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「パンダ外交」~中国の最強ソフトパワー

先週、今年6月に上野動物園で誕生した双子のパンダの名前が「シャオシャオ(暁暁)」と「レイレイ(蕾蕾)」に決まりました。17年に生まれたシャンシャンの弟と妹です。コロナの状況が改善し、少し気持ちが明るくなってきたところで、さらに明るい話題を提供してくれました。まさに、暗い世界が明るくなる夜明け(暁)の象徴であり、これから世界が花開くつぼみ(蕾)を意味するのかもしれません。

パンダはこれまで、中国から世界各国にその友好の証として贈られてきました。中国による各国へのさまざまなアプローチは警戒感をもって受け取られることが多いですが、ことパンダに関しては、警戒する向きは少ないのではないでしょうか。その意味で、「パンダ外交」は中国の最も純粋なソフトパワーと言えるかもしれません。

中国のソフトパワー戦略

一般的に、ある国が他国に影響力を及ぼす場合、ハードパワーによる場合とソフトパワーによる場合があると言われています。

中国は、南シナ海や中印国境付近などにおける行動に見られるように、軍事力を背景にして影響力を強める場合や、「一帯一路」構想のように経済力を背景に影響力を強める場合があります。前者については、直接的に関係国の反発と反感を呼びますし、後者についても、相手国は短期的には一定の恩恵を享受しつつも、結局は自らの意思を縛られ、真の意味での友好関係には発展しない場合が多くあります。

これに対して、文化芸術や価値観といった面でのアプローチは、本当の意味で相手国から歓迎されるものです。

「ソフトパワー」という考え方は、米国クリントン政権下で国防次官補を務めたジョセフ・ナイが最初に提唱した概念です。ソフトパワーは、軍事力や経済力といった強制的ないし半強制的な力ではなく、その国の文化芸術や価値観などに対する支持や共感を得ることが、対外的な「力」となるという考え方です。

90年代の前半から、中国は明確にこのソフトパワーを意識していたと思われます。89年の天安門事件に対する各国からの非難を浴びる中、中国にとって、いかに自国の評判を回復するかは重大な課題であったわけです。このことが、中国による北京オリンピック招致、孔子学院の世界的展開につながっていったことは、これまでにも述べてきました。

しかし、90年代に至る以前から、中国は各国から喜ばれる影響力を行使していました。それを担っていたのが、パンダなのです。

「パンダ外交」の起源

まだ「ソフトパワー」という名前の片鱗もないころから、中国はその貴重な資産のひとつであるパンダを外交に活用してきました。中国からの友好の証としてパンダは各国に贈られてきたのです。中国によるパンダの贈呈は、中国の活動の中で、世界から最も好意的に受け止められている活動のひとつではないでしょうか。言うなれば、「パンダ外交」です。

記録にある限りでは、中国が最初にパンダを贈ったのは、まだ中華民国の時代であった1941年のようです。日中戦争中、アメリカの援助団体が中国難民の救済活動を行っていました。これに対する感謝の記しとして、蒋介石国民党主席の夫人、宋美齢氏がアメリカにパンダのつがいを贈ったのが最初とされています。

古来より、四川省の山奥に生息してきたパンダは、地元では毛皮と食肉の価値しか認められてきませんでした。中国の山奥にこのような珍しい動物がいることは、欧米諸国にも、19世紀後半には知られるようになりました。しかし、主に狩猟と生物研究の対象以上には見られてきませんでした。

それが、1930年代に、中国で急逝したアメリカ人探検家の遺族が、子供のパンダをアメリカに持ち帰ったところ、アメリカで大ブームとなったのです。いろいろな意味で、パンダの価値は一気に高まりました。

39年に、中国政府は慌ててパンダの禁猟を決めました。これによって、外国にとっては、パンダはあこがれの存在になりました。宋美齢氏によるアメリカへのパンダの贈呈は、まさにうってつけのタイミングで行われたわけです。

日本の真珠湾攻撃との皮肉な対比

宋美齢氏によるパンダの贈呈をさらに印象づけたのは、日本による真珠湾攻撃でした。宋美齢氏が贈呈を正式に発表したのは41年11月9日でしたが、実際にパンダがアメリカに移送されたのは翌12月、ハワイ経由となりました。

まさに、この同じ月の7日(ハワイ時間)、日本による真珠湾攻撃が行わたのです。そして皮肉にも、真珠湾攻撃による負傷者がアメリカ本国に移送される第一便と同じ便で、パンダは米国に到着することになったのです。

日本による軍事攻撃というハードパワーの行使と、中国によるパンダ贈呈というソフトパワーの行使が対照的に行われたのです。この時、日本と中国のそれぞれが、米国民に与えた感情がどのようなものであったか、想像するに余りあります。

戦後中国による「パンダ外交」

戦後、中華人民共和国成立後は、「パンダ外交」はまずは共産圏における友好協力の演出の手段となりました。まずは、中ソ対立以前のソ連に2頭(57年、59年)、そして北朝鮮に5頭(65年、71年、79年)のパンダが贈られました。

その後、71年に国連における中華人民共和国の代表権が認められ、70年代を通じて中国と各国との外交関係が樹立されていきます。それにともない、パンダは幅広く西側諸国にも贈られるようになりました。

