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「常若」

大学二年の夏。
コロナが流行し少し落ち着いてきた最初の夏。
僕は独りで伊勢神宮に行きました。
進振りで建築に行くか迷っていた頃、今の自分があるのはあのときの一人旅だったなと今でも思います。

その伊勢神宮で見つけた、今も心に刻み付けてある一言。
「常若(とこわか)」

伊勢神宮は”式年遷宮”と呼ばれる、二十年に一度社殿を全て作り替える行事があるんですよね。
壊し創るを繰り返す。
繰り返すことでいつまでも若々しい状態を作り出す。
メンテナンスを繰り返すことで新しい状態をなんとか維持するのではなく、壊し創るを繰り返す。

そうすることで技術が伝承されていく。
二十の宮大工が見習いとして遷宮を体験し、四十の熟年大工として主戦力となり、六十で指導役として指導する。
こうして技術は廃れず常若で伝承していくんです。

この”常若”の考えの根底には無常感があります。
ひと時として同じものは存在しないという考え。
盛者必衰ですね。

社殿もそうです。
全ての物は完成した瞬間から必ず衰える。
全て廃れるからこそ、壊し創る。

死が怖い自分にとってこの考えは凄く大事になりました。
何故死があるのか。
壊すことで種として新鮮な状態を保っているんです。
死があり生があるから新鮮で健常な状態がある。

個としても同じです。
ヒトの細胞は常に壊れ創り直される。
死ぬまで永遠とこの繰り返しが行われ健常な状態が続く。

地球もそう。
どこかで土地が削られ、流され、どこかで積もる。
どこかで大地は無くなるが、どこかで大地は生み出される。

全ての物ごとがそうなのかもしれない。
死があり生がある。
冬があり春がある。
夜があり朝がある。
衰があり盛がある。
裏があり表がある。
鬱があり躁がある。

命も時間も人生も感情も。
全て終わりがあり始まりがある。
ただその終わりは終わりではなく、また次の始まりの為の終わり。
輪廻ですね。

そうは言ってもやはり死は怖い。
始まりの為の終わりだとしてもまだまだ受け入れられるものじゃない。
死のその瞬間までには受け入れられるといいな。


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