月曜日の朝ごはん

我が家は普通だ。

共働き夫婦に、高校生と大学生の子ども2人と、犬。

ごくごく普通の一家、佐藤家。

しかし我が家にはひとつだけ、変なルールがある。

それは月曜日の朝ごはんだ。

俺達夫婦は朝に弱い。びっくりするくらい弱い。結婚式当日も2人揃って寝坊をした。それ以降、寝坊率の高い月曜日だけ、朝ごはんを豪華にしようと約束した。

もう結婚して20年。まさかこんなにも続くとは思っていなかった。


「じゃじゃじゃじゃーーーーん!今日は手作りピザとガトーショコラよー!!」

なんとまぁ重たい朝ごはん。普通の家庭なら、そう言うだろう。

だがしかし、自慢じゃないが俺の嫁の手料理は、かなりレベルが高い。ピザやパンに至っては、市販のイーストは高いからと、生イーストを育てるところからやるこだわり様だ。

月曜日の朝に、焼きたてのピザと食後に旨いコーヒーとガトーショコラ。

おかげで我が家は、月曜日の朝、全員、寝坊するどころかかなり早く起きる。

今週の朝ごはん当番は嫁。生地は昨日から仕込んでいたようだ。娘は朝風呂にゆっくり入っていたらしい。すでに化粧も着替えも終えていた。いつの間にこんなに綺麗になったのだろう。本当に俺の遺伝子を受け継いでいるのだろうか。。息子は犬の散歩ついでにランニングを終えて、今シャワーから出たところだ。俺より背が高くなった息子が、不意に、とても逞しく見える。俺はみんなよりは遅かったが、5時半には着替えも済ませ、リビングで熱いお茶を飲みながら、キッチンと風呂の両方から聞こえてくる音痴な鼻歌の合唱を聴いていた。

なんでもない日常の幸せを、ただただ、かみしめていた。




翌週。今日は息子が当番。

我が家のこのルールには、色んな決まりがある。

まず第一に、基本的に全て手作りにする、ということだ。

そして料理だけでなく、コーヒー、お茶、牛乳なんかも、月曜日の朝ごはんの当番は、厳選しなければならない。そして働いている者(バイトを含む)は、その費用を自腹で払う必要がある。酷いルールと思うかもしれないが、全員に平等に当番は回ってくるから誰も文句を言わない。むしろ毎週月曜日の朝を楽しみにしている。

息子は高校生だが、この我が家のルールのおかげで、驚くほど料理ができる。他のみんなは料理のリクエストを聞いて回るが、息子だけは毎回何も聞かず、事前に何かを教えてくれさえしない。毎回ワクワクする。

「はいよ、鯛のお造りがメイン。岡山県産の黄ニラを使ったお吸い物と、雑穀米に、煎茶。千枚漬けもつけてある。食後は抹茶チョコレートでコーティングしたサクサクミルフィーユパイと、生豆オーガニックコーヒー。」

嫁と娘の悔しそうな顔が添えられたテーブルは、もう一般家庭のテーブルとは思えない。息子の満足気な微笑みが、いつにも増してキラキラとしていた。

これを一般家庭のキッチンで、しかも高校生が、作ったというのだからまぁすごいことだと思う。以前もアクアパッツァだったが、いったいいつのまにこんなに魚を捌けるようになったのだろうか。子供の成長とは恐ろしいものだ。


優雅な朝食を終え、また、幸せな一週間が始まった。



翌週。今日は娘の当番。

娘は残念ながら料理のセンスがないらしい。だから得意分野に集中する。決まって、パンだ。それに添えるコーヒーの厳選や、パンの内容で勝負をしてくる。なんとも可愛らしい。

「今週は!デニッシュ!フルーツ系と、サラダ系とあります!好きなものを選んでとってくださーい!!あとコーヒーは今回ラテアートに挑戦します!ハートしかできないからハートオンリー!てへへっ」

ラテアートか。ついにそんなものにもこだわるようになってきたか。

どんどんレベルが上がる我が家の月曜日の朝ごはん。一応、予算にバラつきが出ないよう、前の月末に予算だけはみんなでざっくり話し合っている。我が家もそんなに裕福ではない。月曜日の朝ごはんのために、それ以外が日の丸弁当なんてのはごめんだ。そのせいか、技術力を競い合うようになってきている。こだわり方もだ。

この幸せなバトルは永遠に続くのだろう。できることなら孫やひ孫にも、受け継いでもらいたいものだ。


そしてまた、幸せな一週間が始まった。



さぁ。俺の当番。

夫として、父として、立派かどうかは分からない。立派に出来ている自信は無い。それなりに頑張ってはいるが、果たして正解か不正解か、分からないまま、この家族を守ってきたつもりだ。

だがこの当番の時だけは、自信がある。

普段、夫や父が働く姿を見ることはほとんど無いのが普通だろう。職場に家族が来るという場面は、滅多にない。俺も例外ではない。料理長の姿は、客から見えることはほとんど無いに等しい。

