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震災と私の思考傾向。

私が日々生活していると出てくる傾向。
「今のうち○○しておきたい。」

これは良く働く場面もあるし、悪く働く場面ももちろんある。
そして2023年はこの傾向を、少し緩やかに、そして良い方向に使っていきたいと思っている。

そんな傾向がなぜ強く出るようになったのか、と思いを巡らせた時、3.11が思い浮かんだ。

当時のこと


当時住んでいた実家のある場所は、いわゆる被災地とくくられるエリアにあった。
ただ、私はあの揺れを知らない。
その2日前から友人らと卒業旅行に行っていて、海外にいたからだ。
現地の食堂にあるテレビで、あの真っ黒な津波、白く膨らんだ巨大な煙、真っ赤に燃える火の海を見た。
何もできない無力感。
家族・友人と連絡が取れない不安。
そもそも家に帰れるのかという焦り。

友人とただ、ただ、一緒に祈った。記憶はおぼろげだ。

詳細は省くが色々な人の助けもあり、無事家には帰れた。
家族も、親戚も、友人も、家もなんとか住める程度には無事だった。
断水1週間、停電2日、ガス停止3週間を経験した。
食べ物もどうにかなった。
無事4月1日からは社会人になれた。

でも私は当日のあの揺れも人々が感じた恐怖も知らないし、近しい人を失った哀しみを知らない。

私は本当の意味で被災していないと思っている。なんて幸せなのだろう。
毎年3.11が近づくと、いまだに自分の心をどこに置いていいかわからなくなる。
ただ、私の行動や思考に影響を及ぼしたようだ。
「今のうち○○してしまおう。」というのがもはや標語のように頭に張り付いている。

日々の生活で出る傾向・行動


小さなことでいえば、
このお皿、今のうち洗ってしまおう。
このライン、今のうち返事してしまおう。
このメルカリで売れたもの、今のうち出してしまおう。
などなど。
特に私の反応や行動を待っている人がいる場合は、レスポンスがあることによって安心することもあるし、信頼貯蓄が貯まっていると想像する。

独身の時


独身の頃を振り返ると、
飲み会など集まりの誘いがあれば先約がない限り参加していた。
そのメンバーが揃うことはその後二度とないと思っているからだ。
参加できなかったら、そういう運命だった。
と、思うぐらい。
いちいち重かった。無駄に真面目だった。

育休明け


育休明けは、家事・育児・仕事。
全部に対して優先度がつけられず全部に100%だった。
大きいことから小さいことまで。優先度とか考えている暇があったら目の前のボールを打ち返さなきゃいけないと思っていた。
「明日子どもの体調不良で予定が崩れるかもしれないから、今のうちこれをしてしまおう。」とちょっとずつ無理に無理を重ねた。

そして手の抜き方、体の休ませ方を忘れた私は、呆気なく復帰後半年(産後1年後)でストレス性蕁麻疹という形で体調を崩した。
子どもの風邪より大人のこっちの方が治療に時間がかかるという、なんという皮肉な状況。

今は時間と心にゆとりを持てる働き方ができていて、皮膚科もここ半年ぐらいは行かずに済んでいる。

これから


2023年、震災から12年経って今思うのは、
私はこの傾向を良い方向に使っていきたい。

仕事に関しては前もって終わらせる、ということは基本に。
でもその程度を前は100%だとしたら、50%ぐらいに。

家事は、ルーティンを決め、仕組み化する。
予期せぬことによってそのタイミングでできなかったことはしょうがない、自分の命と家族の命があればOKと思おう。

子どもと夫には毎朝、毎晩、私の前で笑ってくれることに感謝しよう。
感謝を、「ありがとう。」と、言葉にしよう。
子どもが風邪を引いたら、早く治るように温かい料理でもてなそう。
「これ いらない。」などと言われて、床に捨てられてがっかりして、腹が立つこともあるけれど。
そんな自分の心の動きも、「揺れ動いてるなー自分。」と冷静に見よう。

春の空気が漂ってきた。
私も進級するつもりで、少しずつ変わっていこうと思う。




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