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#言語化したいものを集める _3「優等生」とは何か

※前提として「私目線」であるということ
※目的として「言葉の広がりを楽しむ目線を見つけてほしい」ということ
※そして、あえてふんわり着地する文章にしているということ

キャリアコンサルタントのもなです!
キャリアコンサルタントは日々言葉を駆使しながら、悩んでいる/迷っている誰かの脳内を一緒に整理しています。故に、それら経験を背景とした「言語化のヒント」が隠されている可能性があると思うので、「本日のお題」について「どのようにご自身もアウトプットできるか?」楽しんでいただきたいという裏の狙いもこの記事には隠されています。

言語化って「難しい」印象がありますが、人それぞれ異なる表現をすることがほどんとなので、「そうか、そんな表現もあるのか!」と発見が多く、ハマると結構楽しいです。
まずは言葉たちを大きく広げた風呂敷にたくさん並べてみる、ここから始めてみると自由度が広がります。



【本日のお題】

「優等生」と言われて、なんかカチンとした事象
・外部講座に通っている私、そこで「優等生よね~」と言われた
・「優等生よね~」って言われることって嬉しいことなのかもしれないけど、なぜこんなにもカチンとしたのか

(あえて)ふんわりとした表現や着地が多いですが、私なりの「言語化のプロセス」を御覧いただきたく、綴ってみました。


事実:「優等生」って、誉め言葉ではないのか?

今とある言語の学び直し期間中の私…あえて対面実施の講座に通っているのだが、そこで「優等生よね~」と言われたことがあった。
世間的に「優等生」って誉め言葉なのでは?と思ったりするのだが、「やった!」という喜びは皆無、むしろカチンときた…というかなり独自と思われる感情(自分調べ)に気付き、探ってみようかなと。

分析&想像:私の思う「優等生」

・「キラキラ」
そう、キラキラ。なんでもできる、そつがない、オールラウンダー、さらに容姿端麗、こんなイメージ。(ふんわりしてる)

(1)事実:正直上記のようなふんわりしたイメージしかなく、これ!という具体的なイメージがない…そして私自身「優等生」というワードを使う頻度が低い
HR領域を10年以上漂っているのだが、このワードはあえて避けてきた。故に、この言葉に良い/悪いの判断をつける気がない、のが私自身の認識。
※「優等生」という抽象度の高いキラキラワードに引っ張られて、判断基準が曖昧になる可能性があると認識しています。また、それぞれの会社によって「優等生」「優秀」の具体的なイメージが異なるという理解です。エージェントで仕事をしていた時、候補者さん推薦時にこのワードは絶対に使わないようにしていました。

(2)感情:カタにはめられた感が強く、それに対しての反骨精神みたいなものなのか?
私の場合これが強いかな、と認識。背景としては、1年前くらいにひとつの指標として調べたことがあるストレングスファインダー「個別化」が上位層に入る私、そして自身が仕事で携わっている領域もあって「個別化って重要だよね」の意識が強いこともあるというのは事実…故に、まさに「(抽象度の高いワードの)カタにはめられた」状態に対して苦手意識がある、というのはあるのかも。

しかし、先日講座に足を運んだのだが、なんか「優等生」ワードが若干昇華された感覚があった。きっと自分の中で腹落ちした部分があったのかなと。

というより、結論「周りからなんて評価されようが、自分が楽しければいいじゃん」という発展的解決になっている感が否めない。
私は、やることは一生懸命やるのが当たり前だと思っていて、学生時代は個人競技でかなりストイックに自分自身と向き合い、結果を出すことだけを追求して毎日を過ごしてきた…故に、着手したこととまっすぐ向き合うのは当たり前!の精神、そして着手したものはモノにする!という執着心みたいなものは、かなり強い方だと認識している。
まさにここなのかな、と。
「優等生」=「きれいになんでもできちゃう」と受け止めた感が強かったこともあり、こっちはそんな薄っぺらい精神でこちらはやってないわけよ?血肉にするまでやらんと、向き合っているものに失礼でしょうが?!という、自身のあたりまえを理解した上でおっしゃっていただいていますか?という背景もあり、爆発だったんだなと。(私、熱烈)

【全体をより俯瞰してまとめてみる】

人が発する言葉って、発する側の思いもあるし受け止める側の思いもあるし…結構責任の伴うものよね、という理解。
発する側の自由もあるし、受け止める側の自由もあるが故、言葉のキャッチボールって丁寧にやらないと、すーぐに誤解が生まれるよね、という。(わかりやすいのがSNS、テキストコミュニケーションだと特に受け止める側の解釈が自由)

ここにこうやって文字を残しておくことは、何度も読み返せるという利点もありつつ、責務が伴うが故慎重に残さないとね…と、私は実は何度も読み返して言い方を考えている。
しかしながら、言葉を語る/文字を残すことは、時間をかけることでより良いものが語れそうだし、残せそうだなと噛みしめている。

言葉って面白い、そして深い。もっと大事にしたい。


自分らしい言葉で何かを語れるようになると
・自己理解に繋がる
・自己理解=相手に伝えたい情報が整えられる
・相手に伝えたい情報が整えられる=アウトプット(例として、自己紹介や履歴書/職務経歴書の作成)がスムーズになる
こんな利点があります。

言葉の広がりを楽しみながら、ご自身のことをもっとよく知る/好きになれる機会になりますように!

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