~トルコ、türkiye について~


・トルコの紹介

トルコという国はユニークであり、そして同時に様々な問題も抱えている。皆さんはトルコという国をどれだけ知っているでしょうか?
トルコ料理が世界3大料理の1つである事?、ケバブ?、伸びるアイス?、エルトゥールル号以来の親日国と言われている事?

トルコという国は混血の国でアジアっぽい顔立ちの人もいれば、西欧っぽい顔立ちの人、そして中東っぽい顔立ちの人もいる。
アフリカからの難民や多くのシリア難民を受け入れている国でもある。中央アジアからの出稼ぎの人達を私は初めてこの国で目にした。珍しいソマリア料理、シリア料理、ウイグル料理のレストランなどもある。

イスタンブールやカパドキアだけでなく南に行けば地中海が広がっている。そこは特にロシアやヨーロッパからの人気のバカンス先になっている。トルコ人も夏休暇に海を好んで訪れる人が多い。

地中海側のギリシャに近いイズミルと呼ばれる地域は美人の街として有名だ。天然金髪美女はトルコでは羨ましがられる。コンプレックスの裏返しか都会では金髪に染める女性の割合は多い。


・新トルコ豆知識

1. サンタクロースのお墓がトルコにある事を知っていますか?
クリスマスではなくお正月にサンタがやってくることを知っていますか?
2. ブルガリアヨーグルト、ギリシャヨーグルト、カスピ海ヨーグルトが日本では有名だがヨーグルトはトルコ発祥である事を知っていますか?日本でいうギリシャヨーグルトはトルコではスズメヨーグルトと呼ばれている。水切りヨーグルトの事だ。
3. イタリアのピザはトルコのピデが原形だと言われている事を知っていますか?
4. ベルギーチョコで有名なゴディバはトルコ企業の子会社になった事を知っていますか? これは知らないほうがよかったのかもしれない。。

トルコはこうした外へのアピールが上手ではない事が残念だ。

・トルコ人について

国民性は感情表現豊かで人懐っこい。情にもろく時には規則やルールなんてそっちのけで人間味がある。上下関係ははっきりしているがイスラム教の教えにより貧しい物に分け与える精神は浸透している。しかし、それを悪用する物乞いビジネスも存在する。

・インフレの中で生きること

経済においては、新トルコリラが発行されてから長年のインフレに悩まされている国でもある。考えてみてほしい。物の値段が毎年上がるのだ。小さな物は週や月で変動、大きな物は年単位で上昇する。それは政治的問題や国内テロなど複雑な要素が絡んでいる。何が言いたいかというと、トルコでトルコリラを稼いで生活する事は簡単な事ではない。毎年の値上がりも国民は慣れていた。今より先のほうが同じ物でも更に高くなるから年末に思い切った買い物をしたりする。家や車は投資になる。購入した時点より中古になっても価値は上がるのだ。

日本に比べると高金利だが、銀行に預けるより銀行からローンを組んで家に投資することがメリットがあるため人気であった。物価上昇率は本来よりも低く見積もられていて計算されるため、賃金への上乗せされる分は本来されるべき額より低く想定されていた。

・同じ。。でも違う。。

トルコは住んでいる地域によって考えが異なる。それは日本の都会と田舎といった感覚とは少し違う。それ故トルコ人は知り合うと、どこ出身?と聞く。親や祖父母の出身地まで聞き、それで大体の事を推測するのだ。
国民の大多数がイスラム教を信仰しているが、半分くらいは私達と変わらないような服装でお酒も飲む。皆がお祈りをするわけでもない。しかし東側に行けば保守的で信仰心も強い。

・クルド人問題と愛国心、そして震災後の複雑な思い

東側というのは今回の地震の被災地域だ。その地域には多くのクルド人が住んでいる。クルド人問題はトルコと切っても切り離せない事柄である。クルド人は戦後戦勝国によって線引きされた国境で分断された国を持たない民族の事だ。彼等は自分達の独立した国家を長年求めている。しかしトルコは自国の領土を彼等に与え認める事はないだろう。

トルコ国旗は真っ赤な一面に月と星のマークがある。戦時中の戦いの後で血の海で染まった地面に数えきれない程の死体があったそうだ。その血の海に月と星が反射して照らされていたそうだ。

国を守ろうとする多くの命の犠牲があった事、先祖に対する感謝の念が強い。それが愛国心に繋がっている。

クルド人は迫害されていると私は学生時代に日本の教科書で教わった。しかし今はそれに異論がある。トルコにはクルド人の億万長者、有名人( 俳優、女優、歌手)、政治家などがいる。トルコ国内で多くは普通に暮らしている。クルド人とトルコ人の友情もある。

