「邦(くに)から遠い」(2) staatsfern(シュターツ・フェアン)(2)

 前回の投稿で、表題のstaatsfernという言葉がメディア関連で使われると書いた。であるので、それでは、まず、ドイツのマス・メディア、とりわけ、放送部門の状況から説明しよう。

 ある放送事業体を財政的経営基盤の観点から分類すると、それは、国営放送、公共放送、民間放送の三つに分けられるであろう。共産主義国家、独裁国家、或いは、権威主義的国家には、一般的に言って、国営放送という形態が「適している」。自由主義的資本主義体制においては、資本がものをいう訳で、民間放送が数多く存立しうる。一方、日本のNHKのように、法令によりその在り方が規定され、受信料を国民から徴収して成り立つ公共放送というものがある。ドイツにもこの公共放送があり、しかも、それがテレビ部門で二つもあると聞いて、驚く日本人も多いのではなかろうか。「ドイツ第一放送」と「ドイツ第二テレビ放送」である。

 話しがしやすいので、まずは、「ドイツ第二テレビ放送」から始める。

 「ドイツ第二テレビ放送」は、略して、ZDF(「ツェット・デー・エフ」)という。ロゴとしては、「第二」ということで、Z字に似ている数字2を使って、「2DF」と表示している。ZDFを正式に書くと、Zweites Deutsches Fernsehen(「ツヴァイテス・ドイチェス・フェアン・ゼーエン」)となる。

 deutschドイチュという形容詞から、これが「ドイツの」という意味であることは容易に推測が付くであろう。また、zweitは、「第二」であるが、これは、元々の数字「zwei」にt字を付けて、序数としたもので、この現象は、多くのドイツ語の数字に当てはまる。それで、数字9は、neunノインで、これを序数にすると、neuntノイントとなる。こうして、「ベートホーフェン」の、あの有名な交響曲第九番は、「Die Neunte」となる訳である。但し、例外がいくつかあって、例えば、「第一」では、einsアインスがerstエアストに、「第三」では、dreiドrライがdrittドrリトとなる。因みに、zweiの発音であるが、「ツヴァイ」と表記すると、本当は原語の発音からは限りなく離れるので、そのようには書きたくない。実は、「ツtsu」のuの音を限りなく消した「tsヴァイ」と表記したいところである。w音は、「ヴ」と発音する。

 それでは、Fernsehenという言葉である。これは、televisionのドイツ語訳と考えてよい。「tele遠くでvision見ること」である。fernという言葉は、前回の投稿で説明した通りである。sehenは、s字は有声音で、h字は母音を長音化する記号と考えて、「ゼーエン」と発音する動詞である。これにfernを接頭語として付けて、複合動詞としてfernsehen(「遠くで見る、つまり、テレビを見る」)とし、これを更に中性名詞化して、Das Fernsehenとすると、「Zweites Deutsches Fernsehen」の表記が出来上がるという次第である。

 「ドイツ第一放送」は、既に1950年からテスト放送が開始されているのに対して、ZDFは、その本格的放送開始が、1963年からであった。では、どうして、当時の西ドイツでは、二つ目の「NHK」が創設されたのであろうか。

 西ドイツの成立は、1949年のことで、その創立以来、保守政党キリスト教民主同盟CDU(ツェー・デー・ウー)のコンrラート・アーデナウアー(Konrad Adenauer)が、西ドイツ連邦首相を合計連続四期の1963年まで務めた。その四期目が始まる1959年にK.アーデナウアーは、連邦の直接の管轄下にある全国的テレビ放送局の創設を思い立ち、それを実行に移そうとしたのである。と言うのは、1950年にテスト放送を開始した「ドイツ第一放送」は、各州の放送局が集まって全国共通の番組編成を行なおうとする「寄り合い所帯」であったからである。しかし、ナチスの「第三帝国Das Dritte Reich:ダス ドリテ rライヒ」時代に、各州にあった放送局組織が一元ナチス化され、ナチスのプロパガンダに利用された苦い経験から、K.アーデナウアーの意図は連邦憲法裁判所によって違憲と判断され、引き留められたのであった。

