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生物多様性ビッグデータ④:海洋保護区でサンゴ礁を保全する際の問題点

サンゴ礁の地図化

海洋保護区(MPA: marine protected areas)の空間配置をデザインする場合、海域の生物多様性の評価が最初のステップになります。今回の記事は、海洋生物多様性の保全で重要なサンゴ礁に関するお話です。

サンゴ礁は、熱帯から温帯域の浅海域の重要な生態系です。下の地図は、サンゴ礁の基盤を構成するイシサンゴ群集を調査した地点です。日本では、琉球諸島から日本列島南西部の太平洋沿岸に、サンゴ礁生態系が分布していることがわかります。

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サンゴ礁群集の調査ポイント(赤色地点)で、イシサンゴの種多様性を調査した結果が以下の地図です。琉球諸島の八重山地域(西表島や石垣島)は、イシサンゴの種数が豊かな多様性ホットスポットです。沖縄島周辺も種数が豊かですね。琉球諸島から日本列島に北上するに伴って、イシサンゴの種数が緩やかに減少する傾向がありますが、イシサンゴの種数が豊かな場所が散在しており、サンゴ礁の生物多様性の地理的パターンが複雑なこともわかります。

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サンゴ礁の生物多様性ショートフォール

サンゴ礁の生物多様性を定量することは、海洋保護区(MPA: marine protected areas)を設計する際の基本になります。しかし、大きな問題があります。

それは、生物多様性ショートフォール(Biodiversity Shortfall)と呼ばれる、情報欠損の問題です(Hortal et al. 2015)。

サンゴ礁の生物多様性ビッグデータの整備を考える上でも重要な問題になる、生物多様性ショートフォールについて、以下に解説します。

サンゴの分類情報の不完全性:Linnean Shortfall

生物の分布を記録する場合、その生物名、種名(学名)が記録されます。しかし、生物の種名は、分類学者の定義によって異なり、結果として、様々な種名が存在します。必ずしも統一的な呼び名がないのです。

イシサンゴの場合も幾つかの分類基準があり、学名が複数あります。以下の地図は、Veron博士の分類学名に基づいたイシサンゴの種数地図と、WoRMSの分類基準に基づいたイシサンゴの種数地図です。

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以上2つの地図を見比べると、WoRMSの分類基準では、太平洋沿岸のイシサンゴの種数が高くなっていることがわかります。このように、生物の分類方法によって、生物多様性パターンが異なる結果になるのは、悩ましいことです。

しかし、この結果から理解してもらいたい点は「生物の種を分類して命名するということが、そんなに簡単なことでない(とても大変)」ということです。同じ種と認識している種が別種だったり、あるいは、別種と認識している種が同じ種だったり、それらを識別するには地道な分類学の研究が不可欠なのです。

このように、分類学的な知見や理解が十分でないことを、分類学者リンネの名前をとって、リンネアンショートフォール(Linnean Shortfall)と呼びます。

サンゴの分布情報の不完全性:Wallacean Shortfall

サンゴ礁の生物多様性を評価する場合、潜水調査で写真を撮影して、イシサンゴの外部形態で種を判別するのが一般的です。

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しかし、前述したように、分類学的な知見が十分でないので、種名を同定できない場合も少なくありません。リンネアンショートフォール(Linnean Shortfall)による種同定の不確実性です。

以下のグラフは、イシサンゴの種同定の不確実性を示しています。イシサンゴの中でも分類学的知見が不足しているハマサンゴは、30%近い種が同定できていないことが分かります。

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さらに、ミドリイシサンゴは10%以上が種同定できておらず、そのようなデータが数千件もあることが分かります。このことから、リンネアンショートフォール(Linnean Shortfall)によって、種の分布の評価(地図化)も不確実なことが示唆されます。

以下のグラフは、日本各地のサンゴ礁で調査されたイシサンゴのデータを検証したもので、種が同定されなかった割合(未同定率)を示しています。潜水調査して写真撮影して、頑張って種同定しようとしたけれど、残念ながら種まで同定できなかったデータの割合です。例えば、沖縄の宮古島や石垣島の白保では、95%以上の種が同定されていますが、三宅島や奄美諸島では、ほとんどイシサンゴが種同定できていないことがわかります。また、八重山では未同定種の割合は10%未満ですが、数多くの分布データがあるので、未同定種のデータの総数は比較的多いこともわかります。

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地域によってイシサンゴの種が同定できたりできなかったりするため、結果として、どの地域にどのようなイシサンゴ種が分布しているのかが、正確に評価できないのです。

このように、生物分布の知見や理解が十分でないことを、生物地理学者ウォレスの名前をとって、ウォレシアンショートフォール(Wallacean Shortfall)と呼びます。

サンゴの系統情報の不完全性:Darwinian Shorfall

さらに。イシサンゴの場合、遺伝子に基づいた分子系統の分析も十分ではありません。イシサンゴ全体の系統情報にも不確実性があることが知られています。どの種がどの種と進化的に近縁なのか遠縁なのかが不明確なのです。これは、ダーウインの名前をとって、ダーウイニアンショートフォール(Darwinian Shorfall)と呼ばれます。

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イシサンゴの場合、リンネアンショートフォールとダーウイニアンショートフォールが絡まっています。つまり、外部形態に基づく種の分類や種同定と分子系統による種のラベルが交錯して、サンゴ群集の生物多様性評価や保全計画の立案を阻んでいるのです(Fukami 2015)

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生物多様性ビッグデータを整備する場合、分類情報、地理分布情報、遺伝子情報などを充実させることが前提になるのです。しかし、これらの知見のギャップを埋めることは、ある意味、終わり無き研究です。なお、生物多様性の情報欠損には、種の個体数情報が十分に把握できないといった、プレストニアンショートフォール(Prestonian shortfall)などもあります。

したがって、サンゴ礁の生物多様性パターンを理解するには、上述したような生物多様性ショートフォールを認識した上で、サンゴの多様性を適切に評価(統計学的に不確実性も考慮して分析)することが不可欠です。

これについては、以下の記事で解説しています。

注)この記事の内容は、科研費によるプロジェクト”太平洋イシサンゴ類の保全生物地理学:系統分類バイアスを考慮した群集形成機構の解明”で実施した研究成果を基にしています










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