クルド人の問題は他にも理由があるが、クルド人だから差別されるのではなく、pkkという国内過激派組織テロ行為を行っている事問題なのだ。独立を望むからといって国内テロをしても良い理由にはならない。私がまだトルコについてよくわかっていなかった頃、毎日のようにトルコ兵士が亡くなっているニュースをテレビで観た。それは言葉が分からなくても理解出来た。テロリストによる国内戦争や自爆テロで今までに多くのトルコ兵士だけでなく市民も命を落としてきた。その土地を守るためにテロリストと戦い命を落とした兵士達の為にも領土を手放す事など尚更出来るわけもない。

東側、特にシリア国境付近は危険な場所として有名だ。トルコ人がよそ者の目で見られ、人々はクルド語を話し、そんな場所だそうだ。

今回の地震で多くの犠牲者がでた。その地域に住むすべての人がテロリストではない。しかし、亡くなった人の中にはテロリストやその予備軍がいたであろうと思うと私の心は複雑だった。
彼等に私達が手助けをしたとしても、まずは神様に感謝をするだろう。神様が生き残った彼等に助け人を連れてきたと。私達の善行は神様によって信仰者である彼等に与えられたものと考えられるだろう。

・民衆を操る事が上手い指導者

トルコの日本に対する信頼は厚い。復興住宅を多くの人々が日本が担う事を望んでいるそうだ。地震で倒壊した違法建築の建物を政府が黙認していた事は確かだ。トルコは汚職が多い。数も金額も違う。日本のスキャンダルはかわいいものだと思ってしまう。日本ではすぐに辞職するが、それでも居座って辞めないのがトルコだ。一度手に入れた権力にしがみつくのは日本以上だ。貧しい人も家が欲しい。その夢を公約に掲げ叶えたのがエルドアンだ。擁護するつもりはないが、儲けを出すために業者はそれ相応の建物を作ったのだと思う。

・地震後に日本で報道されなかった事

地震後、日本国内ではトルコでとにかくテントが足りない、住む場所がないと伝え、どこも募金を募っていた。しかし、その中で行政に申請すれば南のリゾート地のホテルの部屋、衣類、食事が当分の間無料で提供されるとメディアは伝えなかった。今は満室になっていてもう申請もできないようだ。
被災地にとどまっている人達の中には理由があり申請しなかった人もいただろう。生まれた土地から離れたくなかった人、身内の安否が不明だった為、いわゆるたんす預金のように自宅に現金や金を保管していて倒壊した建物のどこかでそれらが眠っている為、今後の生活の為にも資産が盗まれないように身動きが取れなかったのかもしれない。地震後のトルコ政府の対応は確かに遅かったが正しく報道されていない部分があった。今は被災者への保証策を打ち出して来たる選挙に備えているようだ。素直に過ちを認め対策を打ち出しエルドアンは人々の心に入り込む事が上手い。

・日本がトルコから学べる事

トルコは良くも悪くもスピードがある完璧を求めずとりあえず挑戦する事を恐れない精神は日本が学ぶべきところであろう。新しい物や構造には皆興味深々で浸透しやすい。

  1. 女性の社会進出がトルコでも増え核家族化が広まった事もあり、冷凍食品の需要が高まった。”ない”よりましで美味しくなくても売るし売れていた。とりあえず市場に出し、そこで改善していくのだ。

  2. 日本では東京オリンピックの間でされクレジットカードのタッチ決済はまだまだ目新しかった。cmが沢山流れてもその後もいまいち浸透しなかった。トルコではオリンピック以前からタッチ決済は浸透していた。

  3. 国民IDは以前からあり、逆になぜ日本ではないのか?どうやって1人1人を管理しているのかと聞かれた。

  4. コロナ当初の日本ではワクチン接種の為の予約が電話でなかなか取れなかったりクリニック前で長時間長蛇の列で待たなければいけなかった事を思い出してほしい。そのころトルコでは国民IDとアプリの連携でオンラインでいつ、どの病院又はクリニックでワクチン接種予約が出来るシステムが構築されていた。

  5. また、病院で受けた診断やレントゲン写真など自分の健康と関わることをログインして確かめることが出来る。国に対する不信感はトルコ人の間でも強いが生まれた時から国民IDの取得を義務化されておりトルコでは誰も国民IDを所持する事に疑問を感じない。日本ではマイナンバーが数年経ってもまだ浸透していない事に対して驚くとともに所持する事に対するメリットがあまり感じられない事も事実であるため何とも言えない歯がゆさを覚える。