 とは言え、「第一放送」との関係で、全国レベルでのプログラム編成をより強める必要性は認められたことから、今度は各州が音頭を取る形で、1961年に「第二放送」が創設されることが決められ、その翌年には、ラジオ放送でも新体制を取って、国内放送向けにDeutschlandfunkドイチュラント・フンク(「Funkフンク」は、元々は「無線通信」の意)が、それから、国外放送向けにDeutsche Welleドイチェ・ヴェレ(略して、「DW」で、「ドイツの波」の意)が出来上がった。尚、Deutschlandfunkは、それ自体は残されるが、後に、「ドイツ文化放送」などと共に「Deutschlandradio」としてまとめれる。「Deutschlandradio」は、略して、DLR(デー・エル・エア)という。DLRでは、毎日零時直前に、まずは、ドイツ国歌が流れ、その後に、「ヨーロッパ賛歌」が聞かれる。このことは、ドイツが、ドイツ国だけで完結している訳ではなく、EU(エー・ウー)、ヨーロッパ連合につながっていることへの明確な意志表示であることもここで付け加えておこう。

 以上、とりあえず、ZDFについて、その歴史的経緯も含めて大まかな概要を述べたので、その内部組織については、次回の投稿で「ドイツ第一放送」と併せて説明することにして、以下、「受信料」のことを記して本稿を終えようと思う。

 国外向け放送であるDW、Deutsche Welleは、税金で完全に賄われているので、その点では、国営放送と言える存在であるが、それ以外のZDF、DLR、そして、「ドイツ第一放送」は、「受信料」によって賄われている公共放送である。「受信料」と、ここでかぎかっこで括ったのは、2013年までは、そのように訳せる言葉使いであったものが、その後、「Beitragバイ・トrラーク」と呼び名が変更されたからである。「分担金」とでもここでは訳せばよいと思われる、この言葉の背景には、公共放送がある社会的委託を受けて存在しており、その存続と活動のためには、市民が「分担金」を払って、その存続と活動に「Beitrag:貢献」するという考え方が存在するのである。その、「ある社会的委託」とは、公共放送がニュースや情報を提供することにより、市民が公衆の一員として自由に自らの意見を持ち得ることを可能にするということである。これは、機能する民主主義の基本である。こうして、自分が住民登録をし、一戸の家政を営むということを以って、全ての18歳以上の成人に「分担金」を払うことを自動的に義務化することになる。しっかりした財政上の基盤があってこそ「放送の自由」もあり得る訳で、このことは、「分担金」の値上げを巡っての憲法裁判所の判断でも認定されている。

 一人暮らしであるか、例えば四人暮らしであるかに関わらず「一戸の家政」には、2021年以来、月18,36ユーロの「分担金」が掛かる。少なくとも三カ月毎に銀行振り込みをすることになっているので、その都度55,08ユーロを払うか、一年間分の220,32ユーロ(1ユーロを便宜上150円で計算すると、約3万3千円)をまとめて支払ってもよい。まとめて払うからと言って、それで安くなる訳ではないが、低所得者には、申請すれば、「分担金」額の割引きや免除の可能性がある。

 この「分担金」の額については、その額が適正であるか、いつ値上げをするべきなのかを検討する委員会が存在し、ここの提言により、各州の議会に議題として掛けられることになっている。という訳で、2024年に、次の年から58セント値上げすべきであると提言がなされているが、16の州すべてがこの値上げに賛成しないとこの提案は通らないので、ロシアによるウクライナ侵攻により一時期には10%を越えるインフレ率を記録したドイツでは、物価高騰により放送局の活動にも支障が出ていることとも相まって、ドイツの公共放送は、今、難しい経済的局面を迎えている。

 2022年度の「分担金」の徴収収益額は、担当機関の年次報告によると、合計で、86億ユーロであった。その内、約26%に当たる約22億ユーロをZDFが受け取り、DLRが約3%に当たる約2,5億ユーロの配当を、また、「ドイツ第一放送」が約71%に当たる61億ユーロの配当を受けている。この数字を見ても、ZDFに比較して、如何に「ドイツ第一放送」が大所帯であるかもこの数字で理解できるであろう。それでは、次回の投稿では、この「ドイツ第一放送」を中心にして、話しを続けようと思う。

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