料理長。某有名ホテルの料理長を務める俺は、普段食べる人の姿をほとんど見ることができない。厨房は客からは完全に見えない、怒号の飛び交う凄まじい現場だ。作ることが好きな人というのは、食べてくれる人の笑顔があるからこそ、作ることが好きになるのだ。それ故に、料理人になっても辞めてしまう人は跡を絶たない。食べてくれる人の顔を見ることができないからだ。

俺も最初はただただ苦しかった。食べてくれる人の顔を見れない、怒号の閉所は、あまりにも苦しかった。しかし、辞めずに続けられたのは、この我が家のルールのおかげだ。

結婚当初。まだ2人だけだった時。俺も現場ではまだ下っぱで、ひたすらに野菜の下処理や洗い物ばかりで、料理という名の料理をしていなかった。その頃を支えてくれたのは紛れもなく嫁の笑顔だった。誰かのために作ることができる喜びを、見失わずに済んだのは、嫁との朝ごはんだった。

その後子供たちが生まれ、忙しくて朝ごはんどころではなかった。今でこそ豪華だが、当時はただ、1週間に一度だけ、みんな揃って朝ごはんを食べるということに幸せを感じていた。

子供の成長と共に、少しずつ料理のレベルが上がっていった。なぜなら、子どもがあまりにも喜んだからだ。そこでは俺の料理にばかり子どもが喜んだものだから、嫁から嫉妬され、徐々に競い合うようになった。俺の料理人としてのプロ根性は、実は職場ではなく、家庭で培われたものだった。

小学校後半頃からは、子どもたちにも朝ごはんを作ってもらった。とても可愛いおにぎりや、繋がった玉ねぎに長い長いわかめの入った味噌汁。一生、忘れることはないだろう。

それが今や、ピザ、鯛のお造り、デニッシュにラテアート。多分我が家が食堂を開けば、かなりの人気店になるだろう。そこでも俺は料理長をやらせてもらう。いや、絶対にやってやる。


「はいよ、全員揃ったか?じゃあ今日はコース料理といきます。イタリアンフルコース。テリーヌに、冷静スープに、魚のメインは先月誰かが作ったアクアパッツァに対抗した。肉のメインは鴨。フォカッチャはいつでも焼きたてをおかわりできます。ジュースをフレッシュにしたから、その都度注文してくれ。ドルチェはこれまた対抗してガトーショコラ。どうぞお楽しみくださいませ。」


「あーもー完敗。永遠に勝てない!ってかずるくなーい?本当に予算内なのー?これー?」

文句を言いながら、娘は誰よりも早く食べ始めたから可愛いものだ。

「親父、このテリーヌさ、俺もやってみたいから今度教えてくれよ。あとアクアパッツァ、どうやったらスープがこんなに濁らずに綺麗になるんだ?」

質問に驚く。嬉しいものだ。こんな会話を家族と楽しめるとは思っていなかった。

「フォカッチャおかわりー!!」

一番おかわりするのは、決まって嫁だ。

悔しそうにしながらも、食べた途端にすっかり笑顔になる。

そう、この笑顔を、俺はずっと見ていたいんだ。



週に一度、全員が必ず揃う。

テスト週間や仕事が忙しい繁忙期などは、いつも通りの朝ごはんになるが、それでも必ず揃う。どんなに短い時間でも。


寝坊対策で始めたこのルール。

このルールに何度救われたのだろう。


テレビを見ていると、最近は家族が揃わないらしい。朝ごはんを食べないとか、時間がバラバラとか、なんだかんだと忙しさのせいにして、仕方ないと言い流してしまうらしい。

俺は、そうはさせない。させたくない。

無理強いはしていないはずだ。娘の楽しそうに写真を撮る姿や、息子の満足気な微笑み。そして嫁の、昔から変わらないあの笑顔。それらは、無理強いしていないことの証拠だ。


こんなにも続くと思っていなかった。

こんなにも救われると思っていなかった。

家族の風景。

そう、俺はこの風景を守るために、生きている。

どんなに過酷な繁忙期でも、家族が揃うこの時間は、守り抜きたい。

辛い時こそ、日常の幸せを噛みしめる時間が、大切だ。



いつか子どもたちは家を出るだろう。

そしたらまた、2人きりになる。

そうすれば、それはもう、壮絶な料理バトルになる。まぁ、俺が勝つのは当然だが、油断はできない。

どんどんシワも白髪も増える、この笑顔を、俺は見守っていく。



夫として、父として。

そんな言葉に似合うことをやってこれた自信は無いが、料理長として、この時間を守ってこれたことを誇りに思っている。




月曜日の朝ごはん。

これからも、俺は一家の料理長として、このルールを守る義務があるだろう。


今日もまた、幸せな一週間の始まりだ。






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