見出し画像

脳内お花畑からの目覚め 

近年は物騒な世の中になったと感じている人が多いのではないだろうか?外国で起こるような事件が日本でも起こるようになったと。そして自分には関係ないと思ってもいるのではないだろうか?他人事と思って問題に関心を示さない事は有事に混乱を招く。私達は地震や被災に対する訓練が出来ていても、テロや暴力に対処する知識が低い。性善説に基づいた考え方で他国に守られている国は平和ボケになり危機に対する意識が著しく低い特徴もある。

皆さんは半島を出よという本をご存知でしょうか?恥ずかしながら私はこの本の存在を最近知った。著者は村上龍さんで2005年に出版された。物語はフィクションだが膨大な資料と実際に話を聞いたりして5年の歳月をかけ、事実と起こりうるであろう想像の世界を上手く融合させた作品だ。日本が経済難に陥る→インフレが続き失業率は上昇し国力が弱まる→国際的に孤立してしまう中で北朝鮮の特殊部隊に福岡が侵略されてしまうといった内容である。

これは勇敢なヒーローのキラキラした物語ではない。侵略する側とされる側がリアルに描かれた作品だ。政府がなすすべなく慌てふためいていた時に社会的に排除されていた少数派のグループが結果的に日本を救った話だ。彼等は周りからおかしいと理解されず決して許されることのない犯罪行為を行ってしまった集まりだった。彼等は一般的ではないマニアックな趣味( 虫、爆弾、軍事等 )を持っていた。それらの豊富な知識は武装勢力に立ち向かう強力な武器になった。誰かと協力して目標に向かったことのなかった彼等がその過程で自身が抱える問題や感情と向き合い浄化されていく様が描かれていた。

男同士の下品な表現、武装勢力による残虐行為の詳細、気味の悪い虫のくだりは読むに耐えがたいものがあり何度も気分が悪くなった。それでも私は知る事を選んでこの本を読み続けた。男女平等が叫ばれる世の中だが女性には読みづらい内容だと思う。

考えるポイント

  • 他国の反乱軍が日本を制圧しに来たら侵略行為と捉えるか?それとも武装難民と捉えるか?物は言いようで、どう捉えるかによって対応の仕方が変わるということ。

  • 自国に危害がなければ同盟国であったとしても他国が日本を助けてくれると思ったら大間違いだということ。

  • ” 日米相互協力及び安全保障条約、日米防衛協力のための指針 は 90年代 の終わりに発表されたもので同盟国であっても日本が攻撃されたからといって自動的に在日米軍が反撃するとは書かれていない。" ←( 本より抜粋 ) ということ。

  • " 日米防衛協力のための指針という文章には日本に対する武力攻撃がなされた場合、日本は主体的に行動し、極力早期にこれを排除し、その際米国は適切に協力する" と記されている。← ( 本より抜粋)ということ。          

  • つまり他力本願ではなく自分達で考え対処する力が問われている

この本には、人は慣れて鈍感になっていく生き物であり、決断力のなさ、責任逃れ、そして自己中心的な人間の嫌な部分が描かれている。" まさか "… が現実に起こりうる事を想定せず初期対応の誤りが結果大暫時に繋がるかもしれないと教えてくれている。

また北朝鮮が日本海にミサイルを撃ってる、どうせ当たらないだろう。また中国船が領海侵犯をした。また中国の気球が飛んでる。等々どうせ何もできやしない、関係ないと思ってはいないだろうか?危機感はきっとその状況を体験しなければ得ることは難しいのかもしれない。

自分の置かれた場所が変われば周りの見え方も変わる。
直接向き合う状況にならないと本当の意味での恐ろしさはわからない。
多数派が正しいわけではない。
皆おかれた状況で都合のいいように解釈をしようとする。

本が訴えること
1.戦争は良くない事だが戦争が起こる可能性がある事を受け入れ、その起こるであろう時に対して備える必要があること。
2.戦争反対の思考停止状態で意に反して攻めてこられてから、どうする?と話し合うのは遅すぎるということ。しかし、そもそも経験がなければ対策は立てれないのではないか?個人的な意見だが、想定だけでは物足りないから強国は自国を戦場とせず実戦を重ねて経験値を増やしているのではないだろうか?
3.経験不足によって引き起こされることだが、初期の判断ミスが後に取り返しのつかない事態を招くということ。