・自国強化、他国依存脱却 変わるトルコ社会

トルコは戦後国外からの技術に頼ってきたが近年自国産業に力を入れるようになった。トルコに強くなってはもらっては困る国々がある。その国々がトルコ国内のpkk過激派組織を支援しトルコ国内に混乱をもたらしている。

例えばアメリカ、ロシア、イギリス、ドイツがpkkを支援している事をどれだけの日本人が知っていて関心を持っているだろうか?フィンランドが別のクルド人組織ypgを支援している事をどれだけの日本人が知っているだろうか? 最終的にはnato加盟国の一員となったフィンランドだがトルコがフィンランドの加盟国入りに難色を示していた理由はフィンランドが論理のすり替えを行いテロリストをトルコに引き渡していないからであった。欧米が判断する事が正しいとは限らない。日本にいると知らない事が多すぎると思う。

トルコはトルコ産の車、トルコ産の戦車、トルコ産のドローンなどを生産するようになった。トルコ産のドローンはロシアとウクライナの戦争で耳にした人も多いだろう。日本が危ないと規制しなんだかんだ責任問題を考え、出遅れている間にトルコはもくもくと力を注ぎ開発に励んでいたのだ。トルコの強みは発展途上だからこそ恐れず規制などあとから考えればいい攻めの楽天的な姿勢だと思う。

物事がコロコロ変わり、それに振り回される国民は大変でもある。不完全だからこそ良し悪しはあるが、人との繋がりが濃く、トルコで生きられたらちょっとした不自由や不便さもどうってことなくなるだろう。皆が満足する事は難しい。皆の事を考える以上日本のスピードは緩やかなままであろう。

・難民という名の移民?国外大移動…かわいそうの先は…

皆さんはあるシリア難民の小さな男の子のニュースを覚えていますか?シリアの内戦が激しさを増し国外脱出をした際の悲劇の話だ。それまでにもシリア難民の海でのボート転覆事故のニュースはあった。人数過多で海を渡っていたからだ。しかしアイランという名の男児がギリシャに向かう途中で溺死し、トルコのボドルムの浜辺に静かに横たわっていた姿に世界中が衝撃を受けた。その家族の中で生き残ったのは父親だけで多くの人が哀れんだ。シリア難民の受け入れが多くの国で始まった。その時私はただでさえ国内問題が山積みのトルコが大量のシリア難民を受け入れたらどうなるのだろうと危惧していた。トルコは国内外の政治的切り札として大量のシリア難民を受け入れた事は後でよく分かった。

トルコでビジネスをし定住するもの、トルコ人より安い賃金で働き結果トルコ人から職を奪うことになった者、トルコで就学する者、物乞いをしてヨーロッパを目指す者、物乞いをせずヨーロッパを目指す者、窃盗や性犯罪を犯す者、トルコ人と結婚する者、生き方は様々だ。そして難民に紛れ込んだイスラム国の兵士によるトルコ国内での勧誘や自爆テロもあった。

物乞いをしてヨーロッパを目指す者の中には真冬の氷点下の寒空の中で朝から晩まで長時間まだ小さな赤ちゃんを抱えている者もいた。つきまとって服をひっぱる者もいた。お金ではなく食べ物を与えたらお金が欲しいという者もいた。あるトルコ人のおばさんは、こんなことをしていたら赤ちゃんが風邪を引いてしまう。これだけお金を渡すからもう戻りなさい。赤ちゃんがかわいそうと難民に対して怒っていた。しかし難民はお金を受け取り居座って物乞い行為をやめなかった。ヨーロッパに行けば権利が保障され、良い暮らしが待っている事を知っていたからだ。トルコでの難民キャンプが劣悪だったこともあるようだが、同じ宗教で隣国のトルコに留まろうとせずヨーロッパ行を目指す者は後を絶たなかった。どれだけチケットが高くてもトルコからヨーロッパへ渡ることを強く望んでいた。

物乞いの際に子供が一緒に居ることで同情心を煽る。非難されると自分の行いは考えず冷たいと相手を非難する。ヨーロッパへ渡った教養のない難民達はその後現地に上手く溶け込めているのか疑問である。皆分かり合えたら苦労しない。

・真のリーダーとは?

世の中にはそれぞれの分野で/様々な組織でリーダーがいる。私はリーダー足る者如何に分かりやすく物事を伝えられるか、深く考慮し作戦を立て人を動かし、それを実行出来、そして結果を出せるかが重要だと思う。未来設計図があり将来起こりうるであろうあらゆる場面も想定し戦略を立てなければいけないだろう。学ぶことが好きで信念と情熱がなければダメだと思う。そしてなんといっても人々を魅了し ”この人なら” と思えるカリスマ性も持っていなければいけないと思う。人は偉くなると慢心し驕り高ぶる。謙虚さも持ち合わせていなければならない。もしあなたがあなたの周りにいる半数以上の人達を尊敬しているのなら、あなたの目は内向きで外が見えていないのかもしれない。

・アタテュルクの未来予想図、今をどう見て立て直すだろう?

