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記号の意味【二次創作】

※注意。二次創作です。実在の人物や団体などとは関係ありません。

秋の美しい青空を眺めていた。涼しくなってきたけれど、今年はまだ半袖でも過ごせるくらい、暖かい。一見すると同じ白い雲でも、夏と秋では、表情が異なっていることを、忙しい多くの現代人は知っているだろうか。

公園のベンチに座ってから約3時間が経過していた。横を向くと、”教授”はまだ空を見上げていた。私よりも先に来ていたのに、首が痛くはならないのだろうか。

”教授”といっても、彼は大学に勤めているわけではないと思う。そして私もまた、一般的な大学に通っているわけではない。今日のような晴れた日に、私はいつも”教授”と出会う。昼間から暇を持て余している私に、彼は声をかけてくれた。彼はいわゆる外国人の見た目をしていて、物知りだった。

”教授”は私の視線を感じ取ったのか、姿勢を少しも変えないまま、唐突に口を開いた。

「”C”くん、その腕の日焼けは何だい」

”C”とは私のことだ。日焼け、と言われて私は一瞬固まり、すぐに意味を理解して、言葉を返した。

「ああ、これのことですね」

日焼け跡タトゥーでこの記号を入れた

「これはですね、『オモコロ杯』というのがありまして」

「それは、昔の神様を表す印だ」

「え?」

「とある宗教のシンボルだ。”C”くん、これをどこで?」

驚きの情報だった。これが、宗教的な意味を持つ?

俄かにワクワクしてきた。もとは無意味な記号ではないのか。まさか、そんな。私はつっかえつっかえ話し始めた。

これは”Y”さんが”M”さんを取材して手に入れた記号だ。”Y”さんは写真屋さんにフィルムの現像を頼んだ。暗室作業全般を任されていたアルバイトの学生である”M”さんは写真にイタズラをした。なぜイタズラをしたのかというと、むしゃくしゃして、全部がどうでも良くなったからだ。”M”さんは大学3年生である。しかし大学には全然行けておらず、学業や就活で、しんどい思いをしている。

イタズラというのが、この記号を写真に焼き付けることである。彼女の左腕には、幼い頃、父親に付けられた傷の跡がある。ずっと目に入る位置にあるため、昔は嫌だったが、高校生くらいの時からアイデンティティやトレードマークみたいなものとしてこの記号を使うようになったそうだ。何かをイタズラとして写真に焼き付けてやろうと思った時、他には何も思いつかなかったという。だからこの記号の意味自体は”Y”さんどころか”M”さんにも分からない。どこにいるかも知らない”M”さんの父親に尋ねることはできない。

私はこの記号が、気に入った。彼女ひとりのための記号にしておくには、もったいない。この記号には、もっと意味が与えられるといい。

私はこの記号を自分にも取り入れたいと思った。他の受賞作の記事に、日焼け跡でタトゥーに挑戦した記事があった。そこでまず思いつきで行動した。

「”C”くんは影響されやすいのかな」

”教授”の呟きに、言葉にならない笑いがこぼれた。たしかに、どちらかといえば、動物的直感でしか生きられないほうかもしれない。そのことが個性としてほんの少しだけ誇らしくもあり恥ずかしくもある。私は真っ当に努力しているふうではない。何事にも。たとえ趣味でも。私の作品は二次創作的な性格が強いのだろう。芸術家タイプといわれようと、私が商業クリエイターになることはないだろうと度々思う。最近、2か月ぐらいの間、アルバイトを探しているが、8連続ほど、不採用が続いている。

「風と木々だけが発音できる古い名前……」

「え?」

「カセドラルが……」

「何か言いましたか、”教授”?」

「いや、不思議なこともあるのだと」

「……」

「……宇宙は大きなアメーバのなかにある。ダークマターなどはそのアメーバの一部だ。……」

”教授”は講義を始めた。興味深い内容だったはずだが、ほとんど正確に再現できるほどには覚えていない。または勇気や能力が足りない。運が悪い。気分ではない。濃い霧の中を歩いていると、景色が次々と入れ替わる。情報を集めても、論理を組み立てることに重きを置いていない。私が何よりも大切にするのは納得(納得感)であるようだ。自分の世界の中で、自由を満喫する。説明は後付け。記号と私の今後の関係などは、あまり大切ではない。

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