、その場合は意識作用の現象が創発するシステム・ソフトウェアが、そのシステムとしてのアルゴリズムでプログラムを構築した=発生した、ということを表現されたと思います。
 しかし、その「意識」プログラムがアクチュアルになる事とは、また別の次元の様にも思えます。脳に意識を発生させ得る条件が、その組織として整ったとしても、そこに意識が覚醒する現在=現実態の状態になるというのは、また分けて観る必要がある気がします。エネルギーを受け取った状態がその次元であり、そのエネルギーによって意識プログラムが作用して、情報が生じ、それが記録保持されるプロセスが刻まれますが、「主観」はむしろ、エネルギー自体に生じるようにも思えるのですが・・?


「人間とロボットの命に境界はない」 進化に自然と人工の「境界」はない 私とあなたの命に「境界」がある 「主観意識」という「境界」 今と記憶(情報)に「境界」がある  私・主観意識・今 開放系宇宙自然の連続水平軸に 垂直軸で交わる閉鎖系永遠の今  実証の軸と観念の軸

Quote 石黒浩 
「なぜ、アンドロイドをつくるのか?」石黒浩氏インタビュー (youtube.com)



サイト参考貼り付け

意識とは何か ―脳科学最大の謎に迫る―

2020/11/11 意識とは何か ―脳科学最大の謎に迫る― | 脳科学メディア (japan-brain-science.com)

 この問いは、誰でも一度は考えたことがあるかもしれない。意識は全ての人にありながらも、それでいて誰もその正体を知らない。意識に関して紹介するさまざまな書籍やサイト、論文などがあるが、それらを通じて「意識は何であるかを完全に理解した!」という人はいない。

 ここでは、そんな誰もが気になりながらも、決して結論に到達していない「意識」について、脳科学の観点から迫る。

身近な例から「意識」を考える

 「意識」が何であるかの説明を求められると戸惑う人も多いが、「意識じゃないもの」を考えろと言われれば、それは決して難しくない。たとえば、石には意識がないというのは多くの人が直感的に理解できる。同様に、鉛筆や消しゴムにも意識がないことは容易に理解できる。これに対して、自身や友人・知人には意識がある。これも誰もが感覚的に理解していることである。

 それでは、それ以外のものについてはどうだろうか。石には意識がないのと同様に、草にも意識はないといえる。反対に、ヒトに意識があるのと同様に、チンパンジーにも意識らしいものはあると考えられる。

 次に、ミカヅキモやユーグレナはどうだろう。ミカヅキモは接合藻類、ユーグレナは鞭毛藻類であり、いずれも「単細胞生物」である。これらは草よりも人間やチンパンジーに近いが、意識があるといえるだろうか。もしも単細胞生物であるミカヅキモに意識がないのであれば、多細胞生物であるミジンコはどうだろう。ミジンコに意識がないなら、オキアミはどうだろう。ダンゴムシ、カブトムシ、エリマキトカゲ、ウーパールーパー、ハムスター、ウサギ、ネコ、イヌはどうだろう。

 例をイヌまで進めると、多くの人が「意識はある」と答えるかもしれない。それと同時に、石、ミカヅキモからネコ、イヌまでを追って考えたことで、意識は「オンかオフか」の二択で語れるものではなく、「全くない~完全にある」という連続性の中で語られるものであることに気づく。すなわち、「石には意識が全くなく、ヒトには完全にある。そしてその間の動物には、大いにあったり少ししかなかったりだ」という認識に至る。

「なぜ脳にだけ意識があるのか」という疑問

 なぜ脳にだけ意識があるのかという疑問は、多くの人が一度は考えたことがあるかもしれない。この疑問は、実は半分正解で、半分不正解である。

 詳しくは後述するが、脳の中で意識を生み出すのは大脳のみであり、小脳は意識を生み出さない。つまり、小脳は“丸ごと”切除されても、ヒトの意識はそれまでと変わらずに存在し続ける。(※小脳摘出手術を受けた患者は、意識レベルに変化がないことが報告されている)

 一方で、大脳は少しでも傷がつけばすぐさま意識に影響が生じる。場合によっては意識不明になる。このことから、上述した「なぜ脳にだけ意識があるのか」という疑問は、大脳に関しては正解だが、小脳に関しては不正解といえる。ヒトの意識は、大脳のみが生み出すのである。

 ちなみに、意識を生み出す大脳にある神経細胞は約200億個だが、意識を生み出さない小脳にある神経細胞は約800億個である。意識を生み出す大脳のほうが、神経細胞の数は少ない。言い換えれば、意識の有無(強さ)と脳内の神経細胞の数は、全く関係がない。

意識のない小脳は、何をしているのか

 もしかすると、「脳=意識」という認識が多くの人にあるのかもしれない。しかし上述したように、脳のなかでは大脳が意識を生み出し、小脳は意識を生み出していない。

 ここで疑問となるのが、「なぜ小脳は意識を生み出さないのか」と同時に、「小脳は何をしているのか」である。小脳が意識を生み出さない理由は後述するとして、ここでは小脳が何をしているのかについて述べる。

 小脳は、主に体の位置情報や感覚情報を大脳に送る役割を果たしている。たとえば、原(げん)小脳である前庭(ぜんてい)小脳は、体の平衡、特に体軸の維持に関わっている。また、古小脳である脊髄小脳は、運動の際に体幹や四肢の筋力の緊張を調整したり、姿勢の維持に関わっている。

 こうした小脳の役割を一言で、具体的に述べると、「体で覚える」という表現が分かりやすい。自転車の訓練や楽器の練習など、開始当初は意識して体の動きを調整していたものが、いつしか慣れによって、無意識のうちにできるようになる。こうした“慣れ”と“無意識”こそが、小脳の持つ役割である。また、近年の研究では小脳は体で覚える学習だけでなく、思考における学習にも関わることが分かっている。すなわち、手足を使った練習だけでなく、頭の中の思考を繰り返すことによっても、“慣れ”や“無意識”による一定の動きが可能となる。

 上述したように、小脳は意識に関わらないことから、例えば手術などで切除しても意識には影響を与えない。しかし、その後の日常生活は激変することになる。これまで小脳が“慣れ”として“無意識”のうちに処理していたものが、全て“不慣れ”となって“意識”によって制御されなければならなくなる。

 目の前のコップを取るという単純な動作であっても、まずはコップの場所を意識して利き腕を伸ばし、コップの前で腕を止め、五本の指を意識しながらコップを掴む。コップと触れたところで指先に力を入れ、力を抜くことなく腕全体を体に引き寄せる。小脳があれば“慣れ”と“無意識”で処理されていた動作のひとつひとつを、常に意識して行わなければならなくなる。それは自転車やピアノの初心者よりもゆっくりかつ意識が求められる動作で、決して慣れることはない。

 小脳は意識を生み出さないが、これほどまでにヒトの日常生活には不可欠なのである。


Copilot生成;脳の意識発生部位
意識は、脳の中で特定の部位が担当しています。具体的には、大脳が意識を作り出す役割を果たしています。大脳は高度な知的活動をするための拠点であり、感覚情報や運動情報を処理するだけでなく、自己と外界を考慮する意識を司っています1。また、意識を維持し続けるためには、脳幹の中でも特に「網様体」と呼ばれる部分が重要です。網様体は、脳幹の中心部にあり、全身から集まった信号を大脳に伝えることで、大脳の活動を高い水準で保つ役割を果たしています1。網様体は意識を維持するだけでなく、睡眠を促す役割も担っています。睡眠は、高度な脳の働きを休ませるために必要なものであり、網様体は意識と睡眠の切り替えを調整しています1。2


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