私が真のリーダーを考えたときに思い浮かぶのがトルコ共和国建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクだ。軍人であった彼はトルコ革命を起こしオスマン帝国を終わらせた。そしてトルコ共和国を建国し初代大統領となった。スルタン制を廃止し近代化を目指した。この近代化政策は明治政府がお手本になったと言われている。江戸時代に将軍や大名に牛耳られていた日本とオスマントルコ時代のスルタン制が重なって見えたのだろう。明治維新を起こし様々な改革をした明治政府に深く関心があったようだ。日露戦争で日本がロシアに勝った事に対しても感銘を受けたようだ。民族主義、世俗主義を取り入れアラビア語を廃止しトルコ語を新しく導入し政教分離を掲げた。元軍人であった彼は聡明で語学堪能でもあった。5か国語以上を操り外交の際は通訳なしで自らが行っていたようだ。

今のトルコはアタテュルクが思い描いた未来だろうか?今のトルコは宗教色が強く政教分離とは程遠い。宗教というものはそもそも深く生活に根付いていて、切り分けることはできないのではないか?信仰心の強い貧しい者が多数派になれば宗教色の強い政党が支持される。宗教は利用されやすい。そこをアタテュルクは一番に危惧していたのではないかと思う。残念な事に今のトルコ社会は2手に分断している。

アタテュルクジュと呼ばれるアタテュルクの事が大好きな自称近代的なトルコ人達はどれだけ彼の事を理解し想いを受け継いでいるだろうか?お酒を飲むからモダンなのだろうか?表面的な物事を重要視しその根底にある物事に対して深く考えられる人がどれだけいるだろうか?独裁者を毛嫌いするが小さなコミュニティで自身が傲慢な独裁者になってはいないだろうか?自身に対する批判を受け止める事の出来る度量の大きな人はどれだけいるだろうか?月日は流れたが人々がトルコ社会で精神的に気高かったのはアタテュルクのいた時代ではないのかと思う一方、近代化の中で宗教色の強い者達は疎外感を感じていただろう。例えば女性であれば公の場で髪の毛を隠す事は禁止されていたからだ。コーラン(イスラム教の経典)の教えに対する人々の解釈は様々で保守的な人達は髪の毛を公の場所で見せてはいけないと信じている。そして、その宗教的な不満をうまく汲み取ったのがエルドアンだ。

アタテュルクは残念ながら長生きはしなかった。過労と飲酒と喫煙のせいもあったであろう。彼が長生きしていたなら今日トルコは発展途上国ではなかったであろう。アタテュルクがいたら今の日本を見てどう思うだろうか?アタテュルクがいたらロシアとウクライナの間でどのような役割を果たしていただろうか?と考える。

日本は未だに戦後から抜け出せていないように感じる。耐え忍ぶ事が美徳とされ、自分達で憲法を変えることなく守り続け、マスクを付けるか付けないかさえ未だに議論され上からの指示を待つ国が新の独立国家と言えるんだろうか?

・日本人的なアタテュルクの想い

" beni görmek demek benim yüzümü görmek demek değildir. benim fikirlerimi, benim duygularımı anlıyorsanız ve hissediyorsanız, bu yeter bana."

これは私が好きなアタテュルクの言葉だ。それは水入れに刻まれていて偶然に知った言葉で、私はその水入れを気に入って購入した事を今でも覚えている。

私と会うという事は私の顔を見るということではない。私の考えや感情を理解し感じてくれたならそれで充分である。

上手く和訳出来なくてごめんなさい。

・トルコと日本の友情、そして今だから思えるトルコへの感謝

私にはトルコ人の親友が一人いる。彼女とは育った環境、言葉、宗教、文化は異なるがお互いに意見を言い互いに学びあえる関係である。物理的な距離があり簡単に会うことは出来ないが変わらずやり取りをしている。そこには形のない心の繋がりがある。多様性、共存する際は否定せず違いを認め特別扱いをしない事が鍵だと思う。日本では外国人を特別扱いし過ぎてはいないだろうか?

トルコで暮らして必然的に"考える" 機会が増えた。"考える"事はこれから更に高度になっていくだろう。人工知能では考えられない事を思いついたり、人工知能では出来ないつなぎ合わせをする事をこれからは求められるだろう。国の事、家族の事、宗教の事、戦争の事、社会の事、人の事、様々な事柄を考える機会を与えてくれたトルコ共和国に感謝している。


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