Key plate【四次創作】
※注意。四次創作です。実在の人物や団体などとは関係ありません。
突然の雷雨の中を、私は全速力で駆け抜けていた。猛烈な勢いで全身に雨粒がぶつかり、まだ新しかったスーツと革靴は見る影もなかった。しかしそんなことは本当に、どうでもよかった。母国から遠く離れた日本という国の、右も左もわからない都市で、アスファルトをがむしゃらにバシャバシャと蹴りながら、私は、目を滲ませ、祈っていた。神様でなくてもいい、誰か。私を、いや、娘を、助けてください。私はどれだけボロボロになろうと構いません。あと少しなんです。私は今日、数々の試練を乗り越えてきました。ICカード専用改札口で足止めを食らっても、なんとかクリアしました。私は今日、ツイていません。出かけたときはあんなに気持ちよく晴れていたのに、みるみるうちに、このような天気になりました。でも、いいんです。娘が助かりさえすれば。この右手にある普通のビジネス鞄に入れた、革製のファイルの中身を、あの野郎どもに渡せさえすれば。だから、どうか。
指定された受け渡し場所、一般的な用途で使われている気配のない倉庫の中に、私は黒い風の如く、突入した。間に合った。
「よお、パパさん。惜しかったな、あと2分だった。」
もはや酸欠状態だったため、意外と余裕はあったのか、などと考える余裕はなく、私は地面に前のめりに、ドシャッ、と倒れ込んだ。するとすぐさま男どもが私を取り囲む。一人がしゃがみ込み、手から鞄を乱暴に奪い取った。私は何の感情も抱かず、それを伏せたまま眺めていた。疲弊しきっていた。久しぶりにこんなに走った。いろんなものに濡れて、グズグズだった。体が熱いのか寒いのかわからなかった。もう私は私の体の所有者ではなくなったようだ。
この場で一番偉そうな男が、鞄を調べる。……何か様子がおかしい。
「おい、てめえ。ブツはどうした」
血の気は引かない。体は興奮したまま、まだ戻らない。けれども、息を整えつつ、その男の言葉を頭のなかで何遍も咀嚼して、事態を把握することに努めた。
「ないのか、本当に。もっと調べてくれ」
「ねえよ。ブツをどこにやった。正直に言え」
「確かに鞄に入れて持ってきた! ないなんてことはない!」
「ないんだよ!!」
外で雷が鳴る。乾いた雷だな、と思った。無情な雷だ。男はその雷にも負けない大きな声で続けた。
「もう一度きくぞ!! ブツをどこにやった!! 言え!!」
「知らない! 入れてきたんだ、信じてくれ……」
「ねぇモンはねぇんだよ!! 信じたからどうしたってんだ!! ここに持ってこいよ!! なきゃ、同じだろ!!」
私はたまらず、泣き出してしまった。男が怖くて泣いたのではない。悔しくて、不甲斐なくて、怒りで、絶望で、泣いたのだ。すまない、娘よ。こんな父さんで、ごめんな。ああ、もう。父さんは、裏切り者だ。永遠に。父さんほど、醜くて、滑稽な人間はいないだろう。まさか、ここに来る途中で落としたとでもいうのか。そんな。ゆるしてくれ。ゆるすって、誰がだ。ゆるされるって、誰にだ。神よ、娘よ、こんなことってあるか。私が何をしたというのだ。私だけが悪いのか。私は精一杯頑張った。娘を返してくれないのはこいつらじゃないか。ああ、ああ、もう、どうでもいいか。私は不名誉な失格者。この世から、消えるぞ。あとは、勝手にしてくれ。
両脇にいたろくでなしどもが私を引っ張り上げた。膝をつき、項垂れた姿勢で小刻みに震えている私に向けて、二人とも、銃を構えている。
「待て」
誰だ、邪魔をするのは。見上げると、さっきまではいなかった気がする顔だった。そこで周りを観察してみると、ごろつきどもが静粛にしている。ということは、上位のメンバーか。いつの間に現れたのだろう。
「君は、ファイルの中身を、確認はしなかったかね」
「……しました」
「中身はなんだった?」
「……文字でいっぱいの紙束だった。あれはなんだったんだ?」
「あれは鍵だった。それで、君はそれらを一言一句覚えてはいないかね」
「……いいえ」
「連れてこい」
そう指示された部下たちは私を倉庫の奥へと引き摺っていった。引き摺られながら、彼が何かを説明するのを私はぼんやりと聞いていた。
「昔」、「裏社会」、「ボス」、「関係者」、「文書群」、「謎」、「仕込み」、「扉」、「鍵」、「宝」、「暗号」、奥行きのある倉庫だったが、私は抜け殻だったし、ならず者たちはパワフルだったしで、ゴールまでの所要時間は長いようで短かったようだった。
真円。丸い。金属の扉らしきものが、そこにはあった。大型トレーラーでも通れそうなサイズだった。しかし、継ぎ目・隙間がどこにも見当たらなかったため、それを扉と断言することは躊躇われた。第一印象は、なんとなく神妙な雰囲気のある塊だった。印象が変わったのは、
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
唐突に、左腕に激痛が走ったときだった。痛みで私の意識がすっかり覚醒したなら少しはよかったが、現実感のない苦しみはもはや追い打ちも同然で、私の絶叫を唯一予見していたかのような上位メンバーさんが、バケツの冷たい水をかぶせてくれなかったら、何もかも手放していたところだった。
彼は下僕に命じ、びしょびしょで捲りづらいスーツの袖を捲らせた。
そこには意味ありげな、傷が付けられていた。クズ野郎どもが興味深そうに覗き込む。
この扉はおかしい。離れられるなら離れたい。けど疲れたなあ。
「解錠しろ」
私は無理やり立たせられ。そして。傷を扉に押し付けさせられると。
扉をくぐった。
目の前は真っ暗だった。
振り返っても真っ暗だった。
実を言うと、扉ではなく、門をくぐったのではないかと思った。
暗闇が広がるばかりの空間に、透明な足場が続いていると感じる。足を踏み外せば、直ちに真っ逆さまだ、とも。天井もかなり高い。広い。
まっすぐな道でさみしい。
しばらく歩いていたら、正面から誰かがやってきた。
その人物が、自分自身であると思う。
私は出会った人物の左腕に、自分の左腕と同じ傷を付けた。
雑音で我に返ると、私はあちら側から帰ってきていて、人混みの中に立っていた。ふとした瞬間にあの道の光景が脳裏をかすめはするが、普段は何気ない日常を過ごせている。今にして思えば、あれは自分自身ではなく、リキッドレインボウだったのだろう。リキッドレインボウが助けてくれたのだ。こちら側でももうすぐリキッドレインボウがやってきて、私たちみんなを助けてくれる。
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