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妊娠しても家で一人で仕事ができる土台作り

そもそも開業するなんて、1mmも考えたことがなかった私。
今でも不思議だけど、思い返してみるときっかけは色々あったかもしれない。

企業で働くことに疲れていた

前回のブログでも書いていましたが、激務でした。。。。
まずは通勤時間片道2時間・・・。往復4時間。

何度も会社からは家賃援助するから近くに住めば?と言われていたのですが毎日のサービス残業にヘトヘト。

家が遠いから終電に合わせて少し早く帰れるのに、近くに住んだら何時まで働かないといけないんだ。

長い通勤時間を取っても一人暮らしは拒否して実家から通っていた。

結婚を機に寿退社をしたのですが、
とにかくやたら人が辞めていく中で、私は唯一の円満退社と言われるほど喧嘩のように辞めていく人が絶えなかった。

それを横目に見ながら、働いてお金を稼ぐということは、こんなにも大変で我慢の連続なんだと思っていた。

ただ、人間関係はうまくやれる方だったため、自分は組織で働くのが
向いている方だと思っていたし、一人で仕事をするなんて想像もつかなかった。


興味のあることはとにかく学んだ

結婚してからしばらくはゆっくりしたいと思っていた。
行けなかった友達との海外旅行。
また、やってみたかった勉強をやると決めていた。

その中の一つがWebデザインの勉強。
Web系はできないの?と前の会社でよく聞かれていて、勉強してみたい!
と思っていた。

ハローワークで職業訓練校のWebデザインのクラスを探したが、かなり競争率が高いと言われ、入学テストがあった。

しかも若い人から合格していく。その頃28歳。それでも若くない方で、若年者のクラスには入れなかった。

2度目のテストでやっと合格した時はすごく嬉しかった記憶があります。


職業訓練校での勉強の日々

社会人になってから学べるということが、とにかく楽しかった。

会社では自分一人しかできない作業をしていたことが多かったため、分からないことも聞ける人がいなかった。

でも、学校には先生がいる!なんでも聞ける!それだけで嬉しかった。

職業訓練校はとにかく厳しかった。
・日直やその日のプレゼン担当などいろんな役割が毎日回ってきた
・毎日課題三昧。次の日までの宿題が毎日出る
毎日テスト。点数が悪いと授業後に補習。
・3ヶ月のコースで数日休むと辞めないといけない
授業の進みが早い。分からないと置いて行かれる
・平行して就職活動が必須。しない人は辞めさせられる。

月曜から金曜まで9時~17時までみっちり授業。

土日もどっさり宿題出されて、毎日学校から帰ってから宿題に追われる。子供かできる前に通って大正解だったと今でも思う。

基本的なHTMLの勉強から始めて、CMSを使わずにHTMLだけで自分のサイトをプログラミングできるまでみっちり教えこまれる。

その後、DreamWeaverやFlashなどの基礎。
illustratorやPhotoshopでのデザイン。

最後にプログラミングのクラスと合同で5人ほどのグループで一つのサイトを作り、最後にプレゼンをして終了。

盛り沢山の授業内容が無料で受けれて、更に私の場合は雇用保険をもらっている途中に通い始めたので、雇用保険支給の期間も更に伸びた。

この制度は知らない人も多いので、雇用保険は是非ちゃんと使って欲しい


そして職業訓練校は無料で通える色んなクラスが沢山あるので、ハローワークで是非紹介してもらって欲しい。

お金をもらって勉強できるなんて、天国!!!!
大変だったけど、本当に楽しかった。

けれど、やはり途中で辞めていく人もかなり多かった。
それくらいハードでした。


大学の副手の日々はフリーでの仕事を試す日々

当たり前だが職業訓練校は就職するために行く学校です。

最後の方は就職担当の人が鬼のような顔で就職するために、動けー!面接受けろー!とお尻を叩いてきます。笑

就職活動の報告の面談で泣いてた子もいたくらい、就活担当の人には厳しことをたくさん言われます。。。

私は大学のゼミのお世話になった先生が、
副手してみない?
というお声をいただき、バイトではあるけど行先が決まって
その地獄のような面談を免れた。ありがとうございます。

先生。なんやかんやでいつも人生の岐路には誰かが声をかけてくれてるような気がします。


4年制の芸大でバイトをしたことがあった私は、ゼミの先生が
同じ系列の短大に異動になり、そのタイミングで芸大の短大に
行かせてもらうことになった。

このバイトは特殊で、これまた私には天国のような環境でした。


仕事内容は
・研究室内の事務全般
・先生の授業(芸大なので実技の授業)の補佐
・先生は欠席の時は変わりに授業をすることもある
・入試の監視役
・その他、先生に頼まれたことは全てする

なぜ天国だったかというと
・大学の施設を自由に使える
・先生に専門的な色んな話がすぐに聞ける
・先生は私からみるとおじいちゃん世代で、可愛がってくれる。笑
・学生が可愛い(就職から恋愛相談まであらゆる相談役になっていた)
・授業のない時は自分のフリーの仕事を自由にできる

一生この仕事でもいい!と思うくらいでしたが、契約期間があり、どんな理由があっても続けることが出来なかった。

4年制の時は3年間、短大は2年間。それが契約期間だった。

それもあって、先生たちもここにはずっといられないから、自分の仕事を持ち込んでちゃんと将来を考えなさいと言ってくれた。
これが一番の天国でした。

前の会社の営業さんから頼まれた仕事や
自分でWeb構築の仕事を知り合いから取ってきては
先生が帰った後に夜遅くまでやる。というのが日課でした。

この頃も遅くまで働いていたけど、朝は11時出勤だったのと、自分がやりたいことをやっているというやりがいもあり、

一人で仕事を取る際の色んな悩みはあったが、苦しかったイメージは全くない。この期間は私にとって貴重な時期でした。


契約期間が終わる頃にはきっと子作りが始まる。もう30歳

夫の両親から早く子供を!というプレッシャーもすごくて、
そろそろ子供のことも考えないとな・・・

母になってもブランクなく、仕事できるように
2年間の契約期間の間に妊娠出産の時期でも家で仕事ができる土台
作るという目標ができ、毎日必死に動いていたような気がします。

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