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残されたもの、ココロに永遠に

実家に帰って自室の掃除をしていた

ホコリが被ったコーナー

ふと手に取るアルバム

そこには亡き父との写真、、、、



正月で実家へ帰省していた時のこと

ふと時間があったため、普段は手を出さない倉庫の掃除(もとい片付け)をやろうと開かずの間へ

出てくる、出てくる

思い出の山

くしゃくしゃになった自分が小学生だった時のテスト用紙


たまたま100点の答案があったため無理矢理パシャリ📸

ボロボロになるまで遊び倒したレゴブロック

そして、数々の写真のアルバム達

両親の結婚式の写真・自分がまだ幼かった頃の、家族旅行の写真・どこかで遊びに行った時であろう時のスナップ写真

「こんな写真あったのか!」

そんな写真も多くあった。

私の父は兼業農家で、一年中仕事か農家業に勤しんでいた。

平日は朝早くから家を出て、自分が部活動から帰ってくるくらいの時間に帰ってきて、家庭を支えてくれていた毎日

休日は農家業をメインに田んぼや畑へ赴き、米などの農作物を育てることに勤しんでいた

そんな、なかなか遊んでくれる時間の無かった(と自分では勝手に思っている)父が、なんと自分と遊んでくれている写真を見つけた



なぜか、涙が止まらなかった。

何なら、この文章を今書いているが、今も泣いている。

好きだったタバコを吹かしながらも、遊んでくれている父の姿に

物心をついているはずもない自分が気づく事もない。


ただ純粋に嬉しかった、というか嬉しい

この姿を、おそらく母が撮ってくれていたのだと思うが、感謝でしかない。

自分が、今、この感情になっているのも、父が遊んでくれている気持ち、母が思い出に残そうとしてくれていた気持ち

自分が今、目に熱いものを流しているのも

単にどう足掻いても金輪際父に会うことは出来ない事の悲しみではない

当時、その瞬間を切り取ろうとしてくれていた人がいた事への感謝の気持ちに他ならない。


そんな自分も、当時の父親と同じ立場となった

将来、我が子が思ってくれるかどうかは別問題として

何気ない瞬間、たわいもない時間、空間、空気

切り取っていければと思う

写真という形で



私自身も、父親に一歩近づく事ができるだろうか。

見てろよ、天国の親父


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