ニクソン大統領が訪中した米国(72年~)を皮切りに、日本(72年~)、フランス(73年~)、イギリス(74年~)と広がっていきました(イギリスについては、58年にオーストリアの仲介業者からパンダの転売を受けていますが、これは中国政府からの贈与ではありませんでした)。

贈与から貸与へ

中国からのパンダは、70年代までは文字通り贈与されていたのですが、81年に中国がワシントン条約に加盟し、84年にパンダの学術目的以外の取引が禁止されて以降、贈与は行うことができなくなりました。

そこで、研究協力の名目で有償レンタルの形をとることとなりました。その結果、受け入れ国側は、2頭で年間100万ドル程度のレンタル料を支払わなければならなくなりました(金額は交渉によって上下する模様で、上野動物園のリーリーとシンシンの場合は95万ドル)。

それでも、パンダの貸与は事実上の贈り物ととらえられ、受け入れ国の国民から大歓迎を受けています。最近は、アジア諸国への貸与が増え(タイ03年~、オーストラリア09年~、シンガポール12年~、マレーシア15年~など)、パンダ外交がますます広がりを見せています。(また19年には、60年ぶりにロシアに2頭のパンダが貸与されたようです。)

もともと標高の高い寒冷地に生息するパンダは、熱帯雨林気候の国々で、冷房完備のパンダ舎に収まっています。可愛く座って笹を食べる姿は、「平和の使者」のイメージにぴったりであり、中国のイメージ向上に一役買っていることは否定できません。

台湾についての政治的意味合い

このように純粋に相手国に喜ばれているパンダですが、ワシントン条約上の規制があるがために、パンダの移動が政治的意味合いを持つ場合が出てきました。

ワシントン条約の規制は、あくまで国境を越える取引が対象です。したがって、中国国内の移動には何ら関係がありません。そこで、中国内陸部から香港、台湾、マカオに移動する場合には、微妙な政治的ニュアンスを生じることとなりました。

中国は、香港については香港返還後の99年、07年に計4頭、マカオについてはマカオ返還後の10年に2頭のパンダを、それぞれワシントン条約の手続によらずに贈呈(移動)しています。香港、マカオにおける政治体制の問題はさておき、両者が中国に返還され、中国の一部となったことは国際社会も認めるところなので、問題はありません。むしろ問題は、台湾です。

台湾については、88年と06年に中国側がパンダの贈呈を企図したものの、いずれも台湾当局より「飼育環境が整っていない」との理由で拒否されました。88年当時は、台湾側は親中派の国民党政権でしたので、「飼育環境が整っていない」というのは本当のことだったかもしれません。受け入れたパンダに何かあったのでは、中台間の重大問題になりかねません。

しかし、その後18年間を経た06年にも同じ状況だったのか微妙です。06年には、台湾側は台湾独立を標榜する民進党政権でした。むしろ、ワシントン条約の手続によらずしてパンダを受け入れれば、「一つの中国」の位置づけを受け入れることを対外的に表明することになり、政権としてもたないと考えたとしても不思議ではありません。

実際、その後08年5月に親中派の国民党馬英九政権が成立すると、中国からのパンダ贈呈(移動)の話はトントン拍子で前に進み、あたかも馬英九総統の当選を祝賀するかのように、同年12月、パンダ2頭の贈呈が実現しました。

中国政府が、ワシントン条約上の規制を逆手にとって、「一つの中国」の範囲を世界に知らしめた形になったのです。

歓迎されるべきパンダ外交

台湾の場合の政治的意味合いは、むしろ例外的かもしれません。一般的には、このような中国によるソフトパワーの行使は歓迎できるものです。

誰も、中国が敵情視察や共産党のプロパガンダのためにパンダを送り込んでいるとは思わないでしょう。あの愛らしい姿は、純粋に私たちに微笑みをくれます。このような形で、中国がいろいろな国と友好関係を築いていくことは歓迎したいものです。

そもそも、パンダは中国でたまたま生息していただけで、別にパンダの存在のために中国が何か貢献したわけではないだろうという人もいるかもしれません。しかし、そういう言い方は、狭量というものでしょう。日本だって、富士山の存在のためにどれくらいの貢献をしたのでしょう。もちろん、保存、維持のために努力はしているわけですが、それは中国にとってのパンダも同じです。

ちなみに、日本は累計で13頭のパンダの贈与・貸与を受けており(日本での出生分を除く)、中国にとって世界最大のパンダ外交の相手となっています(調べのついた限りでは、次点はアメリカの9頭)。

(本稿執筆にあたっては、各種報道(中川美帆『パンダノミクスが来た!』週刊エコノミスト2018.2.13など)を参照したほか、特に歴史的経緯については、家永真幸『パンダ外交』メディアファクトリー新書2011を参照しました。同書は、日本のアニメ映画でのパンダの扱いについても言及していて興味深いです。確かに、パンダが日本に来る随分前から『白蛇伝』」(東映動画 '58)などに登場していて、その当時から日本でパンダが人気だったことがわかります。ちなみに、高畑勲監督の『パンダ・コパンダ』は、72年10月にカンカン、ランランが日本に来た直後の同年12月公開です。)


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