なんで学歴に対する偏見は生まれるの?
どうも、くまはんです。
なんだか最近筆が乗る日と乗らない日があります。
勿論今日は乗る日です!
ってことで今回は学歴に対する偏見について。
どうしてこういった偏見が生まれるんでしょうね。
ここでいう偏見って学歴によってその人の人格等を判断することです。
「○○大の人は考えが短絡的」だとか、「△△大だから付き合う価値がない」とか?
なんか具体例がふわっとしちゃったけど、学歴に対する色眼鏡みたいなもんかな。
学歴に対する偏見、というか偏見全般に言えること。
偏見ってよく知らないから生まれるんですよね。
なんかよく分からない存在に対して分かった気になるために無理やりレッテルを貼る。
東大生はコミュ障だとか、Fランはモラルがないとか。
多分サンプル数が1か2くらいでそういったことを言ってるんだろうなと思います。
勿論これは自分も含め、ですね。
人間は未知が怖いんです。
だから知った気になるということは安心感を与える。
そういう生き物だから偏見を持つことは一生防ぎようがない。
仕方がない側面はあります。
学歴に対する偏見も、僕はしょうがないと思ってます。
「○○大の人はこういう人。」という意見は、血液型診断だとかMBTI診断だとか星座占いとかと同じレベルなのだと解釈しているので。
どこまで行っても分類したがるのが人間ですね。
冒頭で、学歴に対する偏見はサンプル数が少ないから生じると言いましたよね。
これは主に高学歴層の話になってしまうのですが、彼らの”世間”は社会全体とはかなり異なります。
というのも、高学歴層を占めるのは「中高一貫→有名大」という人間です。
そうすると自分と境遇の似ている人間で彼らの”世間”が形成される。
境遇の異なる人間との関わりは小学校に限定されるし、中には小学校すらもお受験で境遇の似た人間と過ごす人もいる。
ボリュームゾーンがこういった層になっている高学歴。
そうすると高学歴とそうでない人との間に隔たりができる。
お互いが”よく知らない存在”になってしまうんです。
高学歴への偏見も勿論、そうでない層への偏見も加速する。
出会うとしても一人か二人。
これが冒頭のサンプル数ですね。
この偏見を払拭するにはサンプル数を増やすしかない。
それはバイト先なのかもしれないし、社会に出たときになるのかもしれないし、一生こないのかもしれない。
あ、なので偏見に対して怒る人いますよね。
それはサンプル数が多いからです。
そうじゃない人も多数知っていて、偏見が誤りだと分かっているから。
ただやはり偏見は防ぎようがないもので、誰しもが持ってるものです。
それを自覚するのとしないのとでは大違い。
自省も自制もできなくなるので。
誰しも偏見を持っているのだということは忘れないでほしいものです。
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