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子離れとは、の話。

仲良しの友達Mちゃん。
Mちゃんは子供が二人いる。この4月から3年生と1年生。
Mちゃんは、前々から子供が大きくなってきたら仕事を増やしたいと言っていた。
下の子が小学校に入り、外から見るとだいぶ子供から手が離れたようにも見えるが、ちまたでは、小1の壁、という大きなハードルが存在する。

一年生。
入学してしばらくは給食を食べずに午前中で帰ってくる。
学童に行く子もいるが、保育園と違ってお弁当を持たせないといけないケースも多い。
宿題があるのでそれに親が付き合う必要もある。

意外と、未就学児の時やそれ以上に親の手がかかる。。それも当面の間、と言われればそうなのだが、最初は環境の変化に親も子も戸惑い、子供の方はストレスで不安になったりわがままを言ったり余計に手がかかることも多いらしい。

そんなこんなの変化の渦中にいるMちゃん、偶然近所のスーパーでパート先の社長(年配の女性)とばったり会った。
社長はMちゃんに、
「今度下のお子さん小学校でしょ?もっと仕事の時間増やせるんじゃない?あなたに○○の仕事をもっとお願いしたいのよ〜」
とのこと。
Mちゃんも仕事を増やしたいと思っていたのは間違いないが、続け様に社長は言った。
「子供達は学童に入れたの?」

Mちゃん:いえ、入れてないです。。

社長:え、それは入れようとしたけど入れなかったの?それともそもそも入れようとしなかったの?

Mちゃん:入れようとしてなかったです。。。

社長:あー、あなた過保護だからね!わかったわかった、しょうがないよね。(全く嫌味とかそんな感じではなく)

Mちゃんはもともと専業主婦で、子供たちも幼稚園だったので、保育園児のように長時間外に預けられ慣れていない、というのが学童に入れることを躊躇した真相なのだが。(しかもMちゃんはフルリモートでできる仕事を求職中だった)

その一連の話を聞いた私、その社長に対しては、すげーズケズケ人んちのやり方言うじゃん。過保護?何も知らないくせにうるせーわ!(口悪い)
なのだが、当の本人Mちゃんは、とても落ち込んでいる。どうやら、本人も思い当たる節があって、ギクリとしたらしい。
自分は過保護すぎるのではないか、子供の親離れではなく、自分が子離れできていないのではないか、、前からそんな風に思っていたので、社長からズバリとそれを指摘されたようで、傷ついてしまったらしい。

ここで、子離れについて考えてみた。

「過保護」「子離れ」

どちらも私の頭の中にそのワードが全くなかったので、面食らった。
(そもそも、Mちゃんの子供は9才と7才、これまで乳幼児の大事な時期を過ごしていたのだから過保護であっても何の問題もないし、子離れなんて、そんなものは子供が思春期に入ってからでいいんじゃないかと思うので、全く問題ないと思うのだが。)

前に、ツイッターでこんなつぶやきを見つけた。
「子供を持つことで、子供中心の生活が始まる。若い頃や独身時代、自分が何者かにならなければ、という焦燥感から解き放たれ、自分が自分の人生の主役という第一線から離脱することができる気がする。結婚と出産は凡人ほど救われる率が高い。」

これを読んだ時、確かに、と思った。
誰かのために生きる人生、なんて言うとカッコよく聞こえるが、ある意味、その誰か、をメインとして生きることができ、自分が人生の主役であるという重圧のようなものから逃れることができる気もする。
なるほど、、、私も仕事で嫌気がさし、今後は育児を理由に仕事軽くしてもらえないかな、なんて仕事の逃げ道にも考えていたので、痛いほどわかる。

じゃあその逆は?どんどん子供が成長して自分の手から離れていったとき、また自分が人生の主役に押し上げられるのか?
親という役割は一生続くし、そもそも親であっても自分が自分の人生の主役であることには変わりないのだが。

子離れができない人って、子供にいろんな意味で依存してるパターンがあると思うけど、自分が自分の人生としてまた第一線に押し上げられることが怖いと思うことから、子離れできないのか?

子離れがそもそも一体なんなのか。
子離れできないと思う理由はなんなのか。
掘り下げてMちゃんと語りたいと思う。

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