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『アンメット』とは何か?

フジテレビ系ドラマ『アンメット~ある脳外科医の日記』が最終回を迎えました。重度の記憶障害をかかえる脳外科医とその周りの人たちのドラマで、医療系ドラマにありがちな派手さを追求せず、抑えた演出、脚本、演技がかえって心に迫り、非常に好感が持てました。

「アンメット」の意味

主人公の脳外科医川内ミヤビ(杉咲花)は、不慮の事故で脳に重大な損傷を受け、事故の半年前以降の記憶を全て失った上、新しい記憶も寝て覚めたらすべて忘れてしまうという記憶障害を負います。彼女には事故の前に婚約していた婚約者三瓶友治(若葉竜也)がいて、彼もまた脳外科医です。その三瓶がミヤビを医師として復帰させ、そして脳の損傷を治療しようと奮闘していきます。そこに、主治医の大迫教授(井浦新)や、看護師長(吉瀬美智子)、救急部長(千葉雄大)らがかかわっていきます。

このドラマを見始めて(あるいは見る前から)まず心に浮かぶのは、「アンメット」って何?ということでしょう。一般的な英語の意味で言えば、ある目的達成や課題解決といった必要性が満たされない、つまり必要な手段が見つからない、または用意された手段が十分に適合しない状況を指すのでしょう。

ただ、このドラマでそれがどういうことを意味するのか、その点につき何の説明もなく、話が進んでいきます。したがって私たち視聴者は自分なりに考えることを求められます。

『アンメット』における「アンメット」

『アンメット』で、まず明らかに存在するアンメットな状況は、ミヤビの記憶障害を取り除く、治療するという課題についてです。ミヤビの記憶障害を治療するためには、ノーマンズランドと言われる、人が立ち入ってはいけない(つまり治療不可能と言われる)脳のエリアの手術が必要となり、0.5ミリという細い血管を2分以内に縫合しなければなりません。このアンメットな課題を解決するために奮闘するのがドラマの主軸になります。

また、脳外科医というミッションに対して、記憶障害を負っているミヤビは適任なのか。そこにアンメットはないのか。ミヤビは記憶障害のため、当初医師としての活動を停止し、看護助手として働いていました。そこから三瓶らのサポートを受けながら、徐々に医師としての活動を再開していきます。周囲は当初それを危険視していましたが、徐々に応援するようになります。

ミヤビが医師としての活動を再開していく中で、何人かの患者を主治医として治療することになります。彼らは、将来の夢や打ち込んでいる仕事を諦めなければならないかもしれない。そのアンメットを解決してほしいがために、本人や家族はミヤビに助けを求めます。ミヤビは自分自身がアンメットな状況におかれながらも、力を尽くすことになります。

世の中「アンメット」だらけ

考えてみれば、この世の中はアンメットだらけです。個人の視点からすれば、自分の夢や希望がかなえられないということは、ほとんどの人が抱えているアンメットです。また社会の視点からすれば、認識されている課題(たとえば地球温暖化)に対して十分な対策がとられていない状況。それもアンメットなわけです。

見方を変えれば、このようなアンメットがあるからこそ、人も社会もそのギャップを埋め、解決しようと努力するわけで、それによって世の中は少しづつ良くなっていくのかもしれません。世の中全体としてマクロに見ると、そういう肯定もできるかもしれません。しかし、その中でもがき苦しむ個人としてミクロに見ると、そう簡単に割り切れるものではありません。

私たちは、得てしていくら努力してもアンメットを埋められず苦しみ続けることになります。それは、その求められるレベルに到達しない苦しさもある一方で、レベルに達していても、ちょっとしたボタンがかけられずに実現されないこと、何かのちょっとしたきっかけや運に恵まれないために花開かないことも多々あるのだと思います。

『機動戦士ガンダム』も最初のテレビ放映時には見向きもされなかったそうですが、その後再放送によって人気に火がつき、現在も新作がつくられ続ける大ヒット作になったわけです。山下達郎の『クリスマス・イブ』も最初のリリースの際は鳴かず飛ばずだったそうですが、JR東海のCMに採用されたことで爆発的にヒットしました。

このように、タイミングというのか世相の変化というのか、そういったものに恵まれることが時には必要なわけです。また、それに恵まれるものがあるということは、その陰に、そのような運に恵まれず、そのまま埋もれていってしまった傑作だとか人々の努力というものが、多々存在するということではないでしょうか?

『七人の侍』の勘兵衛(志村喬)のセリフにこういうのがありました。
「いつかは一国一城の主と夢見て生きてきたが、気付いてみればこの年よ。」
そう言って、勘兵衛は自らの剃髪した頭を撫でまわします。
明らかに素晴らしい人柄であり、戦術家としても卓越した能力をもつ彼も、一介の浪人として人生を終えようとしています。
そして、勘兵衛のこの言葉を聞いた他の侍たちも、身につまされて黙り込みます。

私たちの個人としての努力とか、献身とか。いつ訪れるともわからない機会のために、日々努力を続けるというのは苦しいものです。そして多くの場合、日の目を見ることはないのかもしれません。

時々、テレビ番組の再現V(ビデオ)などで、名前も顔も知らないシニアな俳優さんがちょこっと出ていたりします。そういう時、この人も俳優として大成したくて若い頃からずっと努力を続けてきたのだろうと思わずにはいられません。私はその人のわずかな時間の演技を、しっかり見るようにしています。

『アンメット』最終回で、三瓶は言います。

「光をあてると影ができます。
『アンメット』。
直訳すると『満たされない』という意味です。
できた影に光をあてても、また新しい影ができて、満たされない人たちが生まれる。どうしたらくまなく照らして、アンメットをなくせるのか。その答えを探しています。」

少ししてから、ミヤビは言います。

「自分の中に光があったら、
暗闇も明るく見えるんじゃないかなあって。
だから、お腹がすきます。」

これを聞いた三瓶は、ミヤビにプロポーズします。

三瓶は世の中のことを語り、ミヤビは自分たちのことを語ったのだと思います。

多分、世の中からアンメットをなくすことは難しいのでしょう。それでも、心に希望を持って、ちょっと美味しいごはんを食べると、ちょっと幸せになれます。

とりあえず、それで良しとしておきますか。



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