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生命を頂くということ

寺子屋に来て一番身に染みて感じたことは
「食べることは生きること」である。

例えば、魚。
東京にいた時はスーパーでパック詰めされて売られている。

丸のまま生きている魚というのはお父さんと行く魚釣りくらいでしか見たことがなかった(私は海藻に引っかけるのが得意でお父さんによく呆れられてた^_^)。

でも島に来たら、すぐそこで獲れた魚たち。
自分たちで三枚おろしにして、食べることができる状態にする。
これが私にとっては当たり前になった。

環境が変われば、その土地に適応できることは人間が持つ優れた能力だと身に染みて感じた。

きらっきらの炊きたてかまどご飯🍚

山に行けば山菜があって、海からは新鮮なお魚たち。

生命を身近に感じて、生命を頂くということを実感した。

そして、島に来て旬のものが一番美味しいということに気付かされた。

東京のスーパーでは、四季を問わず、いつでもどこでも形の揃った旬の野菜や旬の魚が手に入る。

けれども、島ではそう簡単にはいかない。

野菜はその野菜それぞれの旬の時期にしか収穫できないし、お魚たちもそれぞれの旬がある。

でも、旬のものが一番美味しい。
それを味わえたのもこの環境に来たからだと思う。


「身土不二」という言葉がある。

「『体と土は一つである』とし、人間が足で歩ける身近なところで育ったものを食べ、生活するのが良いとする考え方」

この言葉は心に響く。

以前、食生活アドバイザーの資格を取った時に学んだことはあったが、島に来てこの言葉の意味がしっかりと体感できた。

「身土不二」を実践できる生活を送れたら幸せだなと思いながら、夜な夜なこのnoteに綴っている。

生命を頂いているということに感謝しながらこれからも食事を楽しんでいきたい。

自分でお品書きを書いた離島キッチン最終日
島の人たちと山の中をバケツリレーする原木担ぎ

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