デジタルネイティブ世代とアナログ世代とを隔てる分厚い壁
何事にも「○○世代」とか「○○の時代の人たち」という括りで物事を考えたり、それを下に一定の評価を下したりするのはイヤなのだが、まあ時代的に「あの時代のアレを経験したorしていない」はどうしたって差が出てくる。
いわゆる「バブル世代」ってのもそうだ。
さて、ふと先日来、気になっていたことをつらつらととりとめも無く書いていく。
ソースは私の体験談のみなので、深くはない。
つい先日。
20代の若者と、データへの信頼性についての話になった。
まあ、私は90年代から働いているので、同じ世代の人よりもアナログをかなり体験している。
だから95年のWindows旋風は、それはそれはセンセーショナルだし、なによりも脅威であった。
これまでの自分たちの計算などの苦労していた仕事が軽減されると思ったからだ。
これは職種にもよるだろうが、「じゃあ今まで自分が修めてきたスキルが使えなくなる!」という恐怖も当然あった。
ちなみに私は94年就職。
まだバブルの残り香があるところにはあったが、かなり下降線だったのは間違いない。
で、初めての就職がまあまあブラッキィな職場で、まあ数年がかりで仕事になんとかついていったところで、Windowsの登場だ。
だがあの時代、パソコンのソフトも重かったし出来る事も限られて、今みたいに、なんでもかんでも出来るということではなかった。
だから毎回毎回試行錯誤の繰り返し。イタチごっこだった。
仕様は毎週のごとくにころころ変わるし、提出したら「これは前の仕様だ」と言われたりという「なんだよ、全然楽にならねえじゃん!」と苦渋を嘗めさせられ続けたのだ。
「パソコンでなにかすると、こんなにも不安定なのかっ!?」
とマジで恐怖を感じた。
それは自分たちの仕事だけじゃない。
企業の内部システムですらそこそこミスがあった。
おかげでなんだかよくわからないゴタゴタに巻き込まれることも少なからずあった。
おそらく、ANAの登場システムの不具合や、みずほ銀行のATMの不具合なんかってそういう時代から積み重ねが隠しきれなくなったんじゃないかって、そんな風に勝手に思っている。
なにせ先方からだされるデータや数値はよくよく間違っているのだ。
特に初期のエクセル資料はくせ者だった。
だから、というわけではないが、PCで算出されたデータを鵜呑みに出来ない面倒くさい仕事のやり方をするおじさんが1人出来上がってしまったのだ。
一方、そういうのを経験していない人はどうかというと、だ。
PCで出て来たデータはほぼカンペキなのを信じて疑わない。
チェックするのが「必要ない」と言い切るのだ。
「えっ、こわいこわいこわいこわい!」
私なんかはデータと物のチェックもしないで流してしまうことに、す~んごく違和感を感じ……いや、違和感どころじゃねえ、恐怖すら感じるんだが!?
ここはさすがに世代格差を感じずにはいられない。
あとこうも言われた「でも、データが間違っていたら向こうの責任じゃないんですか?」
その通りである!
しかしそんな当たり前の理屈が通らないのが世の中。
徹さないのが企業!
「データが間違っていたんだからそちらの責任」って言うと。
「なんでチェックしないんですか? チェックもせずに受け取ったそちらの責任です」
と屁理屈にもならない理屈を押しつけてくるんだよ!
バブリーな時には企業、会社のヒエラルキーが今以上に強かったように思う。
だから、というわけではないんだろうけど、よく責任のなすりつけあいとか、向こうの方が強いから、結局泣き寝入りなんてシーンを見てきたわけだ。
おかげで、なんもかんも信じられない人間ができ、なんでもかんでもセルフで二重チェックする人になってしまった。
無論、それをよしとしてくれるところもあるが、これまで経験した多くのところが「そんなのんびりチェックしていたら終わらないからもっと速くっ!」と急かされてきた。
むろん、そうなるとミスが減ることにはならないわけで。
「なんでミスしたの!?」
「急かすからでしょうが!?」
と意味の無い問答が繰り広げられる結果となる。
そんなのと、なんでもかんでも機会任せの現在と、どちらが便利で、どちらがいいのか、その確たる答えを、人類が得る為にはもうしばらく時間を要しないといけないのではないだろうか?
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
90年代のまさに日進月歩の時代を生きて、少しでも共感していただけたらうれしいです。
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