日本は平和と引き換えに国に対する愛国心や自尊心や戦う力を失ってきたのではないだろうか?決して戦争バンザイと言っているのではない。日本はアメリカと対等な立場になることのできない温厚な物分かりの良い独立国家を継続中だと思う。

学んだこと
統治能力に優れている者は人の言葉、表情、しぐさから相手の心理状態を読み取り、それらを冷静に分析し、リスクを回避するための提案をし、場を収められるということ。

現実は統治政治において弱者の犠牲はつきものであるということ。多数のために少数が犠牲になる。そしてその事実を綺麗ごと抜きに受け入れなければならないということ。

 暴力で支配される側は脅されているため選択肢がない。個人の意志や判断は無意味なものになる👈自由を失って自由を知るということだと思う。

不正に染まらない者は不正を暴かれたら困る側から狙われるということ。

既に社会から排除され困難な状況にいる者は情勢が変化しても変わらない生活を送るということ。彼等は強いということ。そして害だと思い排除してきた物/者に助けられることもあるということ。

支配層は自身を正当化し権力を保つため自分に都合のよい逃げ道やルールを作るということ。

個人が主張を始めるとまとめる側が大変。
支配層は従わせるために甘い事を言う。
あなたたちの幸せが自分の幸せなのだと。
そして上手く操って従わせるように誘導するということ。

共感できたこと
自国を出て外国で生活をして初めて見えてくる自国の常識に対する違和感

他の人からの助言に頼ってしまうと自分で考えられなくなる。故にまず最初に自分で考えることが重要であるということ。最初は孤独だが孤独に勝たないといけないということ。

"武装した北朝鮮の軍隊に占領されて死が隣り合わせになって気が狂いそうな不安と恐怖にとらわれていても人々は職場や学校に通い必要な買い物をして飯を食い、子供や年老いた親の世話をしなければならない。平穏な地域に暮らす人と同じように、日々を生きなくてはならない。それが外国の武装勢力に占領されているという現実のすべてなのだ。たぶん内乱や戦争でも同じだろう。"

村上龍 (2005)、半島を出よ(下)

" 実際に敵と相対して戦う兵士以外は普段とまったく違うことをするわけではなく普段の生活を続けるための労力が増すだけなのだ。"

"弱い人間や集団は差し迫った困難や危機から逃れる口実を探す。口実は何でもいいので必ず見つかる。自分達に都合のいい論理を組み立て論理のすり替えを行うのだ。"

"外側にいるからそういったことがよく見えるが内部にいる者にはなかなか分からない。"

何かを選ぶということは同時に別の何かを捨てるということ。
                                         
ある日突然誰でも多数派から少数派へと立場が移ってしまう可能性があるということ。

 "自分の代わりはどこかにいて自分は決して特別な存在ではない。自分が絶対だと思っている人は死に向かい合ったとき恐怖で錯乱するだろう。"

"いやな現実からはできるだけ目をそらしておくという基本態度が透けて見える。リアルな現実というのは面倒臭くやっかいなものだ。戦後日本はアメリカの庇護に頼ることによってそういった現実と向き合うことを避けてきた。そういう国はひたすら現実をなぞり、社会や文化が洗練されていくが、やがてダイナミズムを失って衰退に向かう。"

                                           ↑
ダイナミズムとは力強さという意味です。

"楽しいということは仲間と大騒ぎしたり冗談を言い合ったりすることではない。大切だと思える人とただ時間をともに過ごすこと"

2023年の現在この本が出版されてから18年が経つ。
日本の国防に関する国民の意識は変わっただろうか?
日本は主体的に物事を考えられるようになっただろうか?
現在は正当防衛以外にも武器の使用が認められるようになった。
他国と対等に渡り合い足元を見られないようにするには分かり合えると思わず割り切った関係を認める事が大事ではないだろうか?自分の国は自分で守る、必要に応じて後援を頼む。それは多くの国がしていることである。日本は本当の意味での戦後の自立を求められているように感じる。

本の最後に「それはお前の自由だ」というセリフがあった。自由という言葉の重みを感じた。改めて沢山の事を考えさせられる内容だった。   


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?