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”コスパ”ってコスパ悪い

コストパフォーマンス。
略してコスパ。
巷によく流れてくる「○○はコスパがいい」理論。
今回のnoteは、こういうことを言ってる人たちってコスパ悪いなっていう批判です。

例えば○○大学はコスパがいいのか。っていう理論。
東京大学にしましょうか。
東京大学に血の滲むような努力をして入ったからといって、東大”よりか”は平易な早慶と同じリターンしか得られない。
だからコスパ悪いよねっていう論理。

まあ冷めた客観的な分析になるとそれもそうなんだろうなって思う。
ただそんな人生楽しいのかなとも。

東大を目指す理由の一つに「難しいから」というのは間違いなく入ってくる。
自分の実力に対して、100%の努力をつぎ込んで達成できるかどうか。
そういった「挑戦欲」が人間にはある。
もし受験生が全員コスパを求めるなら、受験勉強もそこそこに”滑り止め”と呼ばれる大学に進学し、中で努力すればいい。
何なら努力した就活先もコスパで見るなら、努力もそこそこでいいんじゃないのか。
その一方で「挑戦校」と呼ばれる志望先があるくらいだ。
挑戦してみたいという欲求は、人間として持つ本質的な嗜好なのだと僕は考えてる。

恋愛にもこの欲はある。
コスパを求めるなら最初から自分のことを無条件に好いてくれる人を選べばいい。
何なら誰とも付き合わないというのが最もコスパの良い選択なのだろう。
それでもデートに誘ったり、Lineしたり電話したりと努力をする。
意中の相手を射止めようとする。
これはある意味で挑戦欲だ。

「高値の花」という言葉は受験でいう「挑戦校」。
もっと言うと、同じ容姿でも”女優”と”ただのクラスメイト”では感じ方が違う。
俳優やアイドルという箔が付くだけで、挑戦欲はぐっと上がる。
ただこの俳優やアイドルといった、世間の認める美形に対して、アタックすることが”コスパが悪い”とはならない。
告白したい、挑戦してみたいというのが人間として自然な欲求だからだ。

コスパ理論。
恐らくその理論は目に見える形で報われたことが少ないから生まれたものなのかな。
確かに自分も東大に余分に一年かけるなんてコスパ悪いと言われたらまあそうかもと思ってしまう。
ただ、山頂にアタックするだけで山頂までの実際の距離が測れる。
思った以上に近かったな、遠かったなという感覚は、
漠然と大きい山だと感じることよりも遥かに価値がある。

自分のnoteで何度も使っている言葉だが、
喜劇王チャップリンは「人生に意味などない。あるのは欲求だけだ。」と。

大学の志望先なんて欲求でいい。
この大学でこういう勉強がしたい、という高尚な勉強欲も、
自分の受かりそうな志望先の中で一番難しいから、という挑戦欲も、
全て自分の欲求という点では何ら優劣の無いただの欲だ。

コスパなんて考える前に自分の心に素直に従えばいい。
それを他人が咎めるのも、ただの批判欲で自分の欲と同等なものだ。
無視すればいい。
自分の欲のままに生きる。
人生においてそれがもっともコスパがいい生き方